モブエー(OP)*
盃を交わして白ひげ海賊団の一員になってからはや数ヶ月。
エースはすっかり彼らに馴染んだ。
そしてあれやこれやと盛り上がるうちに欲の発散も兼ねて体の関係を持った相手が片手で足りない人数になった。正直に言うと両手でも足りない。
白ひげの船のルールは単純明快、仲間殺しはご法度。これのみである。
船員はみんな白ひげと親子盃を交わした息子たち、つまり兄弟分でもあるが、体の関係を持つのは特に問題はないらしい。
もちろん痴情のもつれなどで刃傷沙汰にでもなれば話は別だが、殴り合いまでは許される。
というか血の気の多い男ばかりなので特に痴情が絡まなくても殴り合いはしょっちゅう発生する。コミュニケーションのようなもので深刻さは特にない。他の船員も試合観戦の気分で野次や応援を飛ばしにやってくる。
終わった後は互いに痣と腫れだらけの顔で肩を組んで酒を飲むなんてのもよくあった。
そうして和やかに終わっているのであれば白ひげは息子たちのやりとりに口出しはしない。
日常のほとんどを陸から離れた船上で過ごす男たちはとにかく娯楽に飢えているし、溜まっている。発散できる場を求めるのは当然の心理だ。
一時期は毎日のように白ひげ海賊団を騒がせたエースの存在は彼らにとって刺激的だった。
いざ仲間となって共に過ごしてみれば若いエースの生彩はまた別の魅力となった。
かつては行き場のない孤児を船に乗せることも多く、そういった経緯でこの海賊団に居着いた船員は大勢いる。
だが多くの縄張りを仕切るようになった今では拾った子供を全員海賊にしようとはせず、白ひげの口利きでどこかの町へ引き取られていくのがほとんどらしい。
長らく子供が増えることのなかった海賊団において、エースは久しぶりにやってきた若者だった。子供扱いされるとエースは怒るが、十八だか十九だかのルーキーなど三十歳や四十歳を過ぎたベテランたちから見れば可愛くてしかたなかった。
実力は認められているのに私生活では末弟として可愛がられる。それはとても居心地がよかった。
削れてひび割れていた心をふわふわとしか何かで包み込まれているような気がした。
エースの加入以前から男同士で慰める風潮のあった場である。たちまちエースは人気者になり、若さを抜きにしても陽気で好奇心の強い性格はなつっこい猫のように大勢の注目を浴びた。
初めて抱かれたきっかけは何だったか、もう思い出せない。おそらく酒の勢いでそういう雰囲気になったのだろう。
みんなエースを大事に抱いたし、エースも当初はそれなりに困惑したが慣れていくにつれ自分からねだるようになった。
酒盛りや殴り合いの延長線上にある男同士の発散と思えば気安くて楽しかった。
みんな決して無理強いはしない。エースが乗り気でなければすぐに退いてくれる。まあ、乗り気でない日の方が少なかったが。
そうして船のみんなと体を重ねまくっていたある日の事だった。
険しい顔をしたデュースに医務室へと連行された。珍しく有無を言わさぬ態度で引きずり込まれ、エースは口をへの字にした。
「……なんだよ?」
「……」
話があると言って連れてきたくせに、デュースはむっつりと黙り込んでいる。
人払いはすんでいるらしい。いつも助手として寄り添っているナースもいなければ、ドアの向こうに人の気配もしない。
「……あー、いいか。今から話すのは医者としての、医学的な話だ」
「おう、」
「決して下世話な意図じゃねェ」
「ん、」
「噂で聞いたんだが」
その前置きで何となくエースは察した。若干目が泳いでちらりと部屋の壁を見る。
エースの視線が逸れたのにデュースも勘付いたか、小さく息を呑んだ。
「……その、お前この船の何人かと……」
「あぁ、うん、まぁな」
後ろめたい事ではない、はずだ。合意の上の享楽なのだから。
だがどうにもばつが悪い。旗揚げの頃から苦楽を共にした相棒に下の事情を話すというのは。
デュースはあまりそういった話題を好む性質ではなかったし、エースもデュースとそんな話をしようとは思わなかった。
エースとデュースが盛り上がったのはいつだって清く楽しい冒険の話ばかりだ。
「お前のことだ、もちろん無理矢理なんて話じゃないのはわかってるが……」
「そんな訳ねぇだろ」
「わかってんだよそれは!!」
デュースは頭が痛いとばかりにこめかみを押さえ、何度か唸った。言葉を選んでいる。
「……それはわかってる。別に大勢と寝るのも、セックスを楽しむのも悪くねぇよ。個人の自由だ。責任の取れる範囲ならな。ただ……」
次第に低く、硬くなっていく声にエースはデュースを見る。デュースは深い海の底を探るような目をしていた。
「……お前は、あんまり……自分を大事にするのが上手くねぇから、」
相棒としては、心配なんだ。
デュースの声が心の中の海をかき混ぜる。
「お前がそうだって言ってるんじゃないが……自分を大事にしないというか、自分の心身の価値をわかってない人間は泥沼にはまりやすいんだ、こういうのは」
「……別に揉め事を起こす気はねェんだけど」
「そういう修羅場を心配してるんじゃねぇって」
マスクの隙間から見える眉間がぎゅうっと強く寄せられる。スペード海賊団として進撃していた頃、よく見た表情だ。居心地の悪さゆえに現実逃避じみた思い出が脳裏を過ぎる。
「……セックスにも依存症ってのはあるんだ」
「はぁ!?おれがそうだって言いたいのかよ!」
「お前がそうだって言ってるんじゃないつったろ……そういう症例もあるって話をしてるんだ」
証拠を見るかと分厚い本を突きつけられそうになり、エースは誤魔化してへらりと笑った。
「……精神的な症状はウイルスや病原菌がある訳じゃねぇから、医者にもどうしようもない。依存症になる原因は、まあ……一口に言えるもんじゃないが……あとこれはおれの私的な見解だが……一時的な快楽の為に依存したり、相手が好きならしなきゃいけないって強迫観念に取りつかれたり、愛情を求める手っ取り早い方法にしちまうと……削れちまうだろ、心とか、色んな物が、」
本の表紙を指先で弄りながら、次第にデュースの声が小さくなっていく。
「おれもそりゃあ……セックスは価値あるものだと思うが……いや、いい、今のは忘れろ」
デュースが自分の性的嗜好を口にするのを初めて見たので思わずじっと見てしまったが、それを察したデュースが溜息をついて机に突っ伏した。耳が赤い。
初心な奴なんだなと思う。きっとセックスをする相手は一対一で、大勢となんて考えもしない奴なんだろう。
「……こういうのって、決まった相手作った方がやっぱりいいんだろうな」
「お、っまえ……」
そこからか、と言わんばかりにデュースは呆れている。呆れている、と思う。少なくともエースにはそう見える。
実際エースにはデュースのような知識がない。元々頭は良くなかったし、物騒な山と治安の悪い町で育ってきた悪童だ。
今更真っ当な人間になろうとは思わない。鬼の血を引く自分がそうなれるとも思っていない。
白ひげ海賊団のみんなは好きだ。みんなと気ままに酒を飲んでセックスをするのは楽しい。
ただ今しがた頼れる相棒が垣間見せた、誰かと愛し合う行為への憧れの片鱗が少し眩しかった。
「いや……まあどっちがいいかってのはそいつ次第だから……おれからは何も言えないんだが……お前は別に結婚してるって訳でもねェし……」
「結婚、ねェ……」
さすがのエースでも知っているが、ひどく自分とは縁遠い言葉でもある。
だらりと座っていた姿勢を正し、片膝を引き寄せた。ギシリと軋む音がする。
「……決まった相手は作った方がいいんだろうけどよ、別に結婚したいとか嫁が欲しいってんじゃねェし、恋人ってのも……相手を縛りつけるようでな、しっくり来ねェ」
自分と契ったらよそへ行く事を許されない。誰かをこんな自分一人に縛りつけておくに等しいその関係性がエースには不自由で相手の為にならないように思えた。
「……」
「……」
沈黙が部屋に満ちる。
「……悪かった」
デュースが深く椅子に座り直す。キィキィとベッドとは質の違う軋む音がした。
「個人的な部分に踏み込みすぎた。……忘れてくれ」
「……」
確かにデュースがエースの私的な領域に口を出すのは珍しい。
デュースがエースを叱るのはもっとかつての船長とその相棒としての職分的なところだったり、単純に命の危機がある時が多かった。
船長としての義務を果たしていないだとか、海軍の跋扈する中平然と食べ歩きをしているだとか。
デュースはいつも地に足を付けた目線を持っている。そして義理堅く、頭がいい。
デュースやミハールらは勉学の基礎ができているので、白ひげ海賊団において知識人として今も非常に重宝されている。先生と呼ばれて信頼も厚い。
かつて白ひげに敗北したくせにそれを認められずあがき続けた期間。決して短くはなかったその期間中、義理も責任も果たさずに白ひげの命を狙い続けていたエースが白眼視されず、どこか愛すべき愚か者のように扱ってもらえたのは先に船に乗って働いていたデュースたちが庇ってくれていたのもあると知っている。
無様に抵抗し続けていたエースにそれでは筋が通らないと説いたのもデュースだった。
デュースはエースが心配なのだろうと思う。
エースが馬鹿であるのをよく知っているから。
手のかかる存在が自分の目の届かないところでとんでもない災難に遭わないか心配になる、そんな気持ちはエースにも理解できた。
白ひげの船に乗って以降、エースとデュースはそれぞれ役職が違うために離れている時間が増えた。こんなにゆっくり話したのはいつぶりだろうか。
真剣に説教してくるデュースの表情を思い返してみれば、えらくおとなびているように感じる。
自分は馬鹿なまま何一つ変わらずいるのに、デュースは着実に大人になっている。
正直、そんな相棒に対して焦りを感じないでもない。
だがそれ以上にそれでもエースを置いて行かず、こうして気にかけてくれるデュースの性分が好ましかった。
やっぱりあの時一緒に来いと手を差し伸べて正解だった、いい奴だな、という気持ちが強く湧いてくる。
後悔を滲ませる横顔を見ていると自然と胸の内が昂る。
その熱はむき出しのままするりとエースの唇からこぼれ落ちた。
「なぁ、……お前もおれとやるか?」
「……は、」
マスク越しのデュースの目がまるまると見開かれる。理知的な薄い唇がぽかんと呆気にとられて半開きになった。みるみるうちにその顔が真っ赤に染まる。
トマトみたいだと思った次の瞬間デュースは猛烈な勢いで椅子から立ち上がった。
「はぁぁ!? お、おまえ人の話ちゃんと聞いてたか!? やらねぇよ!!!!」
知識人らしからぬ上擦った声が耳をつんざいたのでエースは咄嗟に口を大きく開いて笑った。
「ははっ、そうか!」
「お前なぁ…!」
「わかったわかったって、」
説教のおかわりを食らいそうな気配を察し、エースは素早く出口へと身をひるがえす。
「心配すんなって、大丈夫だから」
エース、と名を呼ぶ声は聞こえていたが無視して、颯爽と医務室を飛び出た。
ギシ、ギシ、ギシ、と跳ねるように医務室から遠ざかる足運びに合わせて床が小さく軋む。
やらねぇよ、と若先生らしからぬ大声を浴びたからか、耳の奥が少し痛かった。
続