次回はハートマーク滝川は実のところ、甲斐甲斐しく世話を焼かれるのがあまり好きではない。けれどなぜだか、世話を焼きたい、尽くしたいという女性からよくモテた。
あなたのためにと愛を理由に差し出される奉仕は、一見無償のようでいて対価としてより大きな愛を求められる。滝川は己をある程度自分勝手でマイペースな人間だと評価していたし、それはあながち間違いでもなかったので、求められる愛を求められた時に求められた以上の分を差し出すことができなかった。そう、求められた分だけを差し出すのでは元恋人たちは満足しなかった。『このくらい返ってくるはず』と彼女たちが勝手に見積もった量よりもっと多く返すことができない期間が続くと、そのうちに『本当は私のこと好きじゃないんでしょう?』と泣かれてしまうのである。
無論、世の中の女性たちがみなそうであるなどということはないだろうから、まあそのうち相性のいい相手が見つかればいいなあ、などとぼんやりしているうちに出会ったのはなんと年下の男であった。
「めっっっちゃ美味い」
安原の部屋で、滝川は恋人お手製のオムライスに舌鼓を打っていた。
「この前作ったチキンライスバージョンとどっちが好きですか?」
「あれもすげえ美味かったけど、こっちかも。いやでも……」
ウインナーと玉ねぎの入ったケチャップライスに薄焼き玉子の乗せられた本日のオムライスは、安原曰くオコチャマ仕様らしい。たしかに、先日は香ばしい本格的なチキンライスにとろとろの半熟卵がかけられており、それも大層美味しかった。
「旗でも立てたくなる味ですよね、これ。僕、昔チキンライス苦手だったんですよ。キノコもあんまり好きじゃなかったし、焼いた鶏肉も……それで母が子供が好きな味にしようってんでマッシュルームも鶏肉も抜いて、代わりにウインナーとしっかり炒めた玉ねぎだけの具で中身を作ってくれて」
「じゃあこれは安原家の母の愛の味なわけだ」
「ただし母は卵でご飯をしっかり包んでくれましたけどね。僕は失敗が怖くて乗せちゃいました。卵料理って難しいんだもん」
「前の半熟のやつ綺麗だったけど」
「薄焼きにするよりあっちのが簡単なんです実は。あれ、湯煎だし。フライパンにお湯沸かして、そこに卵入れた小鍋浸けて混ぜ続けて、そこそこ火が通ったらチキンライスにかけるっていう。ネットで見かけたやり方です」
「なるほどねえ」
滝川はあまり料理が上手くはない。全くしないということもないが、上達しようという情熱が全くないために一応無理なく食べられればいいかな、という程度だった。一人暮らしで材料を買い込むのも消費しきれないしかえって不経済、とも考えていたが、安原はどうやら野菜や肉を切って小分けにして冷凍し、少しずつ使っているらしい。たまに失敗もするようだけれど、もともと要領も読み込みもいいのでぐんぐんと料理スキルが上がっている。それを見るにつけ、同じことは自分にはできそうにないとの思いを新たにした。
「見た目も完璧なの作ってみたくなったら練習しようかな。そしたらたまに実験台になってくださいね、卵が破けてても味は変わんないし。あ、ケチャップでハート描いてあげますよ」
「そら食べがいがあるわ」
ちなみに今日のオムライスに描いてあったのはハートではなくニコちゃんマークである。
オコチャマ版オムライスを頬張りながら、滝川は過去の恋人にもオムライスを作ってもらったことがあったのを思い出した。
上手くできていた、と思う。味も美味しかったはずだ。けれどオムライスそのものより記憶に残っているのは、滝川に素敵な食事を提供するために影でどれほど努力したかを熱弁されたことだった。
何日も、毎日オムライスを作っては自分で食べ、研究してくれたのだという。元々料理が得意というわけではなかったように思うが、『少しでもノリオに喜んでほしくってて』と一生懸命だった。けれど滝川には、それが少々重かった。
彼女のその姿勢は料理に限ったことではなく、滝川が理想とする恋人の服装だとか化粧だとか、そういうこともとても気にしていた。とはいえ滝川は好みを聞かれるたび『好きにすればいいのに』としか思えなかったし、実際にそう答えていた。しかし『それだとあんまり褒めてくれないじゃん』と責められる。褒め言葉は義務であるらしかった。
滝川は恋人が自由に好きな服を着て楽しそうにしてくれていたらそれでよかったので、感想を求められてもごく表面的な決まり切った褒め言葉しか言えなかった。けれどそれでは『恋人のために懸命に努力する可愛い彼女の素敵な彼氏』像としては失格なのだという。
――特別嫌な記憶というほどでもないが、わざわざ今思い出すようなことでもない。滝川は安原に視線を向ける。
「料理すんの、めんどくさかったりしねえの?」
「いやあ、ありますよ面倒なとき。だからレトルトとかカップ麺で済ませたりもしますけどね。あとは帰りに菓子パン買ってきたりとか」
滝川が大学生の時は大体においてそんなものだった。マメな安原でもたまには同じことをするらしい。
「でも、そういうのがあんまり長く続くといずれは体調崩すでしょ?だから、へばってるときに病院行くほうが大変なはず、って天秤にかけて多少の料理はするようにしてるんです。できないよりはできたほうが便利だし」
「そりゃそうだけど」
「おまけにこうやって彼氏に褒められる。一石二鳥ですよ。うーん、僕って優秀」
彼氏に褒められるのがオマケ、というのがいかにも安原らしくて滝川は笑った。
このくらいが滝川にとって心地良いのだ。オムライスの卵は滝川に関係なく安原が練習したくなった場合に練習するのだし、たとえ失敗しても滝川にハートマークを描いて提供される。服について滝川の好みを聞いてきたこと自体なく、褒め言葉を引き出そうともしない。
「……なんか俺、お前のことすげえ好きかも」
無意識にぽろりと溢れた言葉に、安原は目を見開いて、それから首を傾げた。
「そんなにオムライスが気に入ったんですか?」
多分、巡り会えたのだ。相性のいい相手とやらに。
「レシピ書き起こしましょうか」
「お前に作ってもらったほうが美味いもん」
「ああ、それは隠し味に愛情がたっぷり入っているので当然ですね」
「たっぷり入れたら隠し味じゃなくねえ?」
材料をメモしてラインに送っておいてくれたら作ってほしい時に買い出ししてデザートのお土産付きで来る、と言ったら安原は「それなら承りましょう」と頷いた。そういえば、こんな風に手作りの料理を恋人にねだるなんてことも初めてだ。
「あなたって僕のこと大好きだし、案外甘えん坊ですよね」
「え、……そう?」
「と思いますけど。自覚ないの?」
「初めて言われたし」
「僕としては、意外と可愛げの塊みたいところあるなあって思いますけど」
「ええ?かっこいいって言えよ、可愛いよりはかっこいいだろさすがに」
「んふふふふ」
人生で未だかつてつけられたことのない評価が、とてつもなくくすぐったかった。