逃走劇、共闘にて なんでこんなことになってるんだっけな。
スマイルポリスの制服に身を包む美咲は、鉄格子の中で頭を抱える。
「フフ……この状況、実に」
「儚くないから! ああもうどうすりゃいいのさ……」
笑みを浮かべる怪盗ハロハッピーに、美咲はぴしゃりと言葉を遮った。
ビルの一画に何故かあるこの鉄格子の中に、宿敵である筈の二人が仲良く一緒に閉じ込められていた。
このビルに訪れていたのは、それぞれ違う目的の筈だった。美咲はこのビルを拠点としている悪の組織の調査、怪盗はその組織が不当に所持する宝を盗む為だった。
けれど組織の方が二人が思うよりも上手だったようで。こうして二人捕まり、狭い牢獄へと押し込められている現状である。
「なんでよりによって、コイツなんかと一緒に……」
「おや、不満かい子猫ちゃん。私は君のことを結構気に入っているのだけど——美咲」
「あんたに気に入られても全然嬉しくな……、って、なんで名前知ってるの」
勿論怪盗に名前なんか名乗っていないので、自分の名前を知っている筈はない。ところが怪盗の手には美咲の警察手帳。慌ててひったくる。
「返してよっ! ……手癖悪過ぎでしょ」
「ふふ、見た目通りの可愛らしい名前じゃないか。……ところで、美咲は今日は単独行動なのかい?」
「……偵察に来てるのに、集団だと目立つでしょ。今日はあたし一人」
ふむ、と怪盗は顎に指を当てて頷く。なかなか危険な場所に一人盗みに来る自分が言えたことじゃないが、一人で調査に来る美咲も美咲だ。
一方、美咲は仲間に連絡を試みるも、なかなか上手く繋がらず苦戦しているようだった。
焦りが加速する度に、嫌な想像が頭を過る。このままだとどうなるのだろうか。何をされるのだろう。たぶん、命は無事じゃ済まない。
———かちゃん。
「は?」
そんなことをぐるぐる考えていたら、鍵の開く音が耳に届く。顔を上げれば、南京錠片手に怪盗が微笑んでいた。
「色々考えるより、いっそ逃げ出してしまった方が早くないかい?」
「え、なんで鍵、」
「怪盗の嗜みさ」
微笑む怪盗と対照的に、美咲はうげ、と顔を顰めた。そして怪盗が差し出してくる手に、怪訝な顔をする。
「……なんのつもり」
「今日はもう諦めて逃げるのが吉と見たが……流石の私であれ、一人で逃げるのは困難だろう。それは君も同じの筈だ。ここは、脱出するまで共に行動するのはどうだい?」
「……敵と、手を組めってこと?」
「一時的にさ。私のことは、ここを出た後に捕まえればいい」
出来るならね、と挑発的な笑み。美咲は数秒考えた後、ぱしんと怪盗の手を払って。
「……いいよ、乗った」
ここで意地を張って単独行動するのは得策ではない。この怪盗のことは確かに気に食わないけれど、今は何よりも、生きてここを出ることが優先だと結論づけた。
睨みつける美咲に、怪盗が嬉しそうに笑みをこぼす。
「嬉しいよ、美咲。それなら、愛の逃避行といこうじゃないか」
「よく言うよ……」
◆
「っ、! っぐ、」
「美咲!」
床に倒れ込む美咲に、怪盗が珍しく切迫した声を上げる。
しくったな。顔を歪めた美咲が自らの足を見れば、命中した弾丸によってだくだくと血が流れ続けている。血は止まらないし、立ち上がって逃げなきゃいけないのに、痛みで力が入らない。後ろからは複数の足音。
目の前には、動揺したように目を開く怪盗が居た。
「……何してんの、早く逃げて、」
「何を言っているんだ、それでは君が、」
「あたしを捨てればあんたは逃げられるでしょ」
敵の足手纏いになるなんてごめんだ。これは完全に美咲の意地だったが、自分のせいでこの怪盗まで捕まってしまうのは後味が悪い。……理由は、分からない。
往生際悪く、這うようにしてずるずると床を進む。こんな逃げ方じゃすぐに捕まるだろう。それは分かってる。
「———少し我慢しておくれ、美咲」
「……えっ!? ちょ、何して……ッ!」
黒いマントがすぐ目の前で翻ったと思ったら、途端身体が宙に浮く感覚。視界が床から怪盗の顔へと一瞬で移って、意味が分からず目を瞬かせるが——怪盗が走り出した振動が伝わると共に、彼女が自分を抱き上げて走っているのだと気付く。
「ま、待ってよ! こんなん、ッ、」
「しっかり捕まって、口を閉じて。舌を噛んでしまうよ」
走る振動が撃たれた足に伝わり激痛が走り、顔を歪める。怪盗が有無も言わさない口調で命令するように言うので、美咲は思わず怪盗の服にぎゅっとしがみついて、口を閉じた。
その様子を見て満足そうに微笑んだ怪盗は、銃声が響く中を走り抜ける。
やっと見つけたドアを開ける。途端、轟音と共に吹き荒れる強風が二人を迎える。帽子が飛びそうになって、美咲は慌てて手で押さえた。
「ここは……屋上?」
二人の危機的状況など何も知らない都会の夜景が、遥か下に見えた。上に広がるのは夜空と月だけで、まるで空の方が近くにあるのではないかという錯覚。
「あっ、あそこ!」
美咲が指を指す。非常階段への入口だった。大分長い距離にはなるだろうが、これを降りていけば地上へ辿り着ける筈——。
「…………」
「……?」
逃げるチャンスなのに、一向に動こうとしない怪盗を不審に思った美咲が視線を怪盗へ移す。
自分を抱えながら走っても余裕な表情だった怪盗が、今は蒼褪めている。ように見える。
「……あの、」
「ふふ、なにかなこねこちゃん」
声が震えている。足は止まっているのにかたかたと小さな振動が伝わってきて、美咲はあることに気付く。
「……足、震えてますけど」
「き、気のせいじゃないかい?」
いやいや、動揺し過ぎだろう。
自分を抱えて走っている時は余裕な顔をしていた。迫る追っ手にも笑みを崩さなかった。
疲労でも、追っ手への恐怖や焦りでも無いなら———、
「……高いところ、ダメなの?」
ぴし、と怪盗の表情が固まる。あ、これ図星だな。
けれどそれも一瞬で、取り繕うように慌てて怪盗は口を開く。声は震えたままだが。
「……かのシェイクスピア曰く、“神は、我々を人間にする為に、何らかの欠点を与える。”、と」
「いやつまりは怖いってことじゃん! やめてよ、この状態で落っこちるとか!」
「…………」
「いやそこで黙られたら余計に怖いんだけど!?」
洒落にもならない。ところが、怪盗は黙ったっきりで何も言わない。それが余計に美咲の恐怖心を煽る。
(……さっきまで、ちょっとはカッコいいかも、って思ってたのに……)
どれだけ窮地に追い込まれても余裕の笑みを崩さない怪盗ハロハッピーが、今は捨てられた仔犬のように震えて顔を蒼くしている。
(……大丈夫かな)
危機的状況に変わりはないのに、美咲は思わず敵の心配をせずにはいられなかった。……が、すぐに思い直す。どうやって逃げるんだこれ!?
「みーーーさきーーーー!!」と、状況に似つかわしくない底抜けに明るい声と共に、スマイルポリスのヘリが救助に飛んで来るまで、あと数分。