はっぴー☆しゃっふるっ!「えっとさぁ……、」
“瀬田薫”が困惑顔で溜息を吐くと、頭を乱暴に掻こうとして、……今は髪をまとめていることに気付いて、所在なさげにその手を下ろした。
その前では、楽しげに微笑んでいる“奥沢美咲”が薫を見上げていた。手を顎に当て、目を閉じる。
「この状況……、実に儚いね」
「あたしの顔でそれ言うのやめてもらえます?」
美咲の周りにキラリと輝く真っ赤な薔薇が現れ(※幻覚)、それをじっとりとした視線の薫がばっさりと切り捨てた。
◆
事の始まりは数十分前。
ライブハウスに先に到着した薫と美咲は、他の三人を待つ間先にスタジオの準備を進めていた。
その時コードに足を躓かせた美咲が転倒しかけ、それを庇った薫と共に床に倒れ込んだ。
怪我は無かったものの。身体を起こしてみると、薫の下には何故か“薫”が、美咲の上には何故か“美咲”が居たのだった。
つまりは、要するに。「私たち、入れ替わってる〜!?」という状況なのであった。
◆
「まずは練習をどう乗り越えるか、だね」
「いやいやまずは元に戻る方法探しましょうよ! 練習は中止ですよ中止! 無理無理! ギターなんて弾けないですもん!」
「まあ確かに私も、いつも美咲に任せきりで裏方の仕事のことは分からないね……」
いや、それだけじゃないんですけどね。
薫の姿をした美咲は、聞こえないように吐き捨てると深く重たい溜息を吐いた。
「とにかく、練習は無しの方向でいきましょう」
「しかし、もうすぐこころ達も来てしまうだろう。なんて言って中止にするつもりなんだい?」
尤もな薫の指摘に、美咲が腕を組んで眉間に皺を寄せた。
今まさに此処へ向かっている三人に、急に練習の中止を提案するのは不自然すぎやしないか。変に心配されて、勘繰られてしまうのではないか。
もしこの状況がバレたら、面倒なことになり兼ねない。ただでさえ今現在面倒なことになっているのに、これ以上の面倒ごとは御免だった。
「……あたしが、……ううん、薫さんが体調悪いことにしよう」
「私がかい?」
「あたし、薫さんの真似できる気がしないからさ。薫さんがそのことを、こころ達に伝えて欲しいんだ」
どうせ、あたしの演技できるでしょ?
美咲がそう尋ねれば、薫は目を閉じて思案した後、目を開けて。
「んー、まあ……やってはみるけど、あんまり期待しないでくださいね」
そう言う薫は、口調も声色も表情も言葉選びも。まさに“奥沢美咲”そのもので。目の前に自分がもう一人居るような錯覚を受けた美咲は、うわ、と苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……大丈夫そうですね」
同時、ドアの向こうから花音とはぐみの話し声が聞こえてくる。到着したらしい。
頼みますよ、と美咲が呟いて緊張したような視線を送ると、薫はウィンクを返した。だからそれやめてくださいってば! 薫の整った顔が、中の美咲のせいで歪められる。
「みーくん薫くん! お待たせー!」
「遅くなっちゃってごめんね……!」
元気いっぱいにドアを開けて入ってくるはぐみの後ろに、申し訳無さそうな顔をした花音が続く。
二人の姿を確認してから、薫は切り出した。
「あ、すみませんそのことなんですけど……、」
そこまで言い掛けて、ちらりと美咲の方を見る。しかしすぐに、視線を二人へと戻して。
「薫さんの具合が良くないみたいで。だから来てもらったばかりで申し訳ないんだけど、今日の練習は中止にしましょう」
手筈通りの台詞を並べると、はぐみと花音の顔色が変わった。血相を変えて薫(in美咲)へと詰め寄る。
「そうなの薫くん!? 大丈夫!?」
「確かに顔色良くないかもね……。そうだね、無理しちゃいけないから、今日はやめよう」
どうやら緊張と心配で、実際に顔は蒼くなっていたらしい。信憑性が出て結果オーライだ。
ただ、即座に信じて心配してくれるはぐみと花音に、薫と美咲は罪悪感を感じずにはいられない。
「あ、ああ……そ、そんなに……、大したことは、ないん、だけどね?」
流石に何か言わないとまずいと思った美咲が、ぎこちなく薫の口調を真似する。相手が花音なので咄嗟に敬語が出そうになるのを抑えながら。しどろもどろで下手くそな演技だったが、それが“具合が悪い”瀬田薫の信憑性を更に上げていく。
いつもの饒舌さが無い。喋るのも辛そう。相当具合が悪いのではないか、と。
これ以上この罪悪感には耐えられない。目を泳がす美咲に、薫は慌てて助け舟を出した。
「そんな訳だから……薫さんはあたしが送っていくよ。だから二人は、こころが着いたら伝えておいてほし———」
「呼んだかしら!?」
ばんっ。
大きな音を立ててドアが開き、こころが勢いよく入ってきた。
突然の登場に全員が一瞬驚いた顔をするが、いち早く花音がこころへと駆け寄る。
「こころちゃんっ、あのね、薫さんの具合が悪いみたい。だから今日の練習、中止にできないかな?」
「具合が? それは大変ね!」
目を丸くしたこころが、首を傾げて美咲の顔を覗き込んだ。美咲としては気が気でない。
そのきらきら輝くゴールドの瞳に見つめられると、全てを見透かされてしまいそうで緊張が走った。
「えっと……、」
頼むから何か言ってくれ。
じーっと黙って見つめてくるその視線に耐えられなくなって、美咲が声を絞り出す。と、こころはますます首を捻って。
「……美咲?」
そんなことを口にした。背中に汗が伝う。
どうして。今の自分は確かに薫の姿と声で、入れ替わっているなんて、そんなこと思われる訳がないのに。
「なに、言って———、」
動揺する美咲の口から出たのは、震えた薫の声だった。取り繕う為の言葉を吐こうとしたが、どうやらそれがいけなかったらしい。訝しげだったこころの顔は、美咲の二言目で確信へと変わる。
「やっぱり美咲だわ! どうして薫の格好をしているのかしら?」
一人顔を輝かせるこころに、状況が掴めないはぐみと花音が首を傾げた。
けれど、薫と美咲の引きつった顔が、今の状況を物語っていた。
「いやいやこころ、何言ってんの。また訳分かんないこと言って———、」
「あら、薫も美咲の格好をしているのね」
瞬殺。
薫がフォローに入った瞬間、至極当然のようにこころに指摘されてしまった。流石に何も言い返せず、台詞が止まる。
その後はこのままライブしましょう! と提案するこころを必死の形相で止めた美咲が、その拍子に再びコードに足を躓かせ、何故か薫と共に床へ転倒したら元に戻っていたので、なんとかよく分からないまま解決して無事に練習も出来たのであった。