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    しい@れかお

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    しい@れかお

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    秋のれかおくん

    CORRESPONDENCE 秋の話 秋は音も無くやってきた。
     永遠に続くかと思われた酷暑は、ある日、薫くんがTシャツの上にカーディガンをふわりと羽織って楽屋へ来たことでやっと終わりを迎えたみたいだった。
    ざっくりとした編み目の、ミルクティー色をしたカーディガンは、彼の穏やかで柔らかな雰囲気をますます培養させている。ありきたりな言葉で言えば、薫くんによく似合っていた。思わず目を見張るほどに。
    「零くん? おはよ?」
    怪訝そうな顔つきで俺を見つめながらひらひらと小さく手を振った薫くんが、とさりとソファに荷物を置く。少し前まで台本や仕事の資料でぱんぱんに膨れあがっていた彼の鞄も、忙しさの山を乗り越えて通常モードに戻りつつある今、普段使いのコンパクトな鞄に戻っていた。
    「あ、ああ、おはよう」
    「どうかした?」
    「いや、ついに上着が必要になったかと思っての」
    「あ、これね~」薫くんが見せびらかすように両手を広げた。彼の二の腕を覆うドルマンスリーブが、つられてゆらりと揺れる。
    「まだまだ日中は暑いけど、行き帰りはだんだん涼しくなってきたかなって」
    そう思ったら買っちゃった、と小さく肩をすくめた仕草はどことなく愛らしい。本人に「愛らしさ」の自覚はないだろうが。
     薫くんがカーディガンを脱いでカバンの上に置き、楽屋備え付けのドリップコーヒーを手に取る。「零くんは?」と言いながら右手でピースサインを示したので「我輩も欲しい」と告げる。薫くんが「ん」と適当な返事をした。程なくして室内にコーヒーの香ばしい香りが漂う。
    「零くんは体質もあるし、大体いつもドアツードアだからあれだけど」お待たせ、と言ってテーブルに紙コップを置いた薫くんが軽口を叩いた。
    「今の季節もいいものだよ」
    「流石に我輩だってそれくらい知っておるよ。第一、暑くない」
    「ふはっ、確かに。今日は特に涼しいかな」薫くんが破顔した。目のキワにうっすらと皺が浮かぶ。
    「あとはそうじゃな……、夜闇が日増しに長くなってきたかのう。我輩には快適じゃよ」
    「零くんはそうだろうね。俺はほんの少し寂しい気持ちもあるけど」
    「夏は薫くんの季節じゃから」
    薫くんはまあね、と素直に受け止めた。
    「でも、流石に今年みたいな夏はしばらく良いかな~。零くんも辛そうだったし」
    「しんどかったぞい……今年こそもうだめかと思った」
    「零くんの部屋、過去一エアコンの温度低かったもん」
     今年の夏、マネージャーと一緒に何度も何度もマンションまで俺を起こしに来たことを言っているのだろう。寝室のドアを開けるたびに「さむっ!」と小さな悲鳴を上げていた薫くんの姿を思い出した。
    「今夏こそ文明の利器を使わずしてどうする」
     いやまあそうだったけど、とコーヒーを啜りながら薫くんが苦笑いを浮かべた。
    「でもね、あの時に比べたら、今は大分過ごしやすいよ」

     翌日、個人仕事で久々に屋外に出た。国内外の音楽を専門に取り扱うウェブ媒体のスチール撮影とインタビュー。編集長がUNDEADをいたく気に入っているようで、新譜が出るたびに特集を組んで貰っている。最近は個々の仕事にも触れてくれるようになった。今回の単独での仕事もその一環だった。
    「——、もう随分と秋めいておったんじゃな」
     撮影の空き時間にベンチに座ってぼんやりと空を見上げると、飛行機の小さな影が空の果てを音も無く横切っていくのが見えた。吸い込まれそうなほど深い青空は、記憶のそれよりも随分と高い。衣装として宛がわれたダークグレイのマフラーを思わず引き上げる。降り注ぐ日差しこそまだ暖かいが、通り抜ける風はどこか冷たい。秋を通り越してすぐに冬になってしまいそうだ。
    「薫くんの言った通りじゃ」
    高く澄んだ空を見ながら差し入れのトマトジュース缶を手慰みにくるりと回してプルタブを引く。ぷし、と軽い音がした。
    「……ぬる、」
     飲み慣れたはずのトマトジュースが、今日はやけに褪せて感じる。

    「そう言えば」
    顔馴染みのインタビュアーが思い出したように口を開いたのは、インタビューも大体終わりかけた頃だった。
    「おかげさまで、羽風さんのエッセイが好評なんです」
    「ありがとうございます」
    反射的に礼を返しながらすぐさま記憶を辿った。「取り扱われている媒体こそ異なりますが、同じ出版会社でしたよね」
    「ええ、そうなんです」
    「好評ならばなによりです。きっと羽風も喜びますよ。締切が近くなると毎回頭を抱えてはいますが、彼なりに原稿と向き合っていますから」
     春先、仕事が決まった日の彼を思い返す。エッセイなんて、と不安な色を滲ませた鈍色の瞳が微かに揺れていた夜。あれから半年。あの夜のように弱った姿を見せることはもうないが、楽屋に原稿用のタブレットを持ち込んで、難しいよ~と嘆く姿は何度なく見ている。
    「そうなんですね。ファンクラブ向けのブログも拝見していますが、いつもファンに寄り添った文面を綴られているので、得意なのかと」
    「彼は努力家ですから」
     最近新調したという眼鏡をかけ、普段はピンと伸びた背中を小さく丸めながら、文章を書いては消し、また書いては消し、を繰り返す薫くんは胸の奥にしまっておこう。
    「話がそれました。来春公開される主演映画について更にお伺いしたいのですが――」

    「ありがとうございました」「またお願いします」
    定型の挨拶を繰り返しながらビルを出た。マネージャーが回した車に乗り込む。カーナビに表示された時間は夜の六時。今日の仕事はこれでおしまいだ。
    「直帰でいいですよね」運転席に座るマネージャーが、ミラー越しに後部座席を覗き込んで言う。
    「ああ」
     じゃあ出しますね、とあっさりとした口ぶりでマネージャーがアクセルを踏む。流れゆく車窓を見るともなしに眺めながら惰性でスマートフォンに触れた。メッセージアプリに一件、赤いマークがついている。
    「…………マネージャーくん」
    「はい」
    「一カ所寄りたい場所が出来た」
    「そうですか、で、どこに」
    「三丁目のケーキ屋」
    「あ、いつものパティスリーですか。逆方向ですね」ハンドルを右に切り切った後、やはりあっさりとした口調でマネージャーが応酬する。
    「うむ。すまぬ」
     フロントミラー越しに顔色を伺ってみたけれど、彼は淡々とした表情で、じゃあこの先で迂回しますね~と言うだけだった。思い付きでマネージャーを振り回さないの、と薫くんの呆れた声が脳内で木霊する。
    「すまぬな」
    「慣れていますから」
     マネージャーには後ほどちょっと良いコーヒーでも奢らねば。

     三丁目のケーキ屋、もといパティスリーの近くに車を停めてもらい、ケーキと焼き菓子を何品か見繕って購入し、来た道を戻ってマンションまで送り届けて貰った頃には、なんだかんだ夜の七時を回っていた。じゃあ、お疲れ様でした、また明日もよろしくお願いします、と言い残しマネージャーの運転する車が夜闇に消えていく。テールランプの赤い光が見えなくなるのを確かめてから、手のひら大サイズの白い小箱を片手にエントランスへと足を向けた。エレベーターを昇っては降り、昇っては降りを繰り返してやっと辿り着いた自分の城。
    に、今日は先客がいる。
    「ただいま」
    「あ、おかえり~。それとお邪魔してます」
    「よいよい、構わんよ」
     物音を聞きつけて薫くんが玄関に現れた。にこやかに「今日はロールキャベツにしたよ」と夜ご飯のメニューを伝えたかと思うと、またリビングへ戻っていく。これではどちらが家主か分かったもんじゃない。
    「薫くん」
    「なあに」
    「これ、少しじゃけど」
     もごもごと言い淀みながら薫くんの手の中に白い小箱をそっと置いた。俺たち二人の間で見慣れた箱。
    「ありがと。でも、別に良いよって言ってるんだけどなあ」と、わざとらしく言いながら、薫くんがいそいそと箱を開ける。リビング一帯に甘い香りが漂った。
    「遅かったし、普段より数は少ないんじゃけど」
    「わ、今日はキルシュトルテもある」
     キルシュトルテ。ドイツ発祥のケーキだ。直訳すると『黒い森のサクランボのケーキ』という意味を持つ。チョコレートのスポンジに生クリームがたっぷり使われているが、案外甘さは控えめで、甘党気質の薫くんは勿論のこと、俺にも親しみやすいケーキ。
    「デザートに食べようね」
     ゆるゆると薫くんが笑った。気心の知れた人間の前でしか見せない、ほどけるような笑顔。そう、その笑顔が見たいから、いつも我儘を言っては遠回りを繰り返している。
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