今日は恋人「俺と懇ろになってくれ」
昼下がりの賑わうカフェーにて。
冨岡の言葉に、煉獄は頭が真っ白になった。
思いを寄せていた人からの、思いも寄らない突然の告白。
ほんの今さっきのこと。
往来を歩いていた煉獄は偶然、カフェーの窓際に一人座る冨岡を、その抜群の視力で遠くから見つけた。たまの休みにこれは僥倖と、自分も吸い込まれるように店へ入っていく。
カランカランとベルを鳴らし、店の扉を開けるなりいつもの声量で冨岡の名前を呼び、真っ直ぐに窓辺の席に向かう。そしていつもの明るさで「一緒に食事を良いか」と笑いかけた。
すると冨岡は、渡りに船地獄に仏という顔をして煉獄の顔を見上げてきた。
「……煉獄」
「……どうしたんだ、冨岡」
冷静沈着な冨岡がこんなに困り顔で焦りを浮かべるなんて。
これは只事ではないと煉獄は向かいの席にどっかり座り、給仕の勧めるオムレツもビーフシチューも「後で」と断って、まずは冨岡の話を聞くことにした。
「君に何かあったのか」
「……」
「困り事だろう。君の力になりたい。俺に出来ることならなんでも」
煉獄の真摯で力強い声に、冨岡は俯く顔を上げた。そして真っ直ぐに目を見て、「お前に頼みがある」と告げる。
他ならぬ彼の頼みだ、多少の、いや多大な無茶だって引き受けて見せよう。そう構えて煉獄が冨岡の言葉をじっと待つ。
すると。
「俺と懇ろになってくれ」
冨岡の言葉に、煉獄は頭が真っ白になった。思いを寄せる人からの、思いも寄らない突然の告白。
懇ろになる。君が、俺と。
驚きで一瞬黙ってしまったが、しかし判断の早い煉獄の返事は一つに決まっている。勿論だ、嬉しい、俺も君が好きだ。
そう言おうとした瞬間、先に冨岡が言葉を続けた。
「今だけで良いから」
煉獄の頭は二たび真っ白になる。俺は好いた人と今から恋仲になり、そしてすぐに振られるのか?
流石の煉獄も唖然と言葉を失っていると、言葉の足りない冨岡はバツが悪そうな表情を浮かべる。
「俺に、合わせて欲しい」
「君に、合わせる」
事態の飲み込めない煉獄は、冨岡の言葉をそのまま繰り返す。
恋仲になって、何やら分からないが冨岡に合わせて。そして、別れる?
事情が分からず、どうにかこうにか腑に落とそうと煉獄が唸っていると、後方でまたカランカランとベルの音が鳴っていらっしゃいませ、と給仕の声が響く。
その足音は、煉獄と冨岡の方へ真っ直ぐ向かってきた。二人の前に立ったのは、煉獄より二つ三つ若そうな青年であった。
どうやら冨岡の知り合いのようだ。状況を探ろうと、煉獄は青年を見上げる。
金獅子のような煉獄の居ずまいに青年は気圧されるも、はっきりとした声で尋ねてきた。
「その方が、冨岡さんの」
「そうだ。連れ合いだ」
冨岡は静かな口調で青年へと返す。
冷静な冨岡とは対照的に、煉獄は平静を装いつつ、内心大変感動して冨岡の言葉を反芻していた。連れ合い。俺と冨岡が。
なんて良い響きだと冨岡の言葉にじいんとしていると、テーブルクロスの下で、冨岡がつま先で煉獄の脛にちょんと触った。この青年を誤魔化さないといけないのは確かなようだ。
青年は熱心に冨岡を見つめる。
「やはり考えては頂けませんか。姉にもう一度会っていただきたいんです」
「それは出来ない」
「冨岡さんは私達の恩人です」
煉獄はその察しの良さで状況を少しずつ汲み取っていく。
なるほど、青年とその家族は冨岡に命を救われたのか。
恩人というだけでも大きいのに、加えてそれが冨岡であるならば。口数は少ないが、少し接すれば冨岡が優しく情に厚い男だというのはすぐにわかる。しかもこの風貌なら、惚れ込むなというのは無理からぬことだ。
やっと合点がいった。冨岡はこの青年を断るために、恋人がいると言ったのだろう。青年は冨岡の下手な嘘を見抜いたのか、めげずに「ひと目見たら諦める」などと言って食い下がってきた、というところか。
煉獄の様子はまるで、獅子がじいっと観察してくるかのようだった。その気配に青年はやや怯みながらも、冨岡へ熱を込めて視線を送る。
(……冨岡に惚れているのは、姉ではなくこの青年本人だろうな)
年若いが胆力はあるようだ。それに、身なりや佇まいから育ちも良いことが分かる。
冨岡を気にいっただけでなく、冨岡に良い思いをさせてやるという気概があるようだ。年下ながら感心なことだ。
が、譲ってやる気なんぞ毛頭ない。
一歩も引かない青年に冨岡がなんと返そうか迷っていると、煉獄が青年に身体ごと向き、彼をじっと見上げた。そして冨岡に愛されている恋人らしく、自信に満ちた表情で青年へと言い聞かせる。
「見ての通りだ。俺と冨岡は睦まじい仲だ」
悲しいかな、期間限定なのだが。そんなことはおくびにも出さず、煉獄は恋仲らしく余裕たっぷりの態度を見せる。
青年が言い返そうと言葉を探すも、さらに煉獄が決定打を浴びせる。
「惚れた人を困らせるんじゃない。男ならな」
青年がようやく引き下がり、店を出ていった後。
冨岡が深々と頭を下げてきた。
「すまなかった、煉獄」
「気にするな。君の役に立てたのなら何よりだ」
というよりも、ここへ来たのが自分で本当に良かった。一時の役であろうと、冨岡の恋人の座を他の人間には譲ってなるものか。
いっそ、この機に想いを伝えてしまおうかと煉獄は考える。けれどひどく申し訳なさそうな冨岡を見て、今は距離を詰める時ではないと思い直した。
悪鬼ならばその悪意ごと容赦なく斬り伏せるのに、善良な人の真っ直ぐな善意には彼は人一倍弱いように思う。
先ほどの青年のことも、断りたいけれど無碍にも出来なかったのだろう。
「……そういうところに惚れてしまったからな」
「え?」
「いいや、何も。恋人が男であるなら、見合いも断れると君も考えたんだろう」
煉獄がからりと笑うと、冨岡は少し黙って「違う」と答えた。
「俺はお前が好きだから、お前となら自然に振る舞えると思った。だから恋人役を頼んだ」
「……冨岡」
相変わらず賑やかな店内で、冨岡の小さな声は何よりも深々と煉獄に刺さる。
やはり今動くべきなのだろうか。はてさて、どうしようか。
「冨岡、今日は君も時間があるんだったな?」
「急な指令がない限りは」
「俺も同じだ。ここで洋食を食べて、その後浅草に映画でも芝居でも見に行かないか」
「え?でも」
冨岡はきょとんと驚いた表情を見せる。けれど、悪くないと考えているのが煉獄にも読み取れ、煉獄が畳み掛ける。
「折角君の恋人役に選んで貰えたんだ。今日一日は、このままで良いだろう?」
「けど」
「駄目か?」
「……」
冨岡に断れるはずがない。そもそも煉獄を巻き込んだのは自分だ。それに自分は煉獄のことが好きなのだから駄目なわけがない。
けれど、煉獄はなぜか、青年がいた時よりもずっと恋人然とした優しい視線を送ってくる。目を逸らしたって俯いて見せたってその視線は変わらず、熱が伝わってくる。
頬がじんわり熱くなってきて、背中あたりがそわそわとしてむず痒い。
「冨岡は可愛いな。俺の恋人は本当に可愛い人だ」
「……お前」
そんな落ち着かない冨岡を見て、煉獄がふっと楽しそうに笑みをこぼす。
どうしてかそれが少しだけ悔しくて、冨岡が口を小さく尖らせた。
「……恋人を困らせてはいけないんじゃなかったのか」
「惚れた人を困らせるのも、恋人の特権だろう?」
そう言うと煉獄はまた優しく笑んで、テーブル上の冨岡の手に、そっと自分の手を重ねた。