「そんなに言うなら首輪でも付けとけってんだ!そんな根性も甲斐性もない意気地なしのくせにいっちょ前に喚き散らすんじゃねぇよバーカ!!」
一息に言いたいことを全て吐き出して、潔はドスドスと足音を立てて玄関から飛び出していった。
潔の去った部屋のリビングには、ソファに沈んで目を手で覆い俯く凛だけが残されていた。
糸師凛と潔世一の喧嘩は大なり小なり、もはや日常茶飯事だった。しかし、この日の喧嘩はいつもより少々派手であった。
きっかけはとあるゴシップ誌に潔のスキャンダル記事が掲載されたこと。もちろん内容は事実無根のデマではあるのだが、こうして潔が雑誌記者にすっぱ抜かれるのは初めてではない。
プロのサッカー選手としてプレイする上で、所属チーム以外でも様々な人との関わりは避けられない。そんな中で潔世一という男は、性格上頼まれごとは断れなかったり困ってる人を見かけるとつい手を差し伸べてしまう。フィールド上で放つエゴイズムは何処へやら、一度ピッチから去るとただのおせっかいなお人好しになってしまうのだ。
そんな潔だから、女性スタッフと荷物運びを手伝っていたところを撮られて上手い具合にツーショットで切り抜かれたりと、記者達の格好の餌食となることが多々あったのだ。
今回も例に漏れず同様の事象によるものだったのだが、今まで幾度となく起きてきた潔のスキャンダルにとうとう凛の堪忍袋の緒が切れてしまい、大喧嘩へと発展してしまった。
「だから!この人とはそんなんじゃねぇってお前もわかってんだろ!」
「どうだか。ここまでこんなことが続くなんてどう考えてもおかしいだろ。お前にも下心でもあったんじゃねぇの」
「は? 凛、お前、本気で言ってんの……」
「少しでも賢い頭なら、何度もこんな軽率な行動取るわけねぇだろ」
凛の容赦ない言葉になんとか宥めようとしていた潔もカチン、と来てしまい引き下がれなくなってしまった。
「……そりゃあ? 誰かさんが何もしてないからな」
「あ? ……何が言いたい」
「別に? 俺って実は今のところ何にも縛られてない、自由なんだなー、て気付いただけ」
そう、二人は同棲までしていて身体も重ねる仲であり、世間一般でいう恋人同士という関係であることには違いなかった。
──だが、それを明確に言葉にも形にもしたことはなかった。
凛がそういうことを言葉にするのも難しい性格なのは理解していたし、そうでなくても凛なりに潔を大事にしたいという想いは感じていたので、潔は『今の俺たちはこれで良い、けどいつか形になったら良いな』くらいの気持ちでいたのだ。
そこに先程の凛の発言。
お互いを信じていたから今の関係性になったのだと、そう思っていた潔は正直ショックを隠せなかった。
(なんだよ、そう思っていたのは俺だけだったのかよ……)
そう思ってギリッ、と拳を握りしめて俯く。
──そして潔は言いたいことを一息でぶちまけ、大股で歩き出して部屋を飛び出していったのだった。
「はー………」
凛と大喧嘩をして家を飛び出した潔は今、二人の住んでるマンションから少しだけ離れた公園のベンチにいた。
この公園は潔のお気に入りで、ジョギング中の休憩や少し考え事をしたい時などによく立ち寄っていた。
「勢いで飛び出しちまったけど、これからどーすっかな……」
今は3月。ようやく春の訪れを感じられる気温になってきたが、さすがに朝晩になると少しだけ肌寒くなることがある。
いつまでもここにいるわけにもいかないが、まだ凛のいる家へ帰る気分にもなれなかった。
「軽率かぁ……」
先程凛に言われた言葉を反芻する。
あの時はついカッとなってそのまま言い争いになってしまったが、頭が少しずつ冷えてきた今改めて自分の立場を考えてみると、凛の言うこともごもっともだな、と思った。
互いに他意はなくともこのご時世、男女が並ぶだけでそういう対象として見られてしまう。そうなれば、自分だけでなく相手にも迷惑がかかる。自分はそういう立場にいるのだという自覚が足りていなかった。
(その点は俺に非がある。それに……)
部屋を出る時に言い放った言葉、あれも紛れもなく潔の本心だった。
いつか、と思っていたのも事実ではあったが、自分たちの関係に何かしらの形が欲しい、と思っていたのもまた事実だった。
(信じきれてなかったのは俺も一緒、か……)
はーっかっこわり……、と頭をガシガシとかき混ぜて俯く。
あんなことを言った手前、どんな顔して家に戻れば良いかわからず頭を抱える。
そこへ、ジャリ、と別の来訪者が来たことを告げる砂利が潰された音がする。潔はその音に反応し、思わず顔を上げる。
「凛……」
そこには今、潔が会いたくて会いたくなかった人物が立っていた。
「……よくここだってわかったな」
「お前、よくこの公園来てるだろ」
だからここだと思った、と凛の抑揚のないトーンで告げられる。
「帰るぞ」
「あ……」
有無を言わさず、凛は潔の腕を掴んで引っ張り上げるとそのまま歩きだす。
お互い家に辿り着くまで無言ではあったが、凛の腕を掴む力が緩むことはなかった。
数時間前に飛び出した我が家へ戻ってきた潔は、そのまま凛に手を引かれ、リビングへ連れて行かれる。
「ここで待ってろ」
潔をソファに座らせてそれだけ告げると、一度凛はリビングを出ていった。
無音のリビングに取り残された潔は、今の凛の行動が読めず、色んな思案を巡らせていた。
(どうしよう……、凛の奴、まだ怒ってる……のか……?)
先程の会話から、今の凛もしっかり冷静になっているのはわかる。だが、その上で凛が今何を考えているのかさっぱり読めなかった。
(最良のパートナーが、笑えるな)
フィールド上で並べば、お互いの考えがシンクロしたみたいに重なってわかるのに、ひとたびフィールドから降りてしまえばこんなにもわからないことばかりだ。そんな状況に潔は苦笑いを浮かべるしかなかった。
そこへ凛が戻ってくる。そのまま潔の隣に腰掛けてくる凛に思わず身体を強ばらせてしまう。
何を言えば良いのか分からず、潔は視線を床に落とす。
「目、閉じろ」
「へ?」
予想外の言葉を告げられ、思わず視線を向ければ目で早くしろ、と訴えかけてきていた。戸惑いから潔は言われた通りぎゅっ、と目を閉じる。
(なんだ……? 何する気だ……?)
疑問符しか浮かばない潔はこれから何が起こるか分からず、ただ身構えるしかできない。空気が揺れて、凛が動き出したのを感じる。ふわりと凛の香りが鼻孔を掠めたかと思うと、首元をするりと撫でられる。
「お前が、付けろと言ったんだからな」
そんな言葉と共に、少しだけひんやりとした感触を首元に感じる。その上から今度はちゅっ、という軽いリップ音と共に首元に唇が落とされた。
「ひゃ……っ」
予想外の動きに、潔は思わず目を開く。光が戻った潔の視界に入ったのは、真っ直ぐ射抜くように潔を見つめる翡翠。
そして、首元に感じる違和感。手を当ててその正体を探る。
「……ネックレス?」
潔の首元には金色に光るネックレス。そのペンダントトップにはキラリと存在感を示すターコイズブルーが埋め込まれていた。
「お、前……っ、本当に首輪持ってくるやつがあるかよ」
ふはっ、と耐えきれず吹き出して、潔は強ばっていた表情をくしゃりと崩す。クスクスと笑いながら両手で凛の顔を包み込んで、互いの鼻先が触れるくらいの距離まで近付く。
「凛、ごめんな。俺、確かに考えが足りてなかった。完全に……はすぐはちょっと難しいかもしれないけど、これからはもう少し気を付ける」
「ふん、テメェのお人好しは今に始まったことじゃねぇし、すぐに無くせるわけねぇだろ」
むす、とまだ不貞腐れているような表情ではあったが、潔の性格がそう簡単に変わらないことも一番理解しているのも凛だった。
そのまま凛は少しだけ体重を傾けて、潔の身体をソファに押し倒す。
「こいつはお前のお望み通りの首輪だ。試合以外は外すんじゃねぇぞ」
「おぉ……、それにしても準備早すぎだろ」
「……今日という日には相応しい贈り物だろうが」
「今日って……」
あ、と潔が気付く。今日は3月14日。バレンタインデーほどではないが、日本中のお菓子売り場が少しだけ賑やかになる、ホワイトデーだった。
「もしかして、これ、今日のために準備してた……?」
「まさか先にお前から強請られるとは思ってなかったがな」
確かに前月のバレンタインデーには、潔から凛へチョコレートを贈っていた(凛が甘い物がそこまで得意ではなかったため、最終的に半分以上は潔の胃袋に収まったが)
潔が渡したいから渡した。だから、お返しなど全く期待してなかったのだが。
「チョコのお返しに首輪とか……、重すぎねぇ?」
「あ? こんなん序の口だろ」
「えー……、何それもっとゴツいのがこれから来るってこと? ……それって」
期待しても良いってことか?と視線で訴えると、答えるかわりに凛の唇が落ちてきて潔のそれを塞いだのだった。
その後、ネックレスをプレゼントすることの意味を知った潔が、再び口元がにやけるのを止められなくなるのはもう少し先の話。
【あなたを独占したい】