006_穀雨(4月20日頃) 四月も下旬に差し掛かってきた。昼夜の寒暖差も大きければ、日ごとの寒暖差も大きい。ここ数日は雨か曇りだったこともあって、四月にしては寒かった。だから風見は通年用のジャケットを羽織ってきた。が、どうしたことか今日は強烈に暑かった。朝、確認し損ねた天気予報をアプリで表示する。今日の最高気温は二十度を超えるらしい。今後、多少涼しくなったとて震えるほどにはならないと、風見は帰宅したら今季着用したスーツはもうクリーニングに出してしまおうと決めた。ともかく、このままでは汗が止まらなくなりそうだったため、風見は日陰のベンチに移動した。
降谷を待つ。濃紺のジャケットは鞄の上に重ねて置き、ネクタイも少し緩め、スマホ片手にコンビニで調達したサンドイッチを口に運ぶ。傍から見ると休憩時間のサラリーマンだ。実際、昼時なので昼食をとるために出てきたと言えばそうなのだが。
園内の歩道を挟んだ向こうには青い花畑が広がっており、そのすぐ隣の噴水広場では異国のグルメフェスが催されていた。見物客や、昼休みにオフィスビルから降りてきた社会人の姿が見える。近くのベンチには屋台で購入した食事を楽しんでいる者もいた。
「落としましたよ」
プラカップに入ったアイスコーヒーを啜ったところで声を掛けられ、盛大にむせた。
なかなか止まらない咳を無理やり抑える。滲んだ涙を拭きながら顔を上げると降谷がいた。手には風見の物ではないボールペンが握られている。小型の記録媒体が内蔵されているタイプのものだ。
「すみません、ありがとうございます」
「いいえ」
にこにこと人の好さそうな表情で微笑まれ、今日は安室と風見という設定なのかと考える。受け取ったボールペンは、普段はあまり出番のないペンケースの中にしまった。せっかく拾ってもらったのだから再び落とすわけにはいかない。降谷はそれ以降、風見には目をやらずに、風見が座っていない方の端に座った。スニーカーの靴ひもを結ぶらしい。風見は残ったサンドイッチを一口で頬張ると、ごみをまとめてビニル袋に詰める。持ち物を整理するために鞄に入れていた雑誌をベンチの真ん中に置いた。
「ネモフィラが満開ですね」
「え。ああ、そうですね」
あの青い花のことか、と風見は思った。降谷から言われるまでは花が咲いているということ以外、特段感想は抱かなかった。真昼の強い日差しに、抜けるような青が揺れる。綺麗だと思った。
「あれって――」
このまま会話を続ける方が良いかと考え、隣に目線を向ける。
誰もいなかった。ついでに雑誌も消えていた。
花畑に目を奪われたのは一瞬だった気がするが、あの上司はほんの少し目をそらすだけでいなくなる。いつものことだった。風見はベンチに置いていた荷物を黙ってまとめると、席を立った。
ワイシャツ一枚で日陰にいたおかげで、警視庁を出た時よりもだいぶ涼しくなった。風が気持ちいい。
そういえば、最高気温が二十何度かになるとアイスコーヒーの売り上げがホットコーヒーを上回る、と言っていたのは誰だっただろうか。ニュースキャスターだったか、たまに立ち寄る喫茶店の店主だったか。
黒よりも茶に近い色にまで薄まったコーヒーを飲み切る。プラカップはだらだらと汗を流していた。
夏がもうすぐそこまで来ている。