この世には男女の他にダイナミクスと呼ばれる第二の性がある。ダイナミクスは、Dom、Sub、Switch、Normalといったような、前述の四つに分けられていた。人類の大半はなんの特徴も持たないNormalなのだが、他のDom、Sub、Switchと呼ばれる性は、数が少ない代わりにそれぞれの特性を持っている。例えばDomは支配したいという欲求を持っており、反対にSubは支配されたいというような欲求を持つ。そして、Switchは最も数が少ない非常に稀な存在で、どちらにもなりえる性質があるらしい。
僕はNormalでありたかったと思う。
みんなと同じがよかったのに、僕はDomだった。今は自分の性が、煩わしくて仕方がなかった。
ショーの演出をつけることが好きだった。あのときはまだ、自分の性の危険性に気が付いていなかった。だから中学に上がってから演劇部に入った。そしてその中で脚本家として活動をしていた。最初は順風満帆のように思えた。みんな頑張って僕の言う通りに、期待通りに動いていた。
「神代くんの言う通りにすると、なんだか気持ちよく演技ができるから、安心だね」
にっこりと微笑みながら、彼女は僕を褒めてくれた。だからか、僕は勘違いをしてしまったのだ。最初は気にもならない言葉だったけれど、今にして思えば的確に僕の心を刺す言葉だった。
「どうして観客は笑ってくれないんだろう……脚本がいけない? それとも演出が……」
「類くんはなにも悪くないよ」
よくよく考えてみれば、役者には常に限界を越える気で演じてほしい、これが僕の願いであるはずなのに、みんなの目は虚だった。虚というより、恍惚といった方が正しいのかもしれない。でも、それに気付くのが遅すぎたのだ。脚本通りで完璧な仕上がりだというのに、観客を笑顔にできなかった。ミスはしていないはずなのに、なぜだか盛り上げに欠ける。僕にはその虚な目の理由がわからなかった。それどころか、的外れなことを言ってしまった。“本気でやってるのか„と、問いかけてしまったのだ。
「……なんで」
「え?」
「本気でやってるよ!! だからはやく褒めてよ!!!」
「は……?」
きっかけは、僕をよく褒めてくれた彼女。
彼女からすれば、責められているように思ったのかもしれない。ヒロイン役を演じ終えた彼女は、興奮したように頬を紅潮させながら机を殴った。
「どうして褒めてくれないの……!? あんなに私、頑張ったのに……っ一言、“いい子„って言ってくれるだけでいいの!」
彼女は紛れもなく本気で演じていた。でも、根本的な部分を間違えている。観客を笑顔にすることに対しては、目を向けていなかった。ただ彼女はひたむきに、僕に褒められることだけに本気になっていたのだ。そんな演技に観客が惹かれるわけがない。それと同時に、思い出してしまったのだ。彼女がかけてくれた言葉の数々を。それらは全て僕に都合の良いものであって、決してショーをよくするためのものではなかったと、気が付いてしまったのだ。同じ志を持つ仲間だと思っていた彼女に、僕は心底失望して、突き放した。
「……どうしようもなく“Sub„なんだね、君は」
たった一言、そう言い放っただけで彼女は過呼吸を起こし、一種のトランス状態であるSub dropに陥った。
あれから僕は、基本的に人と関わることをよしとしなくなった。それは、本能的に褒めてもらうためだけに動いた彼女の性も、彼女をそうさせてしまった自分の性も、なにより気持ちが悪くて仕方がなかったからだった。
だけど、司くんと会ってから、結局のところ僕はショーから離れられなくて、いつの間にか孤独じゃなくなっていた。そして、いつの間にか司くんのことが、好きになっていた。好きだと伝えてしまいたかった。でも、僕には司くんに告白できない理由があった。
「………司くんは、Sub。僕とは必要以上に関わっちゃいけない」
だって、危ないから。
彼女みたいにいつ壊れてしまったっておかしくはない。でも、司くんはSubでも、彼女のようなただの操り人形のようにはならなかった。嫌なものは嫌だと言うし、より良いと思ったものはちゃんと意見にして言ってくれる、そういう人だった。だから、性別関係なく好きになったのだ。だったら恐れる必要はないじゃないかと、周りはそう思うかもしれない。けれど理由はそれだけではないのだ。
一度、僕は司くんを思い通りにしたいと思ったことがあった。
あのときの僕は、彼女のときに従わせたいとは思わなかったのにも関わらず、彼女のSubとしての本能を呼び起こした。それはつまり、僕の方が本気になってしまったら司くんは本能に抗えなくなるということを意味しているのではないだろうか。僕は、僕自身が彼の輝きを奪ってしまうような、そんな気がしてならなかった。彼は言っていた。自分はSubとしての欲求が弱いのだと。だったら尚更、彼を無理矢理従わせるのは可哀想だ。
僕は彼のためだと言い聞かせて、友達としての距離感を保ち続けていた。そんな矢先、僕は彼に告白されたのだ。
「……お前がSubに苦手意識を持っているのは知っている。でもオレは、SubとかDomとか関係なしに類のことが好きなんだ。だから類も、ダイナミクスを気にせず、“オレ自身„を見てから、判断してくれないか」
最初は断ろうと思った。でも、オレ自身を見ろ、だなんて。司くんの言い分は僕にとって残酷なものだ。司くん自身を見る。そんなの最初からだった。思い出すだけで苦々しい気持ちになる記憶があっても、ダイナミクスなんて眼中にないほどに、とっくのとうに司くん自身のことを見て、惹かれてしまっていた。だから司くんはきっと気付いていないのだろうが、僕にとってその言葉は、本当に熱烈な口説き文句だった。
「……あぁ、勿論だとも。君の気持ちに応えられるよう、誠心誠意考えさせてもらうよ」
結局、断りきれなかった。でもまだ、告白を受け入れていないだけでもマシな結果だろう。本当は今すぐにでも手をとってしまいたい心を抑えて、保留ということにした。まず僕は、司くんが本当にダイナミクスに翻弄されているだけなのか、見極める必要がある。多分、というか100パーセント、司くんは本気だ。それは目を見ればすぐにわかった。でもそれは司くんがただ気が付いていないだけかもしれないから。それに、僕が司くんを害してしまう可能性もある。そんなふうに僕がいろいろと考え込んでいると、司くんは声を張り上げて、ぐいぐいと距離を縮めて、食いかかるようにキラキラとした目で僕を見つめた。
「!!……ほ、本当か! じゃあオレにもチャンスはあるんだな!? そうか……ふふ、はははっ」
司くんの顔が嬉しそうに綻ぶ。まだ告白を了承したわけでもないのに、ここまで嬉しがるとは思わなかった。
「そんなに僕のこと好きなの?」
思わず意地悪したくなって、問いかけると、司くんが耳まで顔を赤くさせた。つられて僕も顔が熱くなる。そして思わずにやけてしまいそうな口元を僕は手で覆い隠したのだった。
人混みに揉まれながらも駅を出ると、そこには腕時計を眺めている司くんが立っていた。少し落ち着かない様子でそわそわとしながら髪の毛を整えている。しばらく一定の距離で立ち止まって司くんを観察していると、司くんがこちらに気付いて近付いてきた。
「……い、意外と早かったな?」
「司くんこそ。まさか先に来ているとは思わなかったよ」
あの日の帰り道は、少し気まずかった。寧々も明るいうちに帰ってしまったので、途中までふたりきりになってしまって。道がわかれる寸前、司くんが僕を引き留めて提案をしたのである。その内容はお試しに付き合ってみる、というものだった。司くんは、どうやら僕との思い出が欲しかったようだった。これでもし振られたとしても、この思い出がオレを支えてくれるだろう、なんて、司くんは寂しげに笑って言った。最初から逃げ腰だなんて、らしくもないだとか、まだ失恋が決まったわけじゃないだとか、そんなことを言ってしまいそうになったけれど、司くんは両想いであることを知らないわけで、言ってしまえば無責任だ。だからその気持ちを心の奥底に押しとどめて、今度は僕が提案をしたのだ。あのときの司くんは、贔屓目抜きにしても、とても可愛らしかった。
「じゃあ、明日デートでもしようか」
「…………でーと」
「うん。デート」
「そうか、デート……………、で、デートぉ……っ!?!?」
「も、もちろん無理にとは言わないけど、」
「あ、空いている! 絶対に行くぞオレは!!」
そう言うと先ほどの司くんの切なげな表情はどこへやら。すぐに満面の笑みで、じゃあまた明日な、と手を大きく振ってくれた。とても元気のいい声に、明日もその声が隣で聞けるのかと嬉しくなったが、はしゃいでいたのもあって、待ち合わせ場所や時間、どこへ、なにをしに行くのかすら、決めていなかった。だから結局のところ、家に帰ってはまた、司くんの元気な声を電話で聞くことになったのだった。