ビターチョコレート 事の発端は、はぐみだった。夏休みも残り一週間を切ろうとしていた日のハロハピ会議、顔色の悪いはぐみが「宿題がまだ終わってない」と切り出した。夏休み明けはすぐにテストがある。テストを心配する美咲と花音、いつの間にか宿題を終わらせていたこころ、それに何故か薫まで加わって。
弦巻家のいつものハロハピ会議室。大きなテーブルの上にお菓子を広げて、今日はハロハピ会議じゃなくて勉強会だ。このハロー、ハッピーワールド! というバンドでは、この光景はとっても珍しいかもしれない。
「花音さん、ここの解き方分かる?」
「ん? えーっとね……これは、この公式を使えばいいと思うよ」
「……あ。本当だ、ありがとうございます」
真面目に勉強するのは美咲と花音。美咲の質問に答えながら、花音はテーブルの向かいに座る三人をちらりと見やる。
「このお菓子、と〜〜〜っても美味しいわね!」
「でしょでしょー! 中にチョコが入ってるんだー!」
「なんて天才的な発想のお菓子なんだ……。嗚呼、儚いね……」
こころ達三人は、それぞれが持ち寄ったお菓子に夢中になっていた。確かに勉強には甘いものが欠かせないけれど、それで集中を欠いていたら本末転倒なのではないか。
はぐみの開きっぱなしのノート(宿題)の上に、お菓子のパッケージが置かれていく。ふぇぇ、大丈夫かな。これ今日中に終わるのかな。花音が一人焦る。
「み、美咲ちゃん……、」
美咲ちゃんなら止めてくれるかも。そう期待を込めて懇願めいた目を向けてみたけれど、彼女はすっかり集中モードに入ってしまっているようで。こころ達には目もくれず数学の問題集と向き合っている。調子がいいのか、先程からシャーペンの動きが止まらない。
ストッパーを失った三人は、もう勉強会そっちのけでお菓子パーティーになりつつある。
「かのちゃん先輩! これすっごく美味しいよ!」
「あ、ありがとう……」
はぐみが、一口サイズのマシュマロを花音に手渡した。口に含むと、溶けていくマシュマロの中からじんわりとチョコレートが舌に広がっていく。
「みーくんみーくん! みーくんも、はい!」
「んー」
はぐみが同じように美咲にマシュマロを手渡すけれど、美咲は集中しているせいで生返事だ。依然としてシャーペンの動きは止まらず、視線は問題集のままだ。
「みーくん、はい! あーん」
「……ん、」
はぐみが差し出したマシュマロに、美咲は問題集から目を逸らさないまま大人しく口を開けた。ぱく、とマシュマロがその口に含まれると、はぐみが顔を輝かせた。
嬉しそうなはぐみの顔に釣られるように、今度はこころが席を立ってやってくる。その手には大量のお菓子。
「美咲美咲! あのね、これもとっても美味しいのよ! 安納芋っていうお芋の味らしいのだけど――、」
「……あー、もう!」
数式と格闘している美咲の真横でお菓子トークを始めたこころに、流石に集中が切れたらしい。
癇癪を起こしたみたいな呻きに近い声を上げると、手元にあった一口サイズのクッキーをこころの口へと押し込んだ。
「それあげるから、静かにして」
もごもごと口の中でクッキーを咀嚼しながらきょとんとするこころに、美咲は小さい子を嗜めるような口調でぴしゃりと言い放った。
席に戻って静かになったこころに美咲は安心したような顔をしているけど。たぶん逆効果だったんじゃないかなぁ、と花音は一人懸念を抱いていた。
「美咲」
今度は薫が隣にやって来る。椅子を引いて空いている席に座って頬杖をつき微笑む薫に、美咲はげんなりした顔をした。
「……今度はなんですか」
「ふふ。勉強を頑張っている美咲が儚いと思ってね」
「いや、薫さんも勉強頑張ってくださいよ」
美咲の言うことは尤もである。花音が心の中で頷く。
けれど薫はそんなこと意にも介さずに、先程美咲が手に取ったクッキーを指差して。
「美咲。それ、貰っても?」
「……はぁ、勝手にどうぞ」
「おや、食べさせてはくれないのかい?」
「えっ!? いや、ちょ、なんで!?」
顔を真っ赤にした美咲が後退る。そんな彼女を見て薫はくすくすと愉しそうに笑った。
「恥ずかしがる必要はないよ、子猫ちゃん。私達は恋人同士だろう?」
「そっ……!!」
そうだけど。美咲が小さい声を絞り出しながら、ちらりと花音達の方を見た。二人の関係はハロハピ内では周知の事実だが、改めて言葉にされると恥ずかしいらしい。顔が真っ赤だ。
「でも……、やっぱりその、恥ずかしいっていうか……」
「こころには、あげていたのにかい?」
「う、」
しょぼん。垂れた耳や尻尾の幻覚が見えてしまいそうなくらい、薫はしょんぼりと分かりやすく肩を落とした。その悲しげな様子に美咲は言葉を詰まらせる。
花音は一人思う。美咲ちゃんの肩を持つとするなら、こころちゃんやはぐみちゃんはあくまで(妹に近い)同級生の距離感なので、また違うんじゃないかなぁ、と。
(ついでに言うと、先輩である花音が同じリクエストをしても美咲は顔を赤くして首をぶんぶん振るだろう)
「……わかり、ました」
観念したように、美咲がクッキーを薫の口へと運ぶ。さく、とクッキーの砕かれる音。満足げに微笑む薫。けれどそれだけじゃ終わらなかった。
薫は別のパッケージに手を伸ばすと、一口サイズのチョコレートを指でつまむ。
「ありがとう、美咲。これはお返しだよ」
「……どうも」
美咲が手を伸ばすけれど、それはするっと躱されてしまう。睨み付けるように見上げてぐぐっと息を呑んだ美咲が、観念して口を開けた。そこへチョコレートが運ばれて、
「んぐっ!?」
美咲が呻き声を漏らす。チョコレートと一緒に口内へと入り込んだ指が、体温で溶けていくチョコレートを舌へ塗り込むみたいに動かされる。口の中で指が好き勝手に蠢く感触に美咲が生理的な涙を浮かべると、やっと指から解放された。
薫は溶けたチョコレートに塗れた自分の指を口に含むと、味わうように舐めとってにやりと笑う。耳まで真っ赤にした美咲が、わなわなと肩を震わせて叫ぶ。
「勉強!!! しろーーーーーッッッ!!!!」
……いや、それは、本当にそう。
こころとはぐみの目を塞ぎながら一部始終を見ていた花音は、心の中で力強く頷いた。