凛と潔が一緒に暮らし始めて、それなりの月日が流れた。一緒に住む前から互いの家を行き来していた仲だったこともあり、実際一緒に暮らし始めてもさほど苦労は無かった。
そう、今のところ二人の同棲生活は順調であった。
──だが、一点だけ。潔には少しだけ頭を悩ませていることがあった。
それは。
(ほぼ毎日セックスしてたら、流石の俺も身体がもたねぇ……)
そう、一緒に暮らすことになって凛は毎日のように潔を求めた。今までは互いの家を行き来していたとは言え、違う国に住んでいた事もあり何ヶ月かに一度会えれば良いくらいの頻度だった。
それが一緒に暮らし始めた事により、箍が外れたように凛は潔を抱いた。たまに「今日は無理!」と突っぱねてはみるものの、その度に凛の甘えるような視線に潔が耐えきれず、結局許してしまい今まで成功したこと試しはない。
(そこで許しちゃう俺も俺なんだよなぁ、それに、別に凛とのセックスは気持ちいいし……)
身体は確かにしんどくはなるが、潔とて凛とのセックスが嫌な訳では無い。好きな人と身体を重ねる事は最高に幸福で、むしろあの糸師凛がこんなにも自分を求めている、という事実にちょっとした優越感を感じているのもまた事実であった。
なので、実際のところ悩んでいるのはその行為の頻度ではなく。
(セックスの度に噛み跡増えるの、何とかならねぇかなぁ)
本題は凛のセックスの度に必ず潔の身体に跡を残す噛み癖の方だった。セックスの度に新しい跡や、見える位置の薄くなってきたそれに上から噛みつき、再びその印が濃く刻まれる。そのため、潔の身体は常に凛の残した噛み跡だらけなのだ。
(凛なりの愛情表現、なんだろうから全然嬉しいんだけど)
それでも流石にここまでずっと噛み跡が多いと、他の人がいる空間で着替えることさえ憚られる。とうしたものか。
そんな事をぐるぐると考えながら、潔は寝室のベッドに寝転がっていた。
「でもなぁ、それを直球で言ったら凛、絶対拗ねるんだよな」
自分のやりたいようにやるワガママ甘えんボーイ。それが糸師凛。自分のやりたいことを誰かに止められると、途端に不機嫌になって拗ねてしまうのだ。
歳を重ねて幾分か丸くなり、必要とあらば最低限の大人の対応も出来るようになってきた。
そんな凛だが、潔の前でだけは昔と変わらず自分のやりたいようにしてくる。潔が年下に甘いということを承知で、それを最大限に利用して甘えてくる。
だからこそ、それにストップをかけられると途端に超絶不機嫌になってしまい、もっと甘やかさないと機嫌が直らない非常に面倒な性質になっていた。
話が少し脱線したが、つまりは『凛に噛むのを控えさせたい(止めさせたい訳では無い)が、そうすると絶対面倒なことになるのでどうしたものか』と潔は頭を悩ませていたのだ。
「凛が素直に言うこと聞くわけないし」
そもそも、凛は何故こんなにも跡を残すのだろう。
消えない跡を所有の証として残したいのだろうか。
(……それなら)
──もっと別の場所に残して欲しい、なんて。
そんならしくない思考が頭をよぎり、潔はそっと左手を掲げる。じっと見つめるのは、薬指。
そこには何もない、男の骨張った指があるだけだった。
「何してんだテメェ」
「おわぁっ!?」
しばらく思考に耽っていた潔は、途中で部屋に入ってきた人物──糸師凛の存在に気付いておらず、唐突に声をかけられて驚きで身体がびくりと跳ねて飛び起きる。
「びびびびっくりさせんな馬鹿っ!」
「あ? テメェが勝手にびびっただけだろうがクソ潔」
帰宅した凛だったが、リビングにもキッチンにも潔の姿が見当たらす、ここまで覗きに来たのだろう。
むすっ、とした表情のまま潔のいるベッドの端に腰掛ける。
「何、考えてた」
「え」
「左手、じっと見てたろ」
「あー………」
見られてたのかよ、と凛から視線を逸らしどうはぐらかそうか考えていたが、凛の視線は強くなる一方で、ごまかしは効かないぞと訴えかけてくる。
「別に、大したことじゃないよ」
「あんなに熱心に薬指見つめてたくせにか」
「ゔ……」
バレてる。しかも見ていた箇所が箇所だけに、変なごまかしは無意味と悟り、潔は観念したように口を開く。
「本当に、大したことじゃないんだ。……お前ってさ、めちゃくちゃ噛んでくるじゃん」
これな、と少しだけ襟元を下げてその下に隠れていた跡を凛に見せつける。
「お前が毎日のように丁寧につけ直してくれるもんだからさ、なかなか消えないわけ」
「……消えねぇようにしてるんだから当然だろ」
「やっぱ意図的にしてんのかよ、着替える時大変なんぞこれ」
「別に他の奴らが何言ってこようと気にしなきゃいい」
「お前と違って、俺は普通に羞恥心を持ち合わせてんの」
「おい、人を恥知らずみたいな言い方すんじゃなぇ」
そう言って凛が潔の頬を思いっきり抓ってくる。いひゃいいひゃい、と腕をバシバシと叩いて抗議の意を示すと、パッと離される。
「おー、いてて……」
「で、それがさっきのにどう繋がるんだよ」
「……言わなきゃ駄目?」
「言わねぇつもりなら吐かせるまでだが」
ぐいっと今度は潔の顎を掴み、強制的に自分の方へ向かせる。視線がぶつかり合い逸らすことを許さない。
「おまえはそういう奴だよなー……」
少しでもこちらが気になること、不安なことを察知した時は全て吐き出させようとする。言い方は強いが、そうやって凛は潔の中に心に引っかかる事があれば必ず取り除こうとしてくれるのだ。それが凛なりの不器用な優しさであることを知っている。
改めて観念した潔はポツポツと言葉を紡ぎ出す。
「まぁ、その、なんだ。どうせ消えない跡を残すんならさ、もっと別の所に残してくれたら良いのに……」
「は……」
「なーんて……、思って見てた、だけ」
最後の方はかなりか細い声となり、しっかり耳を傾けてなければ聞き取れないレベルだったが、凛の耳にはしっかり届いたようだった。しかし、凛から次の言葉はなかなか出てこない。
「……何とか言ってくれませんか、凛さん」
しばらく無言の時間が続いたが、その空気に耐えられず潔が口を開く。それを皮切りに凛は大きく一つ息を吐いた。
「……っんとに、テメェは馬鹿だな」
「だから言ったろ。大したことじゃないって」
「そうじゃねぇ」
そう言って凛は潔の左手を取り、言葉とは裏腹に薬指を優しく擦る。
「ここに付けて良いのは、一つだけだろ」
「……んん?」
「そろそろここにも一生消えない跡を付けてやるから、あと少しだけ待っとけ」
「はぇ……」
凛から紡がれた一語一句逃さず噛み締めた結果、想像していなかった事を告げられ、潔の顔がみるみる紅く染まっていった。
「ほんっっと、お前ずりぃよ……」
「んだよ、文句あるのか。異論は……」
「認めねぇ、だろ。あるわけねぇじゃん馬鹿凛!」
気持ちが昂ぶるのを抑えきれず、潔は凛の胸元へ飛び込む。凛もそれを難なく受け止め、しっかりと潔の背中に腕を回す。
「もー、普段あんなにワガママで甘えん坊の凛ちゃんがそんなカッコいい事言ってくれるとは思わなかった」
「……その甘えん坊の下でいつもみっともねえくらいに喘いでるくせに」
「あ!? そ、れとこれは別だろ馬鹿野郎っっ!!」
ていうか、さっきの話まだ解決してねぇ!と自分の胸元でギャーギャー騒ぐ潔に黙れと言うかわりに自分のそれで唇を塞いでやるのだった。
──後日、二人の薬指に光るそれをキャッチした世間が大変な騒ぎになったのは言うまでもなく。
そしてその後も潔の衣服の下は、多数の噛み跡が消えずに残ったままなのであった。