サンバ三分前 北沢はぐみは頭を抱えていた。いや、正しくははぐみの姿をした松原花音が頭を抱えていた。
遡ること僅か数十分前。一体何をどうつもりだったか分からない瞬間移動装置というものを弦巻家が開発し、ハロー、ハッピーワールド! 通称ハロハピのメンバーはそれのお披露目会に立ち会った。
そんな中、装置へ行っちゃうモンモンしてわちゃもちゃっとしてしまうハプニングがあって、そんな訳で今彼女達五人は身体が入れ替わっている状態になってしまったのである。
弦巻こころの姿になった奥沢美咲が、状況を不審に思った使用人を誤魔化すべく部屋から退室。「この部屋で大人しく待っているように」といった旨のハンドサインを他の四人に送るものの伝わっていなかったのか、はたまた好奇心が強過ぎて一瞬で忘れ去られてしまったのか。
珍しく必死な顔をしたこころ(※美咲)の訴えも虚しく僅か三秒足らず。美咲の姿になったこころ、瀬田薫の姿になったはぐみ、そして花音の姿になった薫の3バカ改め新3バカの三人は、はぐみ(※花音)の静止に気付かずに街へと繰り出したのであった。
「見て見て! はぐみ、こ〜んなに背が高くなっちゃったよ! こんなところにも手が届くんだ〜!」
満面の笑顔の薫(※はぐみ)が木の枝をタッチして笑い声を上げる。それを見て花音(※薫)が満足気に腕を組んで頷いている。見慣れたはずの自分の見慣れない姿に、はぐみ(※花音)は違和感を拭い切れない。
「う〜〜〜〜ん! なんだかとっても楽しいわね!」
挙句の果てに美咲(※こころ)は鼻歌混じりにスキップをしてから意味も無く側転を披露した。周りから巻き起こる拍手。慌てるはぐみ。
「嗚呼、その可愛らしい笑顔、なんて儚いんだ! 君が楽しそうで私も嬉しいよ、美咲」
「あはは、今日のかのちゃん先輩はなんだかカッコよくて面白いね〜!」
「あら、あなたのにこにこの笑顔もとっても素敵よ、薫!」
何が何だか。はぐみは頭を抱えて目をぐるぐる回していたが、ここで自分が諦めるわけにはいかない。頼れるツッコミ役の彼女が今ここに居ないからこそ、自分が三人を連れ戻すしかないのだ。……それが出来ていたら、最初からやっている訳だけれども。
自分一人でこの三人を止めて弦巻家に連れ帰るのはあまりにもハードルが高い。
「あっ、ハロハピだ! おーーい!」
知った声が聞こえて、はぐみはそちらへと目を向けた。満面の笑みの戸山香澄が、こちらへ手を振っていた。隣には市ヶ谷有咲の姿もある。
そんな二人の姿を見て、新3バカが駆け寄っていった。これはまずい展開になる気がする。はぐみも慌てて、三人の背中を追いかけた。
有咲は早々に違和感を感じた。満面の笑みで近づいて来る美咲と薫、腕組みをして儚げな表情をする花音。なんだか今日のハロハピ、いつもと違くね?
「……え、なぁ、奥沢さ——」
「香澄と有咲じゃない! こんなところで会えるなんて嬉しいわ!」
「は???」
自分が知っている美咲の声よりいくらか高めの、楽しそうに跳ねる声。満面の笑みに、フレンドリーな呼び名。
(なんか今日の奥沢さん、テンション高くねえ!?)
怯む有咲が戸惑いの視線を他へ向ければ、同じく満面の笑みの薫。
「かーくんとあーちゃんもお散歩? おんなじだね!」
「か、かーくん!?」
「あーちゃん!?」
この薫の発言には流石に香澄も怯んだ。フレンドリーで笑顔いっぱいの美咲と薫。一体何が起きているのか、続いてやって来た花音へと助けを求めるように香澄と有咲の視線が動く。
「やあ、子猫ちゃん。今日もとっても良い天気だね。小鳥たちの儚い囀りがここまで聞こえているよ」
「「!!?!?!?」」
二人は確信した。やっぱり何かがおかしい。ハロハピがなんかまた変。いつも変だけど今日は特に変。大変。
「ふぇっ、やっと追いついた……! みんなもう帰ろうよ〜!」
身体ははぐみでも、その身体能力をいきなり使いこなせはしないらしい。困り顔でやっと追い付いてきたはぐみは、息を切らしながら楽しげな新3バカへと必死の訴えを続ける。
しかし楽しさピークの三人はそんなこと気にしない。だって楽しいから。ブレーキが不在の為、暴走は続く。
「えーと……今日はハロハピは何してたんだ?」
「お散歩よ!!」
違う。絶対違う。聞きたかったのはそこじゃないし、絶対に散歩以上の何か大変なことが起こっている。
「散歩……、いや……今日どうしたんだよ? なんか変だぞ??」
「??? あたし達はいつも通りよ! ね、みんな?」
「そうだよ〜!」
「儚い」
「ふぇぇ……!」
「いや絶対に変だろ」
太陽のような笑顔の美咲、元気いっぱいに返事をする薫、儚い花音、泣きそうなはぐみ、そしてこころは不在。絶対に変。現場はカオスを極めていた。
「今日の有咲と香澄はどうしたのかしら? なんだかお魚の小骨を飲んでしまった時みたいな顔をしているわ。笑顔よ!」
「いや、なんだその例え……! 笑顔って……、」
既視感があると思った。今日の美咲はまるでこころみたいなのだ。みたい、って言うよりそのもののような……?
自分のバンドであったトンチキな事件を思い出す。私がりみで香澄が私で……?? いや、アレは忘れよう。そんな事件が他所でもあって堪るか。何回もあっていいもんじゃないだろ、アレは。
とにかくハロハピに話を詳しく聞いてみよう。今の彼女達とまともに話が出来るかは分からないが。眉間に皺を寄せて唸る有咲が、そう顔を上げて、
「あれっ、あいつらどこ行った!?」
「あっちの方に行っちゃったけど……」
居ない。戸惑いながら考え込んでいる間に、様子のおかしいハロハピは有咲と香澄の前から姿を消していた。
珍しく押され気味だった香澄が指差す方向には、ウキウキで去っていく後ろ姿が三つと、それを慌てて追いかける後ろ姿が一つ。
「事情はわかんねーけどなんかやべー気がする! 香澄! 取り返しがつかなくなる前に追うぞ!」
「えっ!? う、うん!」
このまま放っておくと大変なことになってしまう気がする。既に大変なことになっている気もするけれど。
とにかく、早いところ保護しないと今は満面の笑みでご機嫌なクラスメイトが後々可哀想な目に遭いかねない。美咲が何故かおかしくなってしまっている今、ハロハピの暴走を止められるのは自分しか居ない!
「みんなちぐはぐで面白いわね!」
ただ、有咲がそんな風に決意を固めている間の、目を離した僅か数分後。軽快なサンバのBGMが商店街に流れ出すのは、想像に難くない。