甘えたがり①司くんのことが好きだ。
この想いを彼に告げたら拒絶されるだろうか。
彼は優しい。そういった偏見はないだろうが、その対象が自分に向けられたらどうだろう。
嫌悪感があっても、きっとなにも言わずに受け入れてくれるんだろうな、なんて、容易に想像できてしまう。
僕は彼に無理をさせてまで受け入れて欲しいとは思わない。だから、この気持ちは胸の奥にしまっておくことにした。
「っ、神代くんのことが好きなの。…こ、恋人になってくれませんか…!?」
そんなときに告白をされた。相手は確か、同じクラスの可愛いと評判の女子生徒だ。どうやら彼女は僕に本気らしい。その赤く染まった頬が物語っている。緊張しているのか指先まで震えていた。
「どうして?どうして僕が好きなの?」
間髪入れずに聞けば彼女は真っ直ぐに僕を見た。そして言葉にしてくれた。きちんと僕の内面を見てくれていることがわかる。
この人なら、司くんを忘れさせてくれるかもしれない。
「…いいよ。付き合おうか」
「!…っぅ、嬉しい…っ!」
承諾すれば彼女は嬉しそうに声を弾ませた。よほど嬉しかったのか、目は涙で潤んでいる。その様子は恐らく誰から見ても可愛らしい。普通は自分をそれほど想ってくれているのだと、感激でもするのだろうが、そんな健気な彼女に対して、僕はなんの感情も抱かなかった。驚くほど心は静まり返って平坦だった。
——これから、好きになっていけばいい。
そう自分に言い聞かせ続けた。最初は、順風満帆に、うまくいっていたのだ。しかし、いつの間にか彼女がつらそうな表情で僕を見つめていることに気が付いた。
彼女と付き合ってちょうど一年目になる記念日。もう慣れ切ってしまった、何十回目のデートで彼女が僕に告げた。
「別れてほしい」
別段、ショックではなかった。振られるって、こんなものか、そんな風にどこか俯瞰して物事を見ている自分が居た。
「…僕のこと、好きじゃなくなった?」
「そんなわけない…類くんの方こそ、最初から、わたしなんて好きじゃなかったでしょ?」
彼女からしてみれば、僕はとても分かりやすかったらしい。
話題を振るのも、デートに誘うのも、手を繋ぐのも、いつも彼女からだった。
「分かりやすかったなぁ。もう一年たつのに、キスもしてないし。…名前すら呼んでもらったことないんだよ?」
「……ごめん」
「ふふ、別にいいって」
彼女が面白がるように笑う。その表情の奥には切なさが潜んでいる。彼女はうすうす勘づいていたが、本当に僕が好きだったからこそ、別れられなかったらしい。もしかしたら、いつかは好きになってくれるんじゃないかなんて、期待を捨てきれなかったと、彼女は言った。せめて一年間一緒に居て、それで好きになってもらえなかったら別れよう、そう決めていたらしい。
「でも、やっぱり類くんには、別に好きな人が居るんだね」
「そんなことは…」
「今まで、わたしのわがままに付き合わせてごめんね。でも、もういいから。…楽しかったよ、ありがとう」
「…っ」
彼女の気持ちを踏みにじってしまったことに申し訳ない気持ちになった。すると、きっと情けない顔をしていたのだろう、笑っていた彼女が呆れたような表情をした。彼女の目には、堪えきれなかったのであろう大粒の涙が溢れていた。
「……もう、カッコつかないな。そんな顔しないでよ。…っ、このわたしを振ったんだから、しあわせになってくれないと、許さないからね!」
振ったのは君の方じゃないかと軽口を叩くと彼女はケラケラと笑いながら、そういえば、そうだったね、と言った。彼女の言葉の意味が、分からなかった訳ではない。でも、そう言わないと、自分の気持ちを認めてしまったようなものだ。
僕が別の人が好きだから、彼女が別れを告げたのではなく、彼女が僕と別れたがっていたから、それを受け入れただけ。
そういう建前が欲しかった。そういう建前がないと、僕は彼の影にいつまでも惹かれてしまう。
そうやって自分の保身にばかり走るから、彼女を傷つけた。
結局、彼女の優しさに甘えたまま、終わりがきた。
「…貴方とはもう別れたいの」
それが分かっているのに、また繰り返す。
「ごめんなさい、もう別れて」
もう何度目の別れ話か分からない。もう何度、彼の代わりを作ろうとしただろうか。高校を卒業して、大学生になった今でも、僕は好きでもない人の告白を受け入れて、別れを告げられて。もう何人も傷つけた、甘えてしまった。
自分は未だ、想いに囚われ続けている。
「類、また振られたのか?」
一方で、司くんとは疎遠になるわけでもなく、高校生のときとなにも変わらなかった。しいて言うなら、話す内容が、普通の友人が話す内容に近付いただろうか。大学生になってから、フェニックスワンダーランドのショーキャストを辞め、あまりショーについて話すことがなくなった。否、今でも話題になることは多いのだが、当事者側として話さなくなった。あくまで観客側として話題に出すことが殆どである。
「うん…やっぱり、僕のことを受け入れてくれるのは司くんぐらいかもしれないねぇ」
冗談めかしてそう言うと司くんは心配するような顔つきから一転、呆れた様子で心配して損した、というような顔になる。その表情の変わりっぷりに、思わず笑いをこぼした。こういう分かりやすいところも好きだなぁ、なんて、未練がましく思う自分が憎らしかった。そんなことを考えていると、司くんから意外な言葉が出てきた。
「しかし…類のなにが気に食わないんだろうな?」
「え?」
「いや、素直に褒めるのはなんとなく癪だが、エスコートはスマートにこなせるだろう?」
てっきり、司くんにはそういった、僕の恋人としての態度を知られていないと思っていた。逆にどうして知っているのか、気になってしまうくらいだった。
「おや、司くんにはエスコートをした覚えはないけれど、どうしてそう思ったんだい?」
想像でもした?
ほんの、悪戯心から言った言葉が、思いの外彼を動揺をさせてしまったみたいで。
僕と司くんのなかで妙な間が空いた。ちらりと彼の顔を見れば顔を赤くしていて、彼の思っていることがよく分からなかった。
「司くん?」
「っ、ち、違う、オレは…」
一体なにが違うというのだろう。僕はすっかり彼に自分が冗談のつもりで言った言葉を忘れてしまっていた。だから、彼の取り乱した姿を不思議に思った。その先の言葉を待っていると司くんが自分の顔を手で覆うようにして頭を抱えている。そのまるまった姿は未来のスターというものからかけ離れていて。
なにも取り繕っていない、本来の"天馬司"に触れた気がした。
だからかは分からないが、
「…かわいい」
「え?」
「あ」
驚くほどあっさり、長年しまい込んでいたものを吐露してしまった。完全に無意識に口が動いていた。呆然とした表情をした後、司くんは一回目を見開いて、僕の顔を凝視してくる。その司くんの視線が痛かった。
「る、…っむっ!?」
「ごめんちょっと一旦待って」
司くんが意を決したようになにかを言おうとしたので、思わず彼の口を手で塞いだ。彼の言おうとした続きの言葉が怖かった。なにを言おうとしたのか予想をしようにも、情報が少なすぎる。
「悪いが待つことはできん!」
「え、ちょっと待ってって!」
司くんは不満そうな顔をしながら僕の手を掴んで自分の抑えられた口を離させた。司くんの予想外の行動に思わず僕は声を張り上げた。
「待たない!類、お前——」
「っ!」
聞きたくない、そう思った。しかし、彼は躊躇う素振りさえ見せずに、いつものようなはっきりとした口調で言い切ってしまった。
「オレの恋人になってくれないか?」
「え、……っえ!?」
予想の斜め下というか、期待の斜め上というか。なんとも形容し難い気持ちになった。言わずもがな、この恋は叶わないものだとずっと思ってきたからこそ、素直に喜ぶことができずに疑って、再度確認してしまう。
「恋人って、僕と?」
「ああ」
「正気なのかい?」
「だから、そうだと言っているだろうが!」
司くんが肯定の言葉をはっきりと言い放つ。
どうやら都合の良い己の勘違いや妄想ではないらしい。僕は舞いあがって調子の良いことを聞いた。
「僕のことが好きなの?」
「……それは、わからん…」
「そこには言葉に詰まるんだねぇ…」
正直に言ってしまえば他の言葉を期待していた。がっくりと肩を落とす。その様子を神妙な顔つきの司くんに見られているとは思いもしなかった。
「もしかして、類は……」
「…?…何か言ったかい?」
「いいや、なんでもない」
「…そう、まぁいいけれど。…いいよ、付き合ってみようじゃないか」
司くんはなぜか言葉を詰まらせた後、押し黙った。気になって聞いても、なにを言おうとしていたかは分からないままである。無理に聞き出すことでもないので大人しく引き下がったが、少し胸に引っかかってしまう。多少強引にでも聞き出せばよかったかもしれない。後悔が自分が話題を戻した途端に押し寄せてきた。仕方がないと自分に言い聞かせながら司に話題をふった。
「そういえば、好きかも分からないのにどうして僕と?」
「あー…高2のときのメンバーで、同窓会があったんだ。それでな——」
司くんの説明を要約すれば、こんな状況だったらしい。
同窓会の会場である店に入ると、それはそれは懐かしい顔ぶれが揃っていて、皆なにも変わらなかったという。まるで高校生の頃に戻ったかのように、楽しく談笑をしていた。そんなとき、ある同級生が少し遅れてそこへ登場した。
「久しぶりだな!元気そうで何よりだ!」
「おう、久しぶり司!…あれ?神代は来てないんだな、ちょっと意外」
「類?意外もなにも、あいつは違うクラスだったじゃないか。今回の同窓会には来ないに、」
決まっているだろう、そう司くんが続けようとすると、その同級生から耳を疑うような発言が飛び出した。
「いや、あいつ束縛酷そうじゃん。単なる偏見だけどさ」
「束縛?…どういうことだ?」
「え?…っあ、え!?お前らまだ付き合ってないの?」
「付き合う…って、はぁ?なぜそんな誤解を生んでいるんだ!?」
司くんは驚いて同級生を問い詰めた。その際にさらに驚くべきことを言われたらしい。
「だって、やたらと距離近かったし。てっきり司は神代のことが好きだと思ってたんだよ」
それは僕が司くんを好いていて少しでも司くんの近くに居たかったからである。どれだけ距離を詰めても司くんはなんの反応も示さなかったので、どこまでが許容範囲なのかを検証した。結果は計測できなかった。それは何故か?司くんの許容範囲を測る以前に、自分の限界が来てしまったのだ。流石に自分でもかなり近いと思っていた数センチの距離感で数秒顔を見つめていたら「類、どうしたんだ?」と、司くんからさらに顔を近づけられたときには流石に目を剥いた。あれはもう、2センチほど距離を詰めれば口と口が触れていたのではないだろうかと今では思う。自分の他人との距離感が広いだけだと、おかしいのは自分なのだと思っていたがどうやら他人の目から見ればやはりあの距離感はかなりバグを起こしていたようだ。
「それで、どうやって僕と付き合う話まで繋がるの?」
「あいつが、"てっきり司は神代のことが好きだと思ってた"だなんて言うから、考えてみたんだが…」
なるほど、それでなにか思い当たる節があったと。
そのことが言いづらいのか司くんが口籠る。一方で僕は、司くんの言葉が信じきれずにいた。単なる驕りのつもりでもないが、ある程度の経験から、そういった欲を孕んだ視線にはそれなりに敏感なつもりだ。しかし、司くんからそういった視線を受けた覚えはない。
「僕を好きかもしれないって、どうして思ったのか聞いてもいいかな?」
「う…、オレだって恥じらいはあるんだぞ」
「だめかい…?」
性根から兄気質の司くんはこうやって甘えるようにおねだりをすればなんだかんだと言いながら言うことを聞いてくれる。そして予想通り、司くんは少し悩んだ末、ゆっくりと口を開いた。
「……ダンゴムシ」
「…え?ダンゴムシ?」
ダンゴムシって、あの?
恐らく司くんが言っているのは一般に生息しているオカダンゴムシのことだろう。この時点から既に嫌な予感がしていた。
「ダンゴムシが、オレの畳んでいた衣装に何故だか付いていたことがあっただろう…。そのとき、類が手でダンゴムシを手で掬って取ってくれて、ちょっと、動悸が、だな…。類が助けてくれたからか、胸がドキドキしたんだ」
「………それって…」
消え入るような声は司くんの耳には届かなかった。
それは、いわゆる吊り橋効果というやつではないだろうか。司くんの苦手な虫(正確には違うが)で、それも一番苦手とする多足類。そりゃあ動悸が激しくもなるだろう。司くんが僕のことを恋愛的に好きだと勘違いしていることが確定してしまい、嫌な予感が的中してしまった。
「ふーん、そうだったんだ。じゃあ明日デートね」
「切り替え早いな!?う、うむ、明日ならオレも空いている!」
しかし、それを言うつもりは毛ほどもなかった。むしろこれはチャンスだと思うことにした。これから意識させられればなんの問題もないのだ。そもそもずっと諦めていた恋心が報われる可能性が見えてきただけでも上々だろう。
「明日、楽しみだね」
「ああ、任せておけ!お前を全力で楽しませてやる!」
どちらかといえばそれは僕の台詞だと思うんだけどなあ。
待ち合わせ場所に向かうと既に司くんはそこに立っていた。待たせてしまったのかと小走りで司のもとへと向かうと、司くんが僕に気が付き、口元を緩めた。
「類!」
「…お待たせ、司くん」
意識させたいのは僕のはずなのに、僕を見て表情を緩める司くんが不覚にもかわいいと思ってしまった。惚れた弱みというものはやはり恐ろしいと思った。
「じゃあ行くぞ!今日はオレがエスコートしてやる!」
「へ」
ごく自然に司くんが僕の手をとった。その様子はまるで別世界の王子様のようだ。手を離さないとばかりに、ぎゅっと手を握る力が強められる。その慣れた様子に戸惑いが隠せなかった。
「なんだか妙に手慣れてないかい?」
「そうか?まあ座長として主役を演じることが多かったからかもな!」
そう言われるといやに納得できた。そういえば高校生のとき、ロミオ役をしていたな、と思い出す。カイトさんに演技指導を受けていただけあって、綺麗な所作が体に染みついているのだろう。その姿は、思わず見とれてしまうくらいに様になっている。
「………」
「な、なんだその顔は…」
少しだけ、悔しかった。僕が惚れ直してどうする、僕が司くんに惚れさせたいというのに。思わず唇を尖らせていると、司くんに不意に頭を撫でられる。
「っ、なに…」
するんだい、口にしようとしていた言葉は声にならなかった。司の顔を見て、固まってしまった。その顔が、とても優しい顔をしていたから。
「ふ、お前でもそんな顔できるんだな」
いつもの彼のような高笑いではなく、小さく堪えるようにくすっと笑っている。多分子ども扱いされているのだろうが、気にならないくらいに、嬉しかったのだ。取り繕うことのない、その表情が、僕によって引き出されたものだと無意識に口角が上がった。
「…急に上機嫌になったり、今日の類はよくわからんな…」
「フフ、司くんのおかげだよ」
司くんが小さく首を傾げる。僕の言葉の意味が、司くんにはまだわからないようだった。