その想いはまだ、曖昧なまま 想いの曲を再生してセカイへと訪れたのは、夕飯時を少し過ぎ、そろそろ眠る準備でもしようかという時刻だった。特に誰かと何か約束していたわけでもなければ、相談があるわけでもない。少し落ち着いて考え事をしたかったというだけだ。リビングの音が筒抜けの自室はひっそりと思考に耽るにはあまり向かないものだから、セカイの隅でも借りようと考えたのである。
考え事というのは、ほんのちょっとしたことだ。最近心の内側を擽られるような、なんだかそわそわと落ち着かなくなる感じがすることがあって──そしてそれが落ち着かないだけではなくて奇妙な心地よさを伴っているのが不思議で、その感覚をゆっくり見つめてみたくなったのだ。
静かな自室から賑やかなセカイへと移動して辺りを見渡すと、はしゃぎながら戯れるぬいぐるみたちが遠目に見えて、思わず頬を緩める。現実世界は夜を迎えていても、ここの住民はまだまだ元気らしい。
「……オレの想いから生まれたセカイ、か」
このセカイは、そしてこのセカイと繋がる歌は、司の想いから生まれたそうだ。ふとそれを思い出して、司は辺りを見渡した。
このセカイや歌は君の想いから生まれたんだ、なんて言われても、司としては自覚もないし、歌だって自分ひとりの想いから生ったものだとは思っていない。ここに順応するのだって、えむや類に比べてずっと時間がかかった。最初は夢だと思っていたし、こんな荒唐無稽で非現実的なおかしなセカイなんて到底受け入れられなかった。落ち着いてなどいられない、ハチャメチャが過ぎる、気を張っていなければどんな目に遭わされるか。そんなふうに思っていたくらいだ。
それが今や、自ら進んでここに来るくらいには愛着を持っているのだから不思議なものである。
「司くん、やっほ〜っ」
「ミク」
ぼんやりとしていた司の視界の外から、ひょこり、と青みがかった色の頭が現れた。何やらやたらと大きなブランケットを抱えたミクが、ニコニコ顔で司の顔を覗き込む。
「遊びに来てくれたの?」
「うん? いや、今日はなんというか、ちょっとした考え事をしに……だな」
「考えごと?」
司の言葉を聞いたミクは、心配そうな顔で復唱した。どうやら何か悩みでもあるかのように捉えられてしまったらしい。
「心配はいらんぞ、悩んでいるというわけじゃない。なんとも言い表しにくいんだが、一人で少し考えたいことがあっただけなんだ」
「そっかあ。ミクたちのお手伝いがいるときは、いつでも言ってね!」
「ああ、ありがとう。……そういえば、ミクこそどうしたんだ? ブランケットを持っているということは、またルカがどこかで眠ってしまいでもしたのか」
「えっとねー……うーん……そうだ! せっかくだから司くんが持っていってあげてほしいな」
質問には答えないまま、ミクは目を輝かせて司にブランケットを押し付けた。もふり、という柔らかな感触を確かめながら、司は眉を顰める。
「オレの質問聞いてたか?」
「うん。着いてからのお楽しみだよ〜」
「なんだそれは」
「ゴーゴー司くん! あっちに行ったらわかるからっ」
「ああもう、わかった、わかった! あっちに行けばいいんだな」
「うん!」
無邪気に笑うミクの姿からは素直な善意しか感じられない。まったく、と一言呟いて、司はミクの指示に従ってやることにした。せっかくだからという表現からは、司が持っていけば相手も喜ぶだろうという考えが読み取れるようでもあったことだし。
ミクがそう捉えていることは司にとっては嬉しい事実に他ならない。押し付けられて仕方がなく、というような物言いこそしたものの、嫌な気分になりはしなかった。
ブランケットを抱え直してミクが指した方向へと歩いていくと、ルカのお気に入りの芝生に寝転がるぬいぐるみが数体見えた。もう遅い時間だし、寝転ぶにいい場所だ。彼らも眠くなってしまったのかもしれない。いつも寝ているルカはともかく、ぬいぐるみたちは一度起こして、寝床へ戻るように促した方がいいだろうか。
そんなことを考えながら歩を進めた司は、その先に現れた人影を見て目を丸くした。なぜならそこにいたのは、ルカではなくて。
「……類?」
ぬいぐるみたちにピタリと寄り添うように囲まれて、類が目を閉じたままゆっくりと胸を上下させている。長い手足を芝生の上に投げ出したまま、司の接近にも気がつかないくらいには深く眠っているらしい。
こんな時間にここで眠っていては後で眠れなくなるのではないか。このまま長い時間を過ごしたら、類の家族も彼が家にいないと気がついてしまうかもしれない。
(──とはいえ、こうも気持ちよさそうに眠っていては起こすのも忍びないな)
ミクもそう思って、ブランケットを持ってきたのだろうか。セカイの外でも類と会える司に対して「せっかくだから」などとという言い方をした理由はわからないが、託してもらったからにはミクの考えを継いでもいいかもしれない。あと少しだけ眠らせて、それから起こしてやればいい……なんて、起こしたくないがための言い訳のような気もするけれど。
つい甘やかそうとしてしまう自らに苦笑しながら、司は屈み込んだ。すやすやと眠る類の顔はいつもよりもずっと無防備であどけなく見える。その顔をよくよく見れば、目の下には薄らと隈が浮いていた。
「また、新しい演出でも思いついたのか?」
そして眠るのを忘れ、最終的にここで寝落ちてしまったのだろうか。
「寝るならちゃんと布団で寝ろ、布団で」
小さく声をかけると、類はむずがるように芝生に頬を擦りつける。類が動いた拍子に目が覚めてしまったのか、彼にひっついていたぬいぐるみたちは眠たげに目を擦りながら身を起こした。
「ツカサクン……?」
「ああ、おはよう。起こしてしまったか」
「ウウン。デモ、マダ……」
司を見て声をかけてきたぬいぐるみは、そこまで言って眠たげにあくびをする。フワァ、という声につられて、司もまた大きくあくびをした。
「ふわあ……。ん、お前たち、起きたなら少しだけ離れてくれるか? 類にブランケットをかけたいんだ。そのままだとお前たちが埋まってしまうからな」
「ハーイ」
ふわふわのブランケットを静かにかけてやれば、類は口元をふにふにと動かして、幸せそうに微笑んだ。すっかり安心しきった様子で眠り込んでいる。その心地よさげな表情に心の奥が擽られるような感覚を覚え、司は目元を弛めた。
……セカイを訪れる前にも味わった感覚だ。そわそわとして、擽ったくて、落ち着かない。
近ごろはずっと、この調子だった。ふとした瞬間に不思議な心地がする。たとえば、今は伏せられた瞼の下の金色が司を見つけて嬉しげに細まるときだとか、かけられる声が他者に向けられるものより楽しげに弾んでいることに気がついたときだとか、それを思い出したときだとか、そんな瞬間に。
「ん……つかさくん……」
「むっ」
突然発された輪郭のぼやけた声に、司とぬいぐるみたちは一斉に口を覆った。
「……起こしたか?」
「ルイクン、マダ寝テルミタイ……?」
そうっと、そうっと。一体のぬいぐるみが類の顔を覗き込んで、ほんの小さな声で司の問いに答えを返してきた。類はといえば、「そう、ステージの……」とふにゃふにゃした一言を溢して、すうすうと寝息を立てている。
どうやら寝言だったらしい。司とぬいぐるみは、顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
「夢の中でもショーのことばかりみたいだな」
さすがというか、なんというか。そう頷いた司の足にもたれかかりながら、一体のぬいぐるみが首を傾げて言った。
「ルイクン、ツカサクンのユメを見テルノカナ?」
「な……」
言われてみれば、たしかに。起こしてしまったかという懸念や、ショーに関係する夢らしいということに気が向いていて失念していたが、類はたしかに司の名前を呼んでいた。
彼の夢の中に自分がいる。そう思うと、司の胸中の不思議な感覚は、一気に存在感を増した。
もう、擽ったいなんてものではない。嬉しくて、落ち着かなくて──なんだか、どきどきする。
いやいや、ただの夢だろう。司だって類たちが出てくる夢を見たことはあるし、ステージの話をしているのだから、類の夢にはえむや寧々だって出てきているかもしれない。そう思い直して気を落ち着かせようとしてはみるものの、どうにもそれは難しかった。
だって、あんなに安心しきったような顔で、幸せそうな微笑みを浮かべて、名前なんて呼ぶから。
「ルイクン、イイナア。ボクもツカサクンのユメ、見タイヨ〜!」
「ウン、トッテモ楽シソウダモンネ!」
ぬいぐるみたちは考え込んでしまった司を他所に囁き合っている。彼らの言葉を聞いて、そうだろうな、なにせオレだから、などと思ったところで司はひとつ納得をした。
そうだろうそうだろう。オレだからな。夢に出てくれば嬉しくて楽しくてたまらないだろう。幸せそうな表情になるともいうものだ。
「それなら、オレのことを思い浮かべて寝るといい。楽しい夢を見られること間違いなしだ」
ぬいぐるみたちを一体ずつ優しく撫でてやれば、彼らはだんだんと眠たげな顔に戻っていく。
「モウチョット、寝テイコウカナ?」
「ツカサクンもイッショに寝ヨウヨ〜」
「いやしかし、こんなところで寝てしまっては後で支障がだな……。お前らも自分の寝床で寝た方がいいんじゃないのか?」
「コノ芝生はトッテモ優シイ場所ダカラ、ダイジョウブ。ステキなユメを見ラレルンダヨ」
「アッタカイ気持チにナレルンダ〜。寝テミタラワカルヨ!」
だから一緒に寝ようよ、と、ぬいぐるみたちは眠たげな声で愛らしく誘った。纏わりつくふわふわの感触が心地よく、説得の最中であるというのに「ふわあ」とあくびが出てしまう。
その様を見たぬいぐるみたちの、期待の込もった視線を受けて、司は言葉に詰まってしまった。ダメだダメだと言ってやりたいところだが、正直なところ司も眠くなり始めている。足の裏に感じる芝生の感触は柔らかで、辺りはぽかぽかと暖かい。
(……アラームをかけておけばいいか)
どきどきしたせいか疲れてしまったことだし、ほんの少し微睡むくらいなら。
短めの時間でアラームをかけて、司はその場に横になろうとした、のだが。
「ツカサクン、風邪ヒイチャウヨ!」
ポムッ、と腕に衝撃が加わる。
「アッタカクシナキャ!」
腕をポムポムと叩いているのとは別のぬいぐるみたちが、類に掛けられた大きなブランケットの端を持ち上げる。ここに入れということらしい。
いくらなんでも、平均身長を超える男子高校生が二人詰め込まれればさすがに狭い。抵抗しようとした司だが、「イツモはツカサクンが言ッテルコトダモン」という声に負け、ついにはブランケットの中へと押しやられてしまった。
……類の顔が、すぐ隣にある。
せめてもの抵抗に、寝顔からはそれとなく視線を外した。目に入れたくないわけではないが、直視するには近すぎる。
司が姿勢を落ち着けた頃、ふたりを囲むように、ふわふわとあたたかなぬいぐるみたちが寄り添ってきた。類に背を向けて腕の近くにいた一体を気まぐれに抱きしめてやれば、そのぬいぐるみは嬉しそうに小さな笑い声を漏らす。ブランケットの重みと腕の中のやわらかな感触、背中側から感じるひとの温もり。それらがもたらす心地よさに身を任せるように、司は目を閉じた。
誰もが夢の中へと行くために瞼を閉ざせば、やってくるのは静寂だ。その静けさの向こうから、眠りを誘う穏やかな歌声が聞こえる。どこか聞き覚えのある懐かしい旋律を奏でているのは、歌う花たちだろうか。
(オレの想いの中にあるもの……)
はじめは受け入れられずにいたこの場所も、忘れてしまっていた想いも、心の中に元々あったもの。花たちの歌が懐かしいのも、司の記憶の中に残るものが歌われているからなのだろう。
背後の体温が軽く身動ぐのを感じて、司の胸中にまた、擽ったさが広がる。想いの中のこんなに柔らかな場所に横たわられているのだから、擽ったいのも道理なのかもしれない、なんて。
類が先ほどしていたように、芝生に頬を擦り寄せてみる。穏やかな寝息と自分の呼吸が段々と揃いゆくのを感じながら、司は微睡みの中に落ちていった。
○
目を覚ますと、目の前に朝焼け色が広がっていた。
思わず声を上げかけたのをぐっと堪え、類はぱちぱちと瞬きを繰り返した。どういうことだろう。それに、いつの間にやら何かに抱きついて眠っていたようで、腕の中には心地よい温もりが──。
(いや、いや……えっ? 司くん、だよね?)
寝起きのぼやけた視界がはっきりとしてくるにつれ、目の前にあるそれが誰かの頭であることがわかる。毛先に向かって赤味を帯びていく特徴的な色の金糸は、このセカイを創り上げた想いの持ち主のものだ。
インスピレーションを貰いに。好奇心を満たしに。類としてはどういう言い方でもいいのだが、このセカイを探りたくなってここに来たのは夜になってからのことだ。そして笑顔でいっぱいのぬいぐるみたちの様子を見たり、楽しげな空気を感じているうちになんだか眠くなってきて、ルカがよく眠っている芝生で一人寝落ちてしまい今に至る……はずなのだが。
腕の中にある体はすっかり寝入ってしまっているらしく、ゆっくりと規則的な呼吸を繰り返している。後からやって来たらしい司が自らこの体勢になったとは考え難いから、類の方から温もりを求めて寄っていってしまったのだろう。
司の少し高めの体温はぽかぽかと心地よくはあるが、目覚めてしまえば気まずいことこの上ない。せめて少し距離を取りたいが、背中側にも何やらもふもふとした感触が張り付いているせいで離れることも起き上がることもできない。恐らくこのもふもふはぬいぐるみの感触だろうし、このまま起き上がれば彼らを起こしてしまうことになるだろう。いつの間にか体にかけられていた毛布も、類が起きれば持ち上がってしまう。
(そういえば……この毛布は司くんが持って来てくれたのかな)
ルカにもそうしているのだと聞いたことがあるし、きっとそうだ。お兄さん気質の彼は、仲間に対しても世話を焼くことが多々あることだし、今回もきっとそうなのだろう。なぜこの時間に起こして家に帰らせようとしなかったのかはわからないが、勝手に寝落ちていた類を放っておかないあたりは彼らしいかもしれない。
普段の騒がしさとは少し異なるお兄さん然とした司の姿を思い浮かべ、類は小さく首を縮めた。毛布に口元を埋め、あたたかな布からはみ出した足先を軽く擦り合わせる。
……司のことが知りたい、と、思う。今日こうしてここで眠っている理由も、お兄さんとしての彼の姿も、幼い頃の彼のことも、その心に宿した想いや記憶、その全てを。
最初は彼自身よりもこの場所に関心があった。この不思議で楽しいセカイについてもっと知りたくて、そのためにあちこち歩き回ったり、ぬいぐるみを調べたりもした。今もセカイについて調べるのはやめていないが、関心の方向や抱く感情は以前とまったく違うものだ。
司のことが知りたい。この不思議で楽しいセカイについてもっと知りたい。彼自身に聞けば格好つけて隠してしまうようなことも、この広大なセカイを創り上げるほどの想いも、その想いがどうやってこんな形を成しているのかということも、知りたくて知りたくてたまらない。
「……もっと、教えて。司くん」
誰も起こしてしまわないように、本人の耳になんて届かないように、類は口の中でそう呟いた。
もとより好ましいと感じた物事への好奇心は人一倍なのだ。類自身でも止められないくらいには、類の知識欲は強い。人間に対してこうまで深く知りたいと思うことなんて、今まで無かったことだけれど。
こんなに知りたいと思うのは、いったいなぜなのだろう。己の感情でさえ未だ知り得ない不思議に満ちている。
全て知りたいと望むくせ、きっと何をどこまで知ったところで類の知識欲は満たされきることなどなく、司への興味が失われることもない。そんな気がする。なにせあんなに不思議な人だ。他者を惹きつけ笑顔にする、花のような人だ。
そんな人に出会うことができたこと、それは。
(なんて、幸せなことだろう)
胸の内側に、不思議な心地よさを伴った擽ったさが満ちる。伝わってくる少し高めの体温を感じながら、類の意識はゆっくりと閉じていく。
一分後、司が設定した大音量のアラームにみんなで飛び起きるまでの僅かな時間、類はどこまでも優しく幸せな微睡みの中にいた。