早く来て、エンドロール「映画?」
金曜の夜、DVD片手に映画観賞を提案したのは美咲の方だった。レンタル店の店名が記されたケースに入れられたDVDのタイトルを見る。薫の記憶では、半年前に話題を呼んだ映画だったと思う。
「美咲が映画を観たいだなんて珍しいね。どうしたんだい?」
「あ、いや……、なんていうか、花音さんと白鷺先輩に勧められて」
「花音と千聖?」
舞台女優と作曲家。曜日に関係なく忙しい二人だが、金曜の夜は二人でゆっくり過ごすのが習慣となっていた。それは決めた訳ではなく、学生時代からの名残であった。
映画を観て過ごすこともあるが、いつもそれを提案してくるのは薫の方だ。美咲の方から提案してくるのは珍しい。
「あたし、今映画のBGMを作曲してるって言ったじゃないですか」
薫は頷く。
美咲の作曲の仕事がここ数年で軌道に乗り始め、今ではアーティストだけに留まらず、テレビドラマやアニメ、舞台のBGM……所謂劇伴まで幅広く行なっている。今彼女が制作しているのは、半年後に公開を控えた映画。賞を獲った小説が原作らしく、制作時点から話題を集めている。その分、作曲のプレッシャーも大きい。
ただ映画のBGMの仕事は初めてであり、勝手が違うようで苦戦しているのを薫は知っていた。
「それがいまいち上手くいかないって相談したら、勧めてくれたんです。名作だから、きっと刺激になるだろうって」
成る程、と薫は頷いた。
花音は美咲のことをよく気にかけていたし、美咲も高校生の時から何かと頼りにしていたので、——ミッシェル絡みのこととは、薫は思ってもみないが——仕事のことについて相談するのも頷ける。
それに今回は映画の曲についてなので、女優で映画の出演経験もある千聖も適任だろう。
「薫さん、この映画知ってる?」
「知ってはいるけど、観たことはないかな。でも気になってはいたんだ」
舞台女優の自分としても、きっと参考にできることはあるだろう。
プレイヤーにDVDをセットする美咲の背中を見ながら、薫は飲み物を二人分用意する。定位置のソファに並んで座れば、準備は万端だ。映画の前にまず、他映画のDVDの宣伝CMから始まる。
◆
「おや、これはりみちゃんが好きな映画のシリーズじゃないのかい?」
「ほんとだ。これもうDVDになるんだ」
「確か美咲は観に行ってたよね?」
「うん。りみとこころと、戸山さんの四人で。戸山さんは毎回顔蒼くしてるけど、もうあのメンバーが定番になっちゃって。……薫さんも今度来る? りみ喜ぶと思うよ」
「………………そうだね」
「ごめん冗談だよ」
◆
「主演のこの女優さん、前にパスパレの番組出てたよね?」
「ああ。千聖と仲が良いみたいだよ」
「へー……、そういうの聞くと、やっぱり白鷺先輩って芸能人なんだなって感じですね」
◆
「ここ、台詞の間の取り方が絶妙だね」
「そうなの?」
「ああ。このヒロインの心の葛藤が、全てこの間に集約されている。とてもよく表現されているよ」
「へー……」
「表情の一つ一つ、台詞の強弱や抑揚、そして間の取り方によって印象がぐっと変わるからね」
「確かに薫さんも、舞台上では全然違う人みたいになるもんね」
「ふふ……役によって様々な顔を見せ、美咲を虜にさせてしまうとは……。私はなんて罪なんだ……!」
「はいはい罪罪」
◆
「あ、今のところ、曲の入り方が凄く自然だった。場面とも合ってる」
「うん、しかも役者の動きとも違和感なくマッチしてるね」
「これってさ、曲に合わせて役者が動いてるのか、役者の動きに合わせて曲作ってるのか、どっちなんだろ」
「舞台では基本的に曲に合わせて役者が動くけどね、映画ではまた勝手が違うんだろうね」
「前はあたしの作った曲に薫さんが合わせて演技したよね」
「そうだったね。また機会があれば、私の演技に合わせて美咲が曲を作ってくれるのも楽しそうだね」
「……それは、難しそう」
◆
他愛ない会話をしながら、映画はクライマックスへと向かっていく。
困難を乗り越えて結ばれた二人の男女が、互いの愛を確かめ合って、そのままベッドへと倒れ込んでいく。
(えっ、)
待って待って。美咲の顔が引き攣る。
溢れてくる甘い愛の言葉が、女優の艶かしい嬌声が、暗がりの中無機質な蛍光灯が照らす二人の何も纏っていない肉体が。全てが生々しくて、美咲の視覚と聴覚を犯していく。
(こんなシーンがあるなんて知らないっ……!)
花音さんと白鷺先輩、何も言ってなかったし。
そう思いながら、テーブルの上に置きっ放しになっていたDVDのケースをちらりと盗み見る。
《R18》
そんなシールが貼ってあった。どうして借りる時に気付かなかったのだろう。知ってたら借りなかったのに。……いや、先輩二人に勧められたものだから、きっとどっちにしろ手に取っていたけれど。
最早曲の勉強どころではなくなった美咲は、顔を赤くしながら、隣に座る薫の顔をそっと覗いてみた。
薫は画面に釘付けだった。顎に指を当てて真剣な顔をしている姿から、真面目にこの映画を観ていることが窺える。
なんか悔しい。自分がこんなに動揺しているのに、薫は平然としているように見えたから。
しかも長い。全然終わんないこのシーン。美咲は少しでも自分の赤い頬を見られないように両手で覆うと、早く終わって欲しいと心ここに在らずのまま画面を眺めていた。
◆
やがてエンドロールが流れ、重厚なエンディングソングが流れる。その曲に耳を傾けながら、薫が息を吐いた。
「……なかなか、素晴らしい作品だったね。うん、千聖が勧めてくるのも頷ける」
あまりにも普通のリアクションだったので、やっぱり悔しくなる。
「最後のシーンは、なかなか良いBGMだったね」
「えっ、」
最後って言うと、あの二人の濡れ場のシーンだ。動揺しきっていて、仕事モードはすっかり抜け落ちていて、劇伴を聴くことに集中出来なかったのを自覚する。
目を泳がす美咲を見て、薫は察する。
「……もしかして、聴いてなかったのかい?」
「う、……だ、だってあんなシーンあると思わなかったから、びっくりして……、その、」
しどろもどろになる美咲の初々しい反応が可愛らしくて、薫は頬を緩ませる。そういう経験が無いわけではないのに。同時に、意地悪したい気持ちが湧き出てしまって。
「じゃあ……、もう一回観てみるかい?」
「いや! いいですそれは! ていうか薫さんちょっと面白がってるでしょ!?」
耐えきれなくなってくつくつと笑い声を漏らせば、背中をばしんと叩かれた。
なお、映画の感想を聞いてきた花音と千聖によって濡れ場シーンを掘り下げられ、美咲は再び顔を赤くすることになるのである。