君を撫で回したい 何これ。
弦巻邸の一室。姿見の鏡の前で、奥沢美咲は眉間にこれでもかと皺を寄せている。そんな彼女を囲むように、他のハロー、ハッピーワールド! メンバーが目を輝かせていた。
「とーーーっても可愛いわよ、美咲!」
「うんうん! みーくんすっごく似合ってるよ!」
「嬉しくなーーーーいっっ!!」
はしゃぐ弦巻こころと北沢はぐみを跳ね除けて、美咲が叫ぶ。その叫びとリンクするかのように、彼女の洋服の裾、正しくはショートパンツからはみ出た黒くて長いフサフサのシッポが、毛を逆立てさせピンと伸びた。更に黒髪から覗くのは、シッポや髪と同じく黒い毛並みの三角の耳だ。
「美咲は本当に子猫ちゃんになってしまったんだね……。儚い……」
「あはは……。でも本当に可愛いよ、美咲ちゃん」
松原花音が宥めるように頭を撫でれば、美咲は顔を赤くする。あまり強く責められないのか、観念したように耳とシッポがしょぼんと垂れた。
事の発端は数刻前に遡る。
「動物さんと一緒にライブをしたいわ!」という提案はいつも通りこころのものだったのだが、それが何故かどう屈折してか、弦巻家の科学力と技術力を駆使して出来上がった薬を何故か美咲が飲んでしまい、なんやかんやで猫耳と猫シッポが生えて今に至る。
「これ元に戻るよね!?」
「大丈夫! 数時間で効き目は切れるって黒服さんが言っていたわ」
それなら安心だけど。でもこの現状は全く安心出来なかった。美咲としては出来るだけ元に戻るまで部屋に引き篭もって静かにしておきたいところだが、この浮かれているバンドメンバー達が大人しくそっとしておいてくれるとは考え難い。ていうか、絶対放っておいてくれない。
「折角だし、このまま外にお散歩に行かない? きっと楽しいと思うわ!」
「やだよ! 行かないよ!?」
案の定、こころはいつの間にやら猫じゃらしを構えていた。美咲の前で、それをゆらゆらと動かす。
「とにかくあたしとしては、」
視線が右に動く。
「こんな姿見られるのは」
視線が左に動く。
「絶対に避けたいので」
視線が上へ。
「元に戻るまで絶対出ないから!」
視線がまた右へ。「遊ぶな!!」
右手でねこじゃらしをはたき落す。その反応が、こころ達はもう楽しくて仕方ないらしい。美咲がいくら真剣に深刻な顔をして怒っても、猫じゃらしを追いかける視線に余計目を輝かせるだけだ。落ちた猫じゃらしをはぐみが拾う。
「えー! でもさ、せっかく猫ちゃんになれたんだから遊ばないと勿体なくない?」
「いやいや、遊びたいのはあたしじゃなくてみんなでしょ」
「……美咲ちゃん、視線が猫じゃらしに釘付けだよ」
「ぁうあぁぁうぅぁ」
声にならない呻き声のようなものを上げながら、右手は猫じゃらしを追いかけて動く。猫としての本能には抗えないようだが、美咲としての意識はばっちりあるので顔は赤い。ただしシッポはぴんと立ってご機嫌だ。
ぱしん、とその手が猫じゃらしを捕らえれば、はぐみが拍手して歓声を上げる。
「こんなに可愛くて楽しい美咲、あたし達だけが一緒に遊ぶのは勿体ないわよね」
「かーくんとかおたえとか呼ぶ? あ、みなとさんも!」
「だめっ!! 絶ッッッッ対、やめてよね!!!」
シッポが揺れて、ばしんと近くのテーブルを八つ当たり気味に叩いた。あまりにも必死の形相での訴えだったので、流石のこころとはぐみもそれなら仕方ない、とあっさり引き下がった。美咲はほっと息を吐く。
「しかし、なかなかの毛並みの耳と尻尾だね。……触っても?」
「……絶対やめ、っっ!?」
時既に遅し。瀬田薫の指はそっと撫ぜるように美咲の猫耳に触れた。肌触りの良いフサフサとしたその耳に触れた瞬間、高い悲鳴と共に耳はびくんと揺れ、シッポの毛は逆立つ。咄嗟に後退った美咲と、ぽかんと珍しい顔をしている薫の目が合う。
「……美咲、今の」
「うるさいやめて忘れて何にも言ってない何にも聞かないで」
猫耳の方を両手で塞いで更に後退るも、ぽすんと背中が誰かにぶつかる。恐る恐る振り返れば、目をキラキラと輝かせたこころとはぐみだった。いつの間にか背後を取っていた二人の視線は、フサフサのシッポへと注がれている。
「か、花音さん!」
身の危険を感じた美咲は、慌てて逃げ出すと花音の背中へと隠れる。そこからぴょこっと顔を出すと、
「ていうか! 今日のハロハピ会議は次のライブのセトリ決めでしょ! 早くやるよ!」
安全圏から、文句混じりにそう主張した。
◆
美咲だけが猫耳猫シッポを生えさせた異様な光景で始まったハロハピ会議は、最初こそ其方に意識が行き集中に欠けていたものの、話が進むうちにセトリの話へと集中できるようになっていた。
一番最初に“ふわふわ☆ゆめいろサンドイッチ”を持ってくることを決め、そこからの流れを話し合う。
「……美咲?」
その話し合いの最中、薫が小さく美咲の名前を呼んだ。他三人がそっと薫の視線を追いかけると、
「へ……?」
部屋の傍らにある段ボール箱の中に収まる美咲の姿が居た。箱から顔を覗かせる姿は猫そのもので、当の本人は四人の視線に気付くと間抜けな声と共に首を傾げた。ブルーグレーの瞳をしぱしぱと瞬きさせ、今にも夢の世界へ旅立ちそうである。
「美咲、ほんとの猫さんみたいね?」
「……うるさい、」
こころが喉元を撫でると、ごろごろと音が鳴る。相当眠いのか抵抗するのは口だけで、気持ち良さそうにとろんと瞼が落ちていく。
「ふふ、美咲ちゃん、眠くなっちゃった?」
「んー……あー……ちがう、まって、」
今撫でないで。花音が頭を撫でると猫耳がぱたんと倒れる。別に寝不足でもなんでもないし、さっきまで全然眠くなかったのに。なんで猫ってのはこんなに眠いんだ。
羞恥心はもう本能の隅っこ。もぞもぞと箱の中で丸くなると、四人に見守られながらそのまま静かに目を閉じた。
Round2.段ボール箱の中で丸まって眠る猫耳美咲を絶対次のハロハピポスターに入れたい四人vs絶対やめて欲しいしその写真を削除して欲しい美咲。その開幕は近い。