手繰り寄せるは完全なる勝利「ほらよ」
そう言って凛の手から放たれた何かは一瞬キラリと光って潔の手に収まる。
「え、は?なに…」
「お前のだ」
そう言われ、恐る恐る手の中に収まったものを見る潔。それを捕らえた瞬間、目を見開く。
「凛…これっ…」
「無くすんじゃねーぞ、無くしても俺は開けてやらんからな」
それだけ告げると、スタスタと歩き始める凛。その様子に潔は口元が緩むのを感じる。
「ははっ、素直じゃねーやつ!」
楽しげに笑って潔は前を行く凛に駆け寄り、その勢いのまま腰に抱きつく。
「おい……」
「なぁ、最初はせーので一緒に入ろうぜ」
「あ?なんだそりゃ、面倒くせぇ…」
「いいじゃん!何事も最初の一歩は大事って言うだろ」
目的の部屋の前に到着し、潔は先程受け取った銀色に光るそれを扉の鍵穴に差し込んで捻る。カチリ、と音が鳴ったのを確認して引き抜き、ドアノブに手をかける。
「ほら、凛!」
「チッ……」
舌打ちをしつつも、凛は潔に手を引かれるまま開かれた扉の前に立つ。
「そんじゃ、せーの…」
「……」
潔のかけ声と同時に二人の足が室内へ踏み出す。
二人の体が室内に入れば、扉が徐々に閉まる。
「これからよろしくな!凛」
「フン……」
その声を最後にパタン、と扉は閉まった。
こうして、潔世一と糸師凛の同居生活は始まったのだった。
青い監獄を出たあとの潔と凛は、国内のサッカーチームから複数スカウトを受け、最前線で活躍中の身だ。将来的にはもちろん海外も視野に入れているが、しばらくは国内でプレイすることを選んだ(ちなみに潔の元には毎日のようにドイツからラブコールが来ており、その度に潔がキレ散らかしている)
そんな中、潔は一人暮らしのための物件を探していた。候補を見比べて悩んでいたところ、一足先に物件を決めたという凛に唐突に引きずられ、気付けば一緒に暮らすことになっていた。
(俺に鍵渡す前から二人用の部屋借りてるし、最初から一緒に暮らす気満々だったんじゃねーか)
こっちの意見なんてお構いなしの横暴さだが、潔は嫌だとは全く感じていなかった。
お互い「好きだ」とも「愛してる」とも告げたことはないが、二人は所謂お付き合いをしているような関係性なのだろうと、潔は認識している(凛は頑なに認めなさそうだけど)
そんな形のない曖昧な関係の二人だったが、潔は割と満足していた。凛の考えていること全てがわかるわけではないけど、少なくとも関わりたくない人間を自分の元に置いておけるほど、凛は器用な人間ではない。
そんな凛の隣にいることを許されている時点で、今は十分だった。
そんな始まりだった二人の同棲生活もしばらく経ち、リビングのソファで二人くっついたまま寛いでいたところ、潔はふと思い出したように呟く。
「そういや今更だけど、蜂楽達にお前と住んでること言ってねぇや」
「は…?」
唐突に告げられた内容に凛は眉をひそめる。
「んなもん、わざわざ言う必要ねぇだろ」
「えーそうか?お前にとっても同じ場所で切磋琢磨した間柄だろ、一応言っといたほうが良くね?」
「いらねぇ、言ったところで何か変わるわけでもねぇだろ」
「そりゃそうかもしれないけどさ、結局住所を知られたらバレるじゃん?」
「俺は家とクラブ以外に伝えるつもりはねぇから安心しろ」
それに…、と言葉を続けようとした凛だったが、その言葉はここで吐き出しても意味は無いと気付き、そのまま飲み込む。
(あいつらに言ったところで面倒なことになるのが目に見えてるんだよ)
心の中で悪態をつきつつ、そのまま潔の腰に手を回し更に引き寄せる。
「わっ…」
「んなくだらねぇこと考える暇があったら、こっちに集中しやがれクソ潔」
何か言いたそうな潔だったが、その言葉が発される前に凛はその唇を自分のそれで塞いだのだった。
そんなやり取りがあって、友人たちに同居を告げるタイミングを逃したままさらに月日が流れた頃。
一通のメッセージが潔のスマホに届く。素早くロックを解除して内容を確認する。
「ん?あれ、冴からだ」
内容は冴らしくシンプルな文面だった。
「明後日の夜、お前らの家に寄る。愚弟にも伝えておけ」
確認した内容に思わず苦笑する。
(なんで実の弟じゃなくて、その同居人に連絡するんだよ…相変わらず拗れてんなぁこの兄弟)
詳しい事はわからないが、二人の間に何らかの確執があったものの一応の決着はついているようで。
青の監獄にいた頃よりは二人を取り巻く雰囲気は幾分か和らいだように見えた。
お互いの実家には住所と友人と住んでる、ということだけ簡単に知らせていたが、その住所を手に入れて襲撃した冴にはあっさりと同居がバレていた。
それからというもの、冴は帰国した際この家に立ち寄ることが多くなった。冴が来る度に凛の不機嫌さは増すばかりだったが、結局のところ「お兄ちゃん大好き」という根底は変わっていないので、なんやかんや話をしてるうちにすっかり上機嫌になっているのを潔は知ってる。
口ではどんなに悪態をついても、やはり凛は冴に会えると嬉しいのだろう。潔も冴に会えるのは純粋に嬉しいし、そんな兄弟の様子を見るのも好きだったので、来るのはとても楽しみだった。
──ただ一点だけ、今回に限り少しだけ困ってしまったことがあった。
「は?」
「だーかーらー、冴が来る日、俺も蜂楽達と飲みに行く約束しちゃってるの!」
「んなもん、断われ」
「いやだ!…皆とだってなかなか予定合わせるの難しくなってるしさ、久々に揃って会えるの楽しみにしてたんだよ…」
冴と会えるのはすごく楽しみで。同時に蜂楽を始め親しい元監獄メンバー達と揃って会えるのも楽しみにしてた。
どちらも頻繁に会えるわけではないから、潔としてももどかしい気持ちなのだろう。そんな潔の様子に、凛は溜息をつく。
「……メンバーは誰なんだよ」
「え、えーっと、蜂楽に千切と國神、あとは凪と少し遅れるかもしれないけど玲王も来るって言ってた」
「何時から」
「18時」
「…ちょっと待ってろ」
そう言い残して、凛はスマホを手にリビングを出る。待てと言われた潔はどうすることも出来ず、ソファで凛が戻るのを待った。
数分後、リビングに凛が戻ってきた。
「明後日、解散したらすぐに帰ってこい」
「へ?」
「兄貴に朝まで付き合えと言っておいた。お前もそのつもりでいろ」
「それって…」
朝まで付き合えと言ったけれど、冴はともかく凛の方は実はそこまでお酒に強いわけではない。いつもだいたい最後の方は睡魔に負けて突っ伏しているくらいだ。
それなのに、凛が自らわざわざ冴に連絡入れて予定を変えてもらって。
(俺のために……?)
──どちらも叶えたいという潔の希望を叶えるため
他の誰でもないあの凛が、と実感した瞬間、潔の全身を電流が走ったように震えた。これは歓喜だ。
居ても立っても居られなくて、潔は凛に抱きつきそのままソファへと押し倒す。
「チッ…おい……」
「あははっ!凛!やっぱお前最高だな!」
言いながら凛の整った顔面に何度も何度も優しく口付けを落とす。凛は黙って落ちてくる口付けを享受している。
「もー、お前最高。最高な気分だから明後日終わったらお前の言う事1個何でも聞いちゃう」
「……言ったな?」
テンションが上がった勢いでこぼれ落ちた潔の言葉を逃さず拾う。瞳の奥を怪しく光らせ、凛は覆いかぶさっていた潔の手を引き寄せると、今度は凛が組み敷く形になる。
「り、凛…?」
「楽しみにしてるぜ」
本当はこのままベッドへ連れ込みたいところだが、本人が何でもこちらの要望を聞いてくれるとのことなので、その時のお楽しみとしておこう。
今日のところはこれで我慢してやる、と凛は潔の唇に噛みついた。
当日。
玄関でお気に入りのスニーカーを履き、靴紐を結び直してよし、と立ち上がる潔。
「じゃ凛、行ってくるな。俺が戻るまで、冴と仲良くしてるんだぞ」
「ウゼェ…いいから終わったらさっさと帰ってこい。……飲み過ぎて潰れんじゃねーぞ」
「わかってるって!終わったら冴とも飲むんだし、ちゃんとセーブする」
心配性め、と潔は笑い飛ばすが、凛は今までの経験上こういう時の潔の大丈夫はあまり当てにならないと知っている。凛の心配を余所に、潔はドアノブに手をかける。
「凛、俺はちゃんと帰ってくるから」
「当たり前だろうが」
「だな、じゃ行ってきます」
それだけ言って、潔は勢いよく外へ飛び出していった。パタン、と扉が閉まるのを確認して、凛はまた溜息を一つついた。
そのままリビングに戻ろうとした時、ふと目に入ったのはキーフック。そこには色違いのキーホルダーが付いた鍵が二つ。それはもちろんこの家の鍵。一つは凛の。もう一つは、潔のものだ。
「あいつ………」
こめかみに青筋を立てる。こんな忘れ物をするくらい、やはり今日の潔は浮かれているらしい。
──他の男共と会うのに浮かれてんじゃねーよクソが。
兄貴が帰ったら、抱き潰してやる。
そう心に誓い、今度こそリビングへ向かうのだった。
「おーい、潔ー、……駄目だねこりゃ、完全に寝落ちちゃってる」
完全にテーブルに突っ伏して寝息をたてる潔を見て、蜂楽は肩を竦める。
家を出て数時間後、玲王が貸し切りにしてくれた御用達の店で、蜂楽や千切、國神、凪といった久しぶりに会えた面子に囲まれて潔はとても浮かれていた。
美味しいご飯に美味しいお酒、そしてかつて苦楽を共にした仲間と他愛もない話を重ねて、楽しくないわけがなかった。
そんな状況で、セーブしようというのもなかなか酷な話であった。
後から遅れて玲王が合流した頃には、潔はだいぶアルコールが入ってふわふわしていた。
そして、そのまま夢の世界へ、という訳である。
「今日の潔、かなりテンション高かったからな」
「それだけ楽しみにしてたってことだろ」
「ふふっ、潔らしいや」
「でも、俺はまだ潔と話足りない」
「こら凪、そろそろ時間も良い頃合いだ。この状態だし、今日はさすがに帰してやろうぜ」
まだ一緒に居たそうにする凪を宥め、玲王は車を手配しようとする。
「そういや俺、潔の住所知らねーや。確か今あいつ実家じゃないんだろ」
「そういや、俺も知らない」
「蜂楽は?知ってるか?」
「んー、確か前に一回荷物送る時に住所は貰ってたはず……あっ、あったあった」
スマホを操作して、蜂楽は以前潔に貰った情報を確認する。
「さすがにこの状態で、そのまま一人で帰すわけにはいかねぇしな。送ってやる」
「さっすが玲王」
「なら俺も行く!実は潔の家、行ったことなかったんだよね」
楽しそうに蜂楽が飛び跳ねる。
「えーずる、じゃあ俺も行く」
「俺も見てみたいな、今潔がどんなとこ住んでんのか」
「じゃあ全員で我らが[[rb:ストライカー様 >エゴイスト ]]をお送りしますか!」
満場一致、と話が進んでいくのを國神は一人(いや、こんな図体でかい野郎達が一人の男を送るためにぞろぞろと集まってるなんてシュール以外の何物でもないだろ…)と心中で突っ込んではいたが、今更それを口にするのも野暮だと思い、自分もそのシュールな画角に収まるのか…と少しだけ頭を抱えた。
蜂楽の情報を元に、車はとあるマンションの前に止まる。
そこからぞろぞろと体格のいい男たちが出てくる(御影家の車は、サッカー選手6人乗っても全然余裕であった)
全員が降り、最後に未だ夢の中の潔を蜂楽と千切で支える(凪も加わろうとしたが、身長差がありすぎるので却下された)
エレベーターを呼んで乗り込み、目的の階のボタンを押す。動き出すエレベーターの中で、玲王が意外だ、と言わんばかりに口を開く。
「なんか、思ったよりしっかりしたとこ住んでんだな潔…」
「玲王が言うとなんか嘘くさい」
「いやいや、そうじゃなくてさ。潔って良くも悪くもサッカー一筋だろ。サッカーに関連するものならともかく、こういう部分とあまり気にしてるイメージなかったから」
「たしかにー、潔ならサッカーさえできるんなら、寝床とシャワーさえあればいいや、てなりそー!」
一人だと特に!と、ケラケラと蜂楽が笑う。
そんな話をしている間に目的の階に到着し、あとは目的地に向かうだけとなる。
「おーい潔ー、お家に着いたよー。起きろー」
「んー……?」
ゆっくりと歩きながら蜂楽がそう声をかけて頬を優しく叩く。それに反応して、潔の瞼がふるりと震えてゆっくりと開かれる。
「おはよう潔。ここ、お前んちであってるよな?」
「…あれ、俺…」
「駄目だよ潔、目擦りすぎたら赤くなっちゃう」
眠そうに目を擦る潔の手を凪が優しく止める。どうやら完全に覚醒してないらしく、まだぽやぽやしてる。
「ほら潔、お家に着いたんだし、鍵開けて中入ろ?」
「んー……」
おぼつかない手で持っていたバッグを漁り始める。
「……あ」
そう呟くと、潔は手を止める。
「あー…、鍵忘れちゃったか…」
「え!?忘れたって…」
どういうことだよ、と國神が続けようとしたところ、皆の想像していなかった言葉が潔から発せられる。
「しかたない……開けてもらお」
「「「…え?」」」
全員言われた言葉を理解する前に、潔は慣れたようにインターホンを鳴らす。
その数秒後、すぐに扉が中から開かれる。
「おいクソ潔、鍵は忘れんなってあ、れ、ほど……」
「「「「「は???」」」」」
中から現れた人物、糸師凛によってその場にいる潔以外の全員が顔を見合わせ同じ言葉を発して固まった。
「りん!ただいまー!」
そんな周りの空気を全く気にもとめず、少しだけ意識がはっきりしてきた潔は凛の胸元へダイブする。それにより、凛は誰より先に硬直から立ち直る。
「……酒くせぇ」
「飲んできたんだからしょーがねぇだろー」
「どんだけ飲んで来てんだよ、ほどほどにしとけっつっただろうが」
「なぁ、さえは?もういる?」
「人の話聞けよ…この酔っぱらいめ…」
そんなやり取りが聞こえてきたのか、冴がリビングから顔を出した。
「随分ご機嫌じゃねぇか潔」
「あー!さえ!久しぶりー」
冴の姿を確認した潔は、ぱっと凛から離れて冴の元に駆け寄る。その様子に少しばかり不満気な表情になる凛だったが、すぐ背後に殺気を感じて視線をそちらに向ける。
「ちょっと凛ちゃん…これはどういうこと…?」
「あ?」
そう呟く蜂楽は真っ直ぐと殺意を隠さずこちらを見つめている。更にもう一つ特大サイズの殺意が向けられているのを感じる。これはおそらく凪。
「どうもこうもねぇよ」
知られてしまったなら仕方ない、向けられた殺意を全て蹴り飛ばしてやるまでだ。
今にも殴り込まんとする蜂楽達にこれ以上自分達の領域に踏み込ませないよう、扉を閉めつつ凛はトドメの一言を放った。
「あいつは俺を選んだ、それだけだ」
──それはまさしく勝利宣言。
フン、と鼻で笑って宣言が終わると同時に扉はパタンと閉じられた。