月夜にまた会おう 疲れた。
今日のバイトはなかなかハードで、人手不足なのもあって全然作業が進まず、終わるのが遅くなってしまった。
徒歩で帰れる距離なものの、一人で深夜の道を歩くのはなかなか怖い。重たい足を引きずって早歩きで帰路につく。今日はやけに月明かりが眩しくて、パトカーのサイレンが煩い。
「うわっ!?」
「おっと、すまないね」
角を曲がるところで急に現れた人影にぶつかり、バランスを崩す。素っ頓狂な声を上げながらそのまま後ろへ倒れそうだったのを、腕一本で止められた。
肩を抱くように引き寄せられ、驚愕で一瞬息が止まる。
「いや、こちらこそすみませ、……?」
謝りながら見上げてみれば、そこに居たのは仮面にシルクハット、マントを着けた背の高い女性だった。ルビーに似た深紅の瞳があたしを見下ろす。
何これ、コスプレ? こんな真夜中に? ……パトカーのサイレンが近くなる。
「怪我はないかい?」
「え? あ、はい」
「良かった。急いでいてね。では」
女性にしては低めの声でそう言うと、コスプレ女はあたしを解放する。そのまま夜の暗闇に紛れて消えて行ってしまった。パトカーのサイレンが遠くなっていく。
夜道に残されたあたしは、一人首を傾げる。
「なんなの……?」
◆
その答えは、思いの外早く知ることになる。
「あれ……退席中だ」
後日。大学の教授室の前で、私は一人立ち尽くしていた。今日締め切りのレポートを持ってきたのだが、肝心の教授が留守のようだ。扉には“退席中”のプレート。
「レポート提出かい?」
後ろから声を掛けられた。振り向けば、背の高い女性。長身と顔立ちの良さは、一目見てもこの大学では群を抜いていることが窺える。きっと目立つだろうけど、あたしは見たことないから上級生だろうか。
その柔らかな低めの声とルビーのような深紅の瞳に既視感があったものの、それは一旦頭の片隅に追いやった。
「あ、はい。でも居なくて」
「今はきっと昼食を摂りに行っているだろうからね。なに、すぐ戻ってくるさ。良かったらこっちで一緒に待つかい?」
そう美人は微笑んで、隣の部屋に案内してくれた。ゼミで使っている部屋のようだが、今は彼女一人で居たらしい。
お礼を言って、促された椅子に座る。美人は隣に座ってくる。更にやたらとあたしの顔をまじまじと見つめていた。……近くない?
「あ、あの……?」
「なんだい?」
「い、いや、その……、」
近いです。恐る恐る目で訴えてみても微笑みを崩さない美人。え、何これ。特に違和感も問題もない感じ? おかしくないこの状況?
困惑しながら思わず後ろに下がろうとしたが、肩を抱かれて逃げ道を塞がれた。
その肩に触れる手の感触にも、やっぱり既視感があって。
「……あの、あたし達って何処かで会いました?」
思わずそんなことを尋ねたのは、自然な流れのはずだった。
美人はくすくすと笑いながら、その形の良い唇を耳元へと寄せてくる。だから近い。
「ふふ、それは例えば……そうだね、月が輝く夜とかに、だろうか」
ハッとする。思い出すのは、先日のバイト帰りだ。長身に深紅の瞳。特徴が一致する。
「あっ! あの時のコスプレの人!?」
「……コスプレとは心外だね、子猫ちゃん。———怪盗ハロハッピーと、そう言えば伝わるかい?」
怪盗ハロハッピー。
最近この街で出没し始めた怪盗らしい。予告状を送って華麗に物を盗んでは、追いかけっこを楽しむだけ楽しんで最後は物を返却してくるらしい。
ネットニュースでしか見たことなかったけど、まさかこの人がそのハロハッピーだというのだろうか。
「あの時も、追いかけっこをして遊んだ帰りでね。君のことはよく覚えているよ。月夜に咲く可愛らしい花の様だったからね」
「はぁ……?」
本当に何を言ってるんだこの人。しかし顔が近い。可愛らしい花って、まさかあたしのことを言ってる?
迫ってくる顔を手で制しながら、正直な疑問を皮肉たっぷりに口にする。
「ていうか、その怪盗ハロハッピーが普通に大学生やってていいんですか」
「心配ないよ。素顔の私とハロハッピーが結び付いているのは君だけだからね」
……え?
一回しか怪盗を見たことないあたしが、こんなに早く気付いたのに?あの仮面も顔の3分の1くらいしか隠れてなかったし、割とバレバレなのでは?
「この私の正体を暴くとは……、恐れいったよ」
いやいやいや、バレバレなんだって。本当に今まで誰からも指摘されなかったの? バレてなかったの? マジで??
あたしの動揺を余所に、彼女は楽しそうに笑う。
「どうだろう、その実力を見込んで、私と一緒に華麗に夜を駆けるのは?」
「……それって、一緒に怪盗をやろうってこと?」
突然の誘い文句に、じっとりした視線を向ける。
冗談かと思ったけれど、至近距離で真っ直ぐ見据えてくる瞳には真剣さが感じられて。
射抜かれてしまいそうになるのを、何か言葉が出てきてしまいそうになるのを、なんとか呑み込む。
「冗談じゃない。泥棒は泥棒でしょ。そんなのお断り」
はっきりと拒絶の意を伝えれば、彼女はやはり楽しそうに笑うのだった。
「では、君が私を捕まえるかい?」
挑戦的に輝く深紅の瞳が、真っ直ぐとあたしを映す。何かを答える前に、部屋の外から扉の開く音。
「……どうやら教授が帰ってきたようだ。そう言えば君の名前は?」
「……奥沢、美咲です」
名前を告げれば彼女は頷いて席を立つ。ドアノブに手を掛けた彼女が振り返って、此方を見つめて。
「待っているよ、美咲」
そんなことを言って、綺麗に微笑んだ。