そして一緒に寝坊する 意識が浮上する。開けた視界は、家具の位置が視認出来るくらいには明るいけれど、まだ日は昇ってはいないようで、薫はまだ自分が起きるべき時間ではないということを理解する。
それでも今は何時だろう、あとどれくらい寝れるだろう。そう思って枕元で充電中のスマートフォンに手を伸ばした。表示されたロック画面が眩しくて目を細めながら確認する。
AM5:00。今日は土曜日。予定は午後のバンド練習のみなので、まだ十分眠れる時間帯だ。
水でも飲んでもう一度寝ようと上体を起こしたところで、スマホの明るい光が隣で眠る恋人を起こしはしなかったかと気付いて、隣に目をやった。けれど、その心配は杞憂であった。そこに美咲は居なかった。
恋人の美咲は昨夜……つまり金曜の夜、高校での授業を終えて一人暮らしの薫の家へ泊まりにやって来た。
一緒に夕飯を食べて、風呂に入って。その後はパソコンを開いて作曲作業に没頭する美咲の背中を眺めて。
自分ももうすぐ寝るから先に寝ていいですよって美咲が言うので、少しの寂しさを感じながら薫は先に眠りについたのだった。
まさか、と思って薫はベッドから出る。早朝の肌寒さと、フローリングの床の冷たさに身震いした。
「もうすぐキリの良いところまでいくから」
美咲はそう言っていた。だから、あの後すぐに美咲も寝たのだと。美咲も、薫と同じく早朝に目が覚めてしまっただけなのだと。そう思いたかった。
けれどそんな淡い期待は、居間から漏れる仄かなブルーライトと、カタカタとキーボードを叩く音に打ち砕かれてしまった。
「美咲」
自分が寝る前見ていたものと、全く変わっていない背中に薫は声を掛ける。
美咲は反応しない。首を傾げてよくよく見てみれば、ヘッドフォンを装着していた。
「美咲」
「わぁっ!?」
今度は背中に回って、ヘッドフォンを取りながら耳元で囁いた。突然のことで驚いた美咲が素っ頓狂な悲鳴を上げて、肩を跳ねさせて、勢いよく後ろを振り返る。
驚いたのは一瞬だけ。後ろで真顔になっている薫の姿を認めると、すぐに顔を蒼褪めさせた。……それは美咲が、薫が怒っているであろうことを瞬時に理解してしまったに他ならなかった。
無言で見つめてくる薫から目が逸らせない。作業に没頭し過ぎて気付かなかったが、液晶画面から視線を外せば部屋がほんのり明るくなり始めてることに気付いて。
(あれ、いつの間に……!?)
作業に集中し過ぎていて、時間を見るのを忘れていた。今は一体何時なのだろう。
「あの、薫さん……」
「なんだい」
「今って、何時でしょうか……」
恐る恐る尋ねる美咲に、薫は溜息を吐く。
美咲が作業に熱中するあまり時間を忘れることなんて、今まで何度もあった。無理矢理にでも作業を終わらせて一緒にベッドへ入るべきだったと後悔しつつ、薫は重たい声で現在の時刻を告げる。
「5時をちょっと過ぎたところかな」
「5時!?」
思ったよりも没頭してしまっていたことに、美咲は驚きの声を上げる。
キリのいいところまでやろうと思って、実際曲自体は薫が寝室へ行った後すぐに出来ていた。けれどなかなか納得いかなくて、手直しを重ねるうちに止まらなくなってしまって。
薫の手が美咲の頰に触れる。薫の瞳は心配の色を孕んでいて、きっと今自分は酷い顔をしているのだろうと、美咲は申し訳なくなって視線を逸らした。
「……すみません。そんなに、時間経ってるなんて思ってなくて、その、」
「曲がまだ出来てはいないのかい?」
「いえ、出来てはいるんです。でもなんか納得出来なくて、手直しが止まらなくて、」
「ならこんな時間まで時間を掛けなくても……。練習の時に、ハロハピのみんなで手直しするのでは駄目なのかい?」
歯切れ悪く言う美咲は、罪悪感から薫の顔を真っ直ぐ見れない。薫はそんな美咲の顔を両手で挟み込んで捕まえると、無理矢理自分の方を向かせた。隈を下に作った瞳が、恐る恐る薫を見上げる。
「美咲が曲作りに妥協したくないのは知ってるさ。私は勿論、ハロハピみんなが美咲の曲を楽しみにしてる。……けれど、その為に美咲に身体を壊して欲しくはないんだ」
「…………」
「無茶をして欲しい訳じゃない。それは私も、みんなもきっと同じ気持ちだよ」
真っ直ぐ見据えてくる薫の表情が真剣で、泣きそうで。語り掛けるような、咎めるような口調に、美咲の目も次第に潤み始めた。
俯きたいが、顔を固定されているのでそれは叶わない。
「美咲が倒れたら、私も、みんなも悲しい」
追い討ちを掛けるように、最後の駄目押しを一つ。
「……薫さんと花音さんが、大学生になってから、ハロハピの活動が減っちゃったから」
そうすれば美咲は、視線だけを下に落とすと、ぽつりと零し出した。
「それは仕方ないことだってちゃんと分かってます。でも、……だから、一曲一曲を、今までよりももっとずっと心に残るものにしたくて」
ライブする回数も少なくなってしまったから、その分一つ一つのライブや曲に重きを置いていきたい。
ハロハピの活動一個一個を、今までよりも大事にしたい。
「今まで以上に妥協したくなくて、そしたら曲ももっと直せるところがあるんじゃないかって、そう思ったら止まらなくなっちゃって……」
黙ったまま聴いている薫の顔をちらりと見る。心配そうな視線は変わらない。
美咲はもう一度、視線を下に落として、
「……心配掛けて、ごめんなさい」
小さく、謝罪の言葉を口にした。
朝日を迎えようとしている窓の外から、小鳥の囀りが聞こえ出す。
薫は美咲の頰から両手を離すと、ぽんと頭の上に手を置いて優しく撫でて。パソコンの電源を落とさずにただ閉じて、美咲の手を取って立ち上がった。
「薫さん?」
「いつもハロハピの為に頑張ってくれてありがとう、美咲。でも今は、少し寝ようか」
「でも、練習……」
「午後からだから大丈夫だよ。曲のことも、みんなで考えよう」
薫はそのまま優しくベッドへ美咲を誘導して、横にさせると布団を掛けてやる。抵抗せず大人しくされるがままの美咲は、頭を撫でる薫の手と、此方を見つめる瞳が心配を孕んだものから優しいものに変わっているのを確認すると、ほっとして。急に眠気が襲ってきて。
そのまま微睡みに身を任せて、ゆっくりと目を閉じた。