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    milk04coffee

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    猫の日2年目
    2022-2-22

    猫にてのひら-2「司く〜〜〜〜ん!」
    「どわーっ! 突進してくるんじゃなあーい」

     それはセカイで行う予定のショーの、練習後のことだった。つい先ほど自らの見せ場をこれ以上なく完璧にこなしてみせたえむは、興奮のままに司の名を呼び、その腹に突進を食らわせていた。
     褒めて褒めてとはしゃぐ様は、尻尾があればちぎれんばかりに振っていただろうと思わせるほど。あまりの勢いに息を詰まらせる羽目になった司は、えむの体を引きはがしながらその振る舞いを嗜めた……のだが。

    「ええい、ちゃんと褒めてやるからいちいち突撃するんじゃない!」
    「ほんとに? やったぁ!」
    「ぐおっ……い、言ったそばから……ッ」

     ……ちゃんと褒めてやる、の部分しか伝わっていない。
     結局「まったく」と一言だけ挟んで、頭に手を伸ばして撫でてやる。なにせ今日のえむは、はしゃぎまわって当然、褒めてやるのも当然と思えるほどには絶好調だったので。

    「今日のお前のパフォーマンスはすごかった。今後もこの調子で頼むぞ、えむ!」
    「えへへへ〜、うん! ありがとう、司くん」

     髪が多少乱れるのも気にせず、えむは嬉しそうに笑っている。しばらく撫でられて満足そうにしたえむは、司の隣に立つ類にも期待をたっぷりと含んだ視線を向けた。いつもの類であればそろそろ横から褒める頃だ。えむの頭から手を離しながら、司も隣に視線を移す。
     類は、二人の視線を受けているにもかかわらず、なんだかぼんやりとしていた。

    「類くん?」

     司の視界の下で桃色の頭が傾く。不思議そうな声で名前を呼ばれた類は、今しがた目を覚ましたばかりでもあるかのようにゆっくりと瞬いた。

    「……うん? ああ、えむくん、さっきのはすごかったね。えむくんの身体能力を最大限に活かしたいい演技だったよ」
    「えっ! えへへぇ、類くん、ありがとう!」

     何事もなかったかのように目元を和らげ、いつものように笑う。つい先ほどまでのぼんやり加減はどこへやら、それは本心からの言葉と表情であるように見えた。
     褒め言葉を貰い、えむは無邪気に頬を染める。そのまま少しの間ニコニコしていたえむだったが、次第に視線を彷徨わせ、眉を下げてしまった。先程までの笑顔とは打って変わって、見本のような困り顔だ。

    「……えっとね、えっと。すっごくすっごく嬉しいんだけど……」

     うーんと。えむは何やら躊躇しながら、それでも言葉を続けた。

    「今はいつもの類くんなんだけど、さっきはなんだかもやもや〜ぽやぽや〜ってして見えたから、どうしたんだろうって思って」
    「もやもやぽやぽや、かい? そんなことはないと思うけど……」

     えむの指摘を受けた類は、きょとんとしている。
     その表情は、類の自らの様子に対する無自覚を雄弁に語っていた。何かを覆い隠しているわけではなく、おそらく本当に何も分かっていない。ハロウィンショーの一件以来、司も気にしていたことではあるが、類は自分のことに関してはやけに鈍感になってしまうらしかった。

    「類、本当に思い当たることはないのか?」
    「そうだね、特にはないかな」

     ……これ以上聞いてもどうにもならなさそうだ。司は困り顔のえむと目配せしあった。
     それに気が付いたのか、類もまた、少し困ったような表情を浮かべて口を開く。

    「ええと……。さっきの僕はそんなにおかしく見えていたかい?」
    「ああ。体調が悪いわけではないな?」

     司が類の額に手を伸ばすと、類は無抵抗に、少し屈むようにして司の手を受け入れた。ぴたりと手を当てて、以前撫でてやったときに感じた体温と変わりのないことを確かめる。

    「熱はないみたいだな」
    「だろうねえ」

     そのまま離れていく司の手を、類の視線が追う。それを見ていたえむは小さく首を傾げた。もしかして。えむが先程から続く違和感の正体を掴みかけた、その時のことだ。

     ──類の姿が、衣服を残して掻き消えた。

    「は……はああ おい、類! 類ーッ」
    「えっ、え、えええっ、類くん 類くんどこ行っちゃったの」

     大混乱だった。まさか瞬きひとつの間に仲間が消えるとは思わない。想像だにしない出来事に司とえむは目を見開いて叫び、ただそこにぽつんと残された類の服を掻き分けた。
     掻き分けた隙間から、ひょこ、とちいさな生き物が鼻先を出す。

    「みぃ…………」
    「……えっと、もしかして、類くん?」
    「にゃう」

     それはどう見ても、猫だった。
     えむが発した問いかけに小さな鳴き声と頷きを残して、猫は服の奥へと消えていく。それを見たえむは、はくはくと口を開閉して司の方を振り返った。

    「どうしよう司くん、類くんが猫さんになっちゃった!」
    「お、おお……そのようだな……」

     瞳の中に不安と好奇心の両方を渦巻かせたえむに、司はぎくしゃくと答えた。えむの状況理解が早すぎて、いっそ司の方が追いつけない。
     というか、なぜ、猫。それもこれで二度目である。以前は無事元に戻ったし、その後猫になる兆候は見られなかったからとあまり触れずにいたが、それが良くなかったのか。恥ずかしいだろうからとかまた距離感を見失いそうだからとか、そんなことを考えてしまっていたのが良くなかったというのか!
     司がわなわなと震えながら布の塊を見ていると、こんもりと小さく盛り上がったそれに向かってえむが話しかけだした。

    「類くん、大丈夫だよ。あたしたち類くんが元に戻れるように頑張るから……怖くないよ、類くん」
    「あー……。……。おい、類、持ち上げるぞ」
    「にゃう」

     触れるか触れまいか迷うように手を彷徨わせたえむを見て、司は服ごと類を抱き上げる。司が以前見た状況と同じであれば、この布の下は……そういうことなのだろう。隠れてしまったのもきっとそのせいだ。えむが物凄く優しい声を出し、せいいっぱいの心配りを見せているのが、事情を察してしまった司にとっては居た堪れなくてならなかった。そして察してしまえば、猫の姿とはいえ、えむに触らせるわけにはいかなかった。中身は一歳年上の素裸の男である。双方にとって大変よろしくない。
     以前類が猫になったときの、彼から送られてきた『寧々は呼ばないで』というメッセージ──実際は猫の手で無理に打ったせいで半ば崩壊していたそれを思い出し、司の胸の内は使命感でいっぱいになっていた。えむが気がつく前に、早く隠してやらねばなるまい。頭を全力で回転させた司は、ひとまず狭く人の少ない、そして新たに誰かが入りづらい場所へと移動することにした。

    「とっ、突然こんな姿になってしまって類も戸惑っているんだろう。更衣室の方に戻って面倒をみておくから、えむは寧々たちにも事情を説明してくれるか?」
    「うん、わかった! 類くん、司くんと一緒に待っててね。あたし、急いでみんなに伝えてくるから!」

     伝えてくる。その言葉を聞いた瞬間に腕の中の重みがカチコチに固まってしまったのを感じ、司はぐうと呻いた。寧々たちにこの状態が伝わるのが嫌なのだろう。だが仕方がない。仕方がないんだ。二度に渡る、それも司ばかりでなくえむの目の前で起きた異常事態だ。さすがに伝えないわけにもいくまい。
     とんでもない速さで遠ざかる背に頼んだぞと一言かけて、司は急ぎ足で更衣室へと向かった。今この場で元に戻られては、誰にいつ見られたものかわかったものではない。仲間の尊厳を賭けた道中に、司の心臓はずっと嫌な音を立てていた。





     背と脇がじっとりとしている気がする。元から練習時に汗はかいていたものの、緊張でかいてしまった汗はより不快な感触を齎していた。
     人のいない更衣室で、司は大きく溜息を吐く。備え付けの椅子の上に抱えたものを下ろしてやると、布の中から猫がひょっこりと顔を出した。にぃと細く吐き出された鳴き声は溜息がわりだろうか。

    「なんだってまたこんなことに……」
    「にゃう、にゃうにゃー」

     司のぼやきに、不機嫌そうな声が相槌を打つ。不機嫌なことだけは伝わるが、何を言っているのだかわからない。口達者な類もこうなっては形なしというもので、本人もそれを自覚してか、にゃごにゃごともどかしそうに呻いた。

    「……そうだ、この前のノート!」

     五十音表とはい・いいえが書かれたノートは、今日も司の鞄に入っている。類が元の姿に戻ったことで使い道を失った表も、司が処分するのを忘れていたのでそのままだ。あのノートがあれば類は司に意思を伝えることができる。司は慌てて鞄を探り、お目当てのものを見つけ出して、類の目の前にびたんと勢いよく置いた。

    「類、これで話せるか?」
    『はい』

     肯定を示す二文字の上にぺたんと置かれた猫の手は、そのまま『ぼくのにもつ』『たおるとって』と滑らかに動いた。猫になるのはたったの二回目だというのに、元からそれが己の腕だったかのように動かしている。
     器用なものだな、という感想と同時に、司の頭の中にはひとつの不安が明確な形を持って現れた。

    (……このまま類が本物の猫になってしまったら、どうしよう)

     奇しくもそれは、前回猫になってしまったときに類が抱いた不安とまったく同じものだった。
     このまま猫の体に慣れて、にゃあにゃあとしか鳴かなくなり、いつしかノートを介してすら意思疎通が取れなくなってしまったら? 司は類がすっかり猫になってしまい、自分の家で飼われている様を想像した。滑らかな毛に覆われた体に華奢な首輪だけをつけて、司のベッドをちいさな体で占領しながらのんびりと丸くなる猫の姿を。
     それがあまりにも明瞭に想像できてしまって、ぞっと体を震わせる。

    「だ、だ、ダメだそれは……! 類には人間のままでいてもらわなくては……っ!」
    「にゃー?」
    「急ぎ元に戻る手段を探すぞ、類!」

     類は気圧されたように『はい』に再び触れ、もう一度『たおるとって』の一文を紙面を少し強めに叩いて主張した。

    「う、すまん。今取ってくるからな」
    『はい』

     うん、と言いたいのかもしれないが、そして司が作った表から選ばれた返事でこそあるが、やたらと圧の強く見える『はい』だった。
     想像に囚われて目的を忘れていた罪悪感も相まって、余計にそう見える。慌てて取り出してみれば、類が鞄に放り込んでいたタオルはそのまま服に隠れるよりも融通がききそうな形状と大きさであった。

    「ほら、取ってきたぞ」

     タオルを持ち上げると、類はするりと衣服の中から抜け出してその下へと潜り込んだ。ぱさりと体に被せてやれば類の顔から若干強張りが抜けた……気がする。タオルの使い道は、どうやら司の想像していたもので合っていたらしい。
     頭をひょこりと出した類は、口元を緩めてにゃあと鳴いた。そして慌てたように手元で『たすかるよ』と示す。つい口の方が先に動いてしまうのだろう。もどかしげな様子に、やはり早く解決してやらなくては、と司は胸中で呟いた。

    「それにしても、なぜあのタイミングでいきなり猫に……。前はたしか、オレと遊ぶ予定の日だったな」
    『おきたらああなってた』
    「それで連絡してきたのだったか」
    『ほうそくせいが』

     そこまで指し示して、類は耳と顔をしょんぼりと伏せた。

    『わからないな』

     法則性。猫になってしまう状況にそれが見出せれば、たしかに解決の糸口になるだろう。司は類の前足を見ながら、ううんと頭を捻った。
     どうして猫になってしまったのか。その原因はわからないが……たしかあのときは撫でていたら元に戻ったのだったか。それならまたそうしてやれば、元に戻ったりはしないだろうか。

    「なあ、類──」

     司が思いつきを口にしようとした瞬間、類の耳がひくりと動いた。そのまま扉の方をちらと見るなりタオルの下へと素早く隠れてしまう。彼の幼馴染そっくりの態度に司が反応できずにいるうちに、扉の向こう側から慌てたような足音が近づいてきた。

    「つーかーさーくーん 寧々ちゃんたちに言ってきたよ〜」
    「ちょっとえむ、あ、足っ、速すぎ……!」

     大慌ての足音にはそぐわない元気な声と、息切れの中から発された細い声。えむと寧々だ。
     ゆっくりと上下する以外にはぴたりと動きを止めたタオルに隠れたいきものをちらりと見る。足音に怯えてしまったのかもしれない。いつ開かれるかわからない扉とタオル一枚しかない状況はあまりに無防備だ。
     司はそっと、類の背中らしき部分に手のひらを当ててやった。こんなに人との接触を避けたがっている状態の類が、司だけはここに置いていてくれるのだ。今この信頼に応えず、安心させてやれずして何が座長か。そのためには、この状況をどうにか司だけで切り抜けなければならなかった。類の置かれた状況を考えれば司以外に選択肢が無かっただけのような気もするが、司が勝手に応えてやりたいったらやりたいのだ。

    「はあっ、はっ……、な、なんか、類が猫になったとか、聞いたんだけど」

     なにそれ、と言わんばかりの怪訝そうな声が扉の向こうから聞こえる。

    「いきなり類くんがひゅんって居なくなっちゃったと思ったら、猫さんになっちゃって……だよね、司くん」
    「ああ。説明は難しいんだが、類はたしかにオレとえむの目の前で猫になってしまってな。今は鳴き声しか上げられないが、文字を手で指して意思疎通もできる。見た目は完全に猫だが中身は類のままだ」
    「そんなことある? ……ああもう、よくわかんないけど、わかった。入ってもいい?」
    「いや、今は服が──」

     散乱しているから。勢いのままにそう言いかけて、自らの失敗に気がついた司は狼狽した。
     まずい。服がどうこうなどとあまり言ってしまっては、類の状態が二人にバレてしまうかもしれない。
     突然だったし仕方ないこととはいえ、そうなってはいくら類でもひどく恥ずかしい思いをすることになるだろう。それはなんというか、あまりにも、あんまりなんじゃないだろうか。

    「あー、オレが慌てたせいで鞄の中身を散らかしてしまってな。着替えなんかも出してしまったから、その」
    「なにやってんの」
    「すまん!」

     咄嗟に誤魔化せば、どうにか寧々は納得してくれたらしい。二人を部屋の中に入れないのは正解かもしれなかった。司は演者でこそあるが、日常においてはひどく素直なのだ。今も顔が引き攣っている自覚がある。

    「……たしか、寧々はカイトと話していただろう。あいつらには伝えてあるのか?」

     これ以上ボロが出ないうちにと、司は話を逸らした。

    「うん、言ってきたよ。あたしたちは類くんが気になって先にこっちに来ちゃったんだ」
    「カイトさんがこっちで先に待ってるように言ってくれて……もしかしたら心当たりがあるかもしれないから、ちょっと調べてから来てくれるって」
    「おお! それは頼もしいな」

     なあ、類。そう声をかけると、類はか細くにゃあと鳴いた。尾がタオルの下で地を撫でるように動いたが、顔も見えなければ言葉も伝わらず、何を考えているかは量れない。胸の内側にがらんとした空白ができたような気がして、司は軽く唇を噛んだ。
     ……早く元に戻してやらなくては。
     司自身のためにもそうしたい。声が返らないのが、どうにも寂しかった。
     類の頭から背までを撫でてやりながら、司は考え込む。カイトが無事、手掛かりを掴んでくれればいいのだが。

    「心当たりがあるかもしれないと言うなら、ひとまずはカイトのことを待つか」
    「にゃあ」

     背を撫でたり摩ったり、たまにとんとんと優しく叩いてやったり。宥めるように繰り返しているうち、類の体も解れてきた。次第にごろごろと鳴り出した喉の音が聞こえたのか寧々が「呑気なんだから」とどこか拗ねたように呟き、えむが楽しげに笑う。それが聞こえたのか類はぴたりと喉から鳴る音を止めて、けれども猫の体では我慢がきかなかったのか、数秒後にはまた鳴らし始めた。
     そのうちひょこりと出てきた頭を、指先で撫でてやる。たしか猫はここが心地よかったはずと耳の後ろを掻いてやれば、類は金色の目を細めて司の手に頭を押し付けた。
     類が安心してくれたのならよかったと、そこにばかり気を取られ、司はすっかり忘れていた。
     さっき、えむや寧々がここにくる直前、自分が類に対して何を言おうとしていたのか。思いついたことすべて、安堵の向こうに消してしまっていたのである。
     ──その結果。

    「ごろごろ……んん、にゃ、つかさくん……」
    「どわっおっ、まっ、待て待て待てえい 戻ってる、戻ってるぞお前!」
    「えっ、……う、うわあ」

     見事、前回の二の舞になってしまった。心地よさに引き摺られ司に擦り寄った類は、瞬きひとつの間にぐんと大きくなってしまった体で司を床に押し倒している。珍しくもひっくり返った声を上げ、類は腰元に引っ掛かったタオルの両端を手早くぎゅうと結んだ。

    「…………ごめん」
    「あー、いや、大丈夫だ。どこかおかしなところはないか?」
    「うん、本当にごめんよ……」

     顔色を赤く青く変えながら、類は深刻そうに謝った。司としては不可抗力に他ならないと思うのだが、何を言っても聞き入れそうに見えない。
     類はそそくさと司から離れ、散らばった衣服を乱雑に回収して、荷物の中から着替えを引き摺り出した。その気まずげな様に、あまり見てやるのもよくないなと目を逸らす。

    「ええと……もしかして、もう元に戻れているのかな?」

     いつの間に来たのやら、カイトの声が語りかけてくる。続けて「二人とも、大丈夫?」と、えむが気遣わしげに問うた。

    「ああ……心配をかけてしまったみたいだね。身なりを整えたらすぐに出るよ」

     いつも通りの口調。しかし、その声音は疲労を隠しきれてはいない。ほんの小さな溜息の音を衣摺れの中から拾い、司は目を伏せた。
     急いで着替えたらしい類の「お待たせ」という言葉を合図に扉を開ける。外には心配そうな顔がみっつ、思ったよりも近くで待ち構えていた。

    「やあ、お待たせ。迷惑をかけてしまったみたいですまないね」
    「ほんと……」

     何か言い返そうとした寧々はそこで言葉を止め、「心配した」と小さく呟いた。うん、と類が返せば、あの幼馴染ふたりは何かを互いに納得したらしい。年月の積み重ねといったところか、二人は司たちには量れないコミュニケーションをすることがある。

    「類くん、元に戻ってよかったよう……!」
    「ありがとう、えむくん」
    「まあ、ひとまずはよかった、でいいだろうな。感動の再会に水を差すようで悪いが──カイト、お前が言っていた手がかりの話をしてもらってもいいか?」
    「そうだね、僕もぜひ聞かせてもらいたいな。実のところ猫になってしまうのは二回目なんだ、手がかりがあるのなら些細なことでも知りたい」

     二回目。触れていいものやらと司が避けていた言葉を、類は自分自身で堂々と口にした。

    「二回目、かい?」
    「この前のオフの日に、一度ね。カイトさんはセカイの中に心当たりがあると踏んだんだろう? 僕の体に異変が起きたこと、それがセカイに関わる可能性があるのなら──」

     言葉を途中で打ち切って、類は何やら考え込んでいるようだった。話を続ける気がないのならと仕方なしに口を開く。

    「こいつがまたいきなり猫になってしまうようでは困る。神代類あってこそのワンダーランズ×ショウタイムなのだからな」

     司の言葉に、類が目を瞠る。
     ……何を今更驚いているのだろう。類だってそれは重々承知のくせに。司が怪訝に眉を寄せはじめたところで、類はこくりとどこか幼く頷いた。
     その様子を見たカイトが優しく笑う。見守るような雰囲気のまま、彼は口を開いた。

    「そうだね。それにその日なら、やっぱりそうかもしれない」
    「そう、とは?」
    「えーと……なんというか、最近セカイでは魔法使いごっこが流行っていてね」
    「魔法使いごっこ」

     聞いていた四人の声が、綺麗に揃った。魔法使いごっこ。予想外の言葉に司はぽかんと口を開ける。

    「えーっ、楽しそう!」
    「あ……わたしそれ、見かけたかも。たしかに楽しそうだったけど、関係あるのかな」
    「うん、問題はそこなんだ。流行っているのはごっこ遊びだから、類くんみたいに猫になってしまうだとか、そんな話は僕も聞いたことがない。でも……ただ、ここは想いのセカイだから」

     カイトが思案するように首を傾げる。

    「何かが起きても、おかしくはないかもしれないな、と思って」
    「想いの……。ということはまさか、オレが何か思ったせいで類がこんなことになっている可能性があるということか」
    「えっ!」

     えむが驚いたような大声を上げ、おろおろと腕を上下させる。必死に何やら言おうとしているようだが、不甲斐ない座長をフォローしてくれようとしているのだろうか。
     情けない。これで司の想いが原因だとすれば、無自覚だなんだと類のことを言っていられないことになる。

    「……すまん、類」
    「司くんが望んだわけじゃないんだろう? すごく心配してくれたじゃないか」
    「そうだよ! それにこのセカイの魔法なら、類くんが困るだけのことはしないんじゃないかなあ」

     えむの言葉に、三人が頷く。その言葉と首肯はつまり、司は類を困らせ苦しめるだけのことはしないだろうという信頼だった。

    「たしかにそうかも。びっくりするようなことはあっても、すごく困るようなことはここじゃ起こりそうにないっていうか」
    「僕もこのセカイの住人として、そう思うよ」

     うう、と目に涙を溜めて、司は四人の顔を見渡した。一番この事態に疲労し困惑していたはずの類は、そんな司の顔を見て表情を和らげている。

    「類くんは一人でセカイに来ることも多いから、誰かが類くんに魔法をかけていないか、そういう場面を見かけていないかと思ってさっきまで聞き込みをしていたんだけど……」

     そこまで言うと、カイトは眉を下げてしまった。

    「もしかしたら、という子たちは居たんだけどね。どうにも魔法の内容を教えたくないって、口をつぐんでしまっていて」
    「……カイトさん、それってもしかして、イヌとネコのぬいぐるみだったりする?」

     黙って話を聞いていた寧々が、おずおずと口を問うた。カイトははっとしたように寧々と目を合わせ、ゆっくりと頷く。

    「さっき寧々ちゃんが見たって言ってたのは、もしかして」
    「イヌとネコのぬいぐるみが持ってた杖から何か出て、類の足にぶつかったみたいに見えたのを思い出したの。類も気づいてなさそうだし勘違いだと思ってたけど、そうも言ってられなさそうだから」

     類の方をちらりと見ながら、寧々は胸の前でちいさく指を組んだ。

    「ほんとは無理に聞かない方がいいんだろうけど……居場所がわかるなら、類にだけなら言ってもいいか、聞きに行きたい」

     寧々の申し出に、カイトは快く頷いた。ぬいぐるみたちは後からその場に現れたミクが相手をしており、今も同じ場所にいるだろうとのことだった。

    「なら、僕もついて行きたいな。自分のことだしね」
    「それならオレたちはここで待っていよう」

     カイトの案内に付いて類と寧々が話をしに行き、それを司とえむが待つ。司としてはもどかしい限りだったが、それが現在できる最善だった。
     目配せすれば、えむはこくりと頷く。本人が何をするわけでもないだろうに、ぎゅっと両の拳を握ってやる気満々に見えた。
     それじゃあとその場を立ち去る背を視線で追いながら、司は考える。
     ── オレが何か思ったせいで、類がこんなことになっている可能性。
     先ほどみんなが否定してくれたはずのそれを、司は切って捨てることができずにいた。なにせ司は前に類が猫になったとき、彼が人に戻った後になっても、撫でるのを辞められずにいたのである。あんなに直接的に甘えてくる類は珍しく、くたりと預けられた頭の温もりと重みは心地が良かった。あんな異常事態を掘り返さずにいたのは、単に司自身が取り返しのつかない感情を抱えかけていたからに他ならない。
     もう一度あの感覚を、味わいたいだとか、そういう想い。それからもっとそれ以上の何か、気がつく前に目を逸らした方がいいのではと予感のしていたそれ。

    「司くん」
    「むむむ……」
    「司くーん」
    「いやしかし……」
    「つーかーさーくーん!」

     腕を掴んでゆさゆさと揺らされる。そこまでされてやっと、司は自分が呼ばれていることに気がついた。

    「っ、すまん。考え事をしていた」
    「ううん。あのね、あたし、言いたいな〜って思ってたことがあって」

     えむは歌う花たちそっくりに目をぎゅっと閉じて、勢いよく言った。

    「──類くんのこと、いっぱい褒めようわんだほい! 大作戦!」
    「いっぱい褒めようわんだほい大作戦?」
    「うんっ。……あのね、類くん、平気そうにしてたけど、すっごく疲れちゃってるみたいに見えたから」
    「そうだな」
    「司くんに褒めてもらったら、嬉しいと思うんだ」
    「んっ、んん? そう、だな?」

     話が少し飛んだ、気がする。
     たしかに褒められるのは嬉しい。ただ、疲れているときに過剰に褒めるのは少し違うような気もするし、何より司だけが褒めるような口ぶりなのもよくわからない。
     司が首を傾げていると、えむは視線をやけにうろうろとさせながら言葉を続けた。

    「えっと、ええっと……あのね、司くん、さっきあたしのこと撫でてくれたでしょ?」
    「ああ。今日は本当にすごかったな」
    「ありがとう! それでね、ああいうふうに類くんのこともよしよしってしてあげたらいいんじゃないかなって思ったの」

     あ、この話、さてはここが本題だな。普段は鈍感気味の司であるが、いまこの時に限っては勘が働いた。今しがた悩んでいた行動と直結する話題を出され、さすがに気がつかずにはいられなかったとも言う。

    「撫でて褒めてやれ、ということか。……しかし、今はちゃんと人の姿なんだぞ? さすがに嫌なんじゃないか?」
    「え〜!」

     以前は擦り寄ってきたが、類もあのときのことには一切触れようとなかったのだ。猫になったせいで判断能力を失っていただけで、やっぱり嫌だったのかもしれない。そんな考えから発された反論に、えむは悲しげな声を上げ、うるうると瞳を潤ませた。

    「そんなことないよ、司くんがなでなでしたら類くんもきっとふわふわ〜しあわせ〜ってなるよ!」
    「類はお前じゃないんだぞ」
    「で、でもぉ……」

     諭すように言えば、えむは諦められないと言わんばかりに食い下がる。試してみるだけでもいいからだとか、猫さんがごろごろ言うのはほわほわしてるからなんだよ、類くんは司くんと居るとほわほわしてるんだよだとか。

    「ええい、わかった、わかったから!」
    「ほんと」

     半泣きで繰り返される言葉の数々に、司はついに折れた。なぜ司が類を撫でることにえむが執心するのかはさっぱりわからないが、あまりの必死さに折れざるを得なかった。

    (……だが、結局これはオレが得をするだけなんじゃないのか……?)

     それもそれでどうなんだ。いや、類が少しでも嫌がる素振りを見せたらやめればいいのだろうか。
     複雑な思いを抱えつつ、司は類たちの帰りを待つことになった。





     戻ってきたのは類と寧々の二人だけだった。出ていったときの真剣そうな様子はどこへやら、寧々は妙に据わった目で「それじゃ司、あとはよろしく」と一言残して類の背を物理的に押す。とんでもない変わりように、司は目を白黒させた。

    「えむ、あとは二人にしてあげよう」
    「ほえ?」

     きょとんとした顔で首を傾げたえむは、僅か考えた後にこくりと頷いた。うん、と元気のいい返事をして、キラキラとした目で司を見遣る。大きな瞳の中に「がんばれ!」の文字が見えるようだった。

    「わたしたち、別の場所で着替えて帰るから。おばさんたちとか天馬さんのこと心配させないくらいの時間には帰りなよね」
    「司くん、類くん、また明日〜!」

     類は聞いているのかいないのか、ぼんやりとそこに立っている。ぽかんとする司をその場に取り残して、二人は風のようにその場を去っていった。

    「お、おお……また明日……」

     辛うじて背中にそれだけを投げかけたところで、司ははっと正気に戻った。

    「いやいやいや、結局なんだったんだ なんの魔法だったのかはちゃんとわかったのか」
    「わかったよ、今日のことだけだけど」
    「うおっ」

     えむくんに挨拶しそびれてしまったな。ぽそりと呟いて、類は大きく息を吐いた。

    「類、大丈夫か? なんだか随分と疲れて見えるが……そんなに難儀な魔法だったのか?」

     くったりと曲がった類の背中は今まで見たこともないほどに疲れて見える。

    (……いっぱい褒めよう大作戦、か)

     司は類の頭にそっと手を伸ばし、その髪を掻き混ぜるように撫でた。こんなに疲れるまで気を張って、えむや寧々が立ち去るまではしっかりと立っていたのだ。労ってやりたかった。
     屋外のステージに立つせいか軽く傷んでいる髪に、今度手入れでもしてやるべきかと思いながら、司は今しがた自らが乱した髪をそっと整えるように梳いてやる。無抵抗に掌を受け入れていた類は、そのうち控えめに擦り寄ってきた。猫のような仕草で、もっと、そう強請るように。
     ──出会ってすぐの頃には、近づくとすぐさま身を引いていた類が。
     ついさっきも撫でてほしがっている様子だったとはいえ、猫の姿での話。仕草も態度も猫のようになってしまっていた先程とは違い、今の類は人間だ。前回はされるがままに撫でられていたとはいえ、嫌がられるかもしれないと思っていたのに。
     あの類が、それもひどく直接的に、甘える素振りを見せている。そういえば猫になる前にも、素直に額を触らせてくれていた。どうにも胸の内側が擽ったくなって、司は顔に笑みを浮かべる。頬がじんわりと熱い。赤く染まっているかもしれない。
     気恥ずかしさを覚えながらも類の様子を窺い見れば、彼はどこかぼうっとした表情で淡く頬を染め、司のてのひらに懐いていた。

    「お前」
    「ん、なに……?」
    「いや、なんでもない。なんでもないぞ!」
    「そう。……ねえ司くん、もっと」
    「は」

     息が止まる。今、こいつはなんと言った?

    「も、もっと……その、撫でてくれる、かい?」
     
     かあっと顔から首までを朱に染めて、類は気まずげに強請る。

    「お前、無理に言ってるわけでは」
    「ないよ」
    「……オレが撫でたいからといって、合わせているわけじゃないな?」
    「ごめん待って、なにそれ」

     撫でてと強請ったくせに勢いよく身を離して、類は焦ったように司の顔を凝視する。なにそれ、ともう一度繰り返して、今度は司の肩に額を伏せた。
     離れたり近づいたりと落ち着きがない。困惑する司の肩口で、類がぽそぽそと言葉を落とした。

    「……司くん、そんなに人のこと撫でるの好きだっけ」
    「うーん、撫でることはよくあるかもしれんが」

     今日もえむの頭を撫でたし、咲希の頭もよく撫でている。冬弥のことだって、今はあまり機会がないが、昔はたくさん撫でてやった。だが。

    「お前にするのとは、なんとなく違う気がする」

     そうでもなければ、自分のせいで類が猫になってしまったかもしれないと悩むことはなかっただろう。
     近づいた温もりに、なんとはなしに頬を寄せる。こうも近づいた相手など家族くらいかもしれない。不思議と嫌ではない──どころか好ましくすら感じるもので、よくわからないが類も嫌がらないのならいいかと、司はそのままの姿勢で類の頭を撫でてやった。

    「なにそれ、ほんと……」

     ぐう、とよくわからない唸り声をあげて、類は司の後頭部に手を回す。なぜだか類まで司の頭を撫で始めたものだから、よくわからない格好になってしまった。

    (……まあ、いいか)

     したいようにさせてやろう。てのひらから与えられた温もりは、類がもっとと言うのもわかるくらいには心地がいい。

    「それにしても、結局魔法のことはどうなったんだ」
    「しばらくこうしてくれてたらいいよ。それで解けるはずだから」

     にゃあ。
     妙にリアルな猫の鳴き真似をして、類は強く頭を擦り寄せてくる。
     触れ合う心地よさと、類もこれを好んでいる事実のふたつを知ってしまった今、いよいよ離れがたくなってしまった。

    (……明日からも、頼めば触れさせてくれるだろうか)

     期待を胸に抱えながら、今はふわふわとした幸福感に浸るべく、司はそっと瞼を閉じた。



    【おまけ】


    「素直になる魔法、って、言ってたよ」

     ぬいぐるみたちは、類にだけならば言っていいと恥ずかしげに頷いてくれた。気を遣ってその場に残ったカイトが見えなくなるまで歩き、じゃあ言うからと宣言した寧々の口から発された言葉がこれだ。
     素直になる魔法。
     ……素直になる魔法?

    「猫になるのがかい……?」
    「それはわかんないけど」

     唇をつんと尖らせて頬を染め、寧々は照れたように視線を彷徨わせた。

    「……司が類に何かして元に戻ったなら、そういうことなんじゃない?」

     頭が蕩けるような心地よさを思い出す。高めの体温が額をなぞり、頭を撫で、背を摩る感触を。
     ……たしか寧々は、類が喉を鳴らすのを聞いていたはずだ。そんなものを聞けば、類が何をされて元に戻ったのかくらいは想像がついてしまっただろう。
     じわじわと頬に熱が集まるのがわかる。顔を隠すこともできないまま硬直する類に、寧々は呆れたようなため息を吐いた。

    「好きなだけお願いしたらいいじゃん。司ならやってくれるでしょ」
    「寧々、君、魔法に掛かったのが自分じゃなかったからって……」

     羞恥で掠れきった声に、幼馴染は「はいはい」と適当な返事だけを寄越した。ついさっきまでは心配してくれていたはずの彼女の態度は、今やまさしく他人事であった。





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    milk04coffee

    DONEセカイの少し不思議な話(リクエスト)
    セカイの不思議な、キラキラ綺麗な存在に囲まれて現実にいるときより少しまったりしている二人

    まったりしすぎて寝てしまいました。
    大変遅くなったもの。申し訳ありませんでした…!
    2021-11-07
    その想いはまだ、曖昧なまま 想いの曲を再生してセカイへと訪れたのは、夕飯時を少し過ぎ、そろそろ眠る準備でもしようかという時刻だった。特に誰かと何か約束していたわけでもなければ、相談があるわけでもない。少し落ち着いて考え事をしたかったというだけだ。リビングの音が筒抜けの自室はひっそりと思考に耽るにはあまり向かないものだから、セカイの隅でも借りようと考えたのである。
     考え事というのは、ほんのちょっとしたことだ。最近心の内側を擽られるような、なんだかそわそわと落ち着かなくなる感じがすることがあって──そしてそれが落ち着かないだけではなくて奇妙な心地よさを伴っているのが不思議で、その感覚をゆっくり見つめてみたくなったのだ。
     静かな自室から賑やかなセカイへと移動して辺りを見渡すと、はしゃぎながら戯れるぬいぐるみたちが遠目に見えて、思わず頬を緩める。現実世界は夜を迎えていても、ここの住民はまだまだ元気らしい。
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