賑やかな笑い声が聞こえる。
心地良い微睡みの中、起きようとする意志とは反対に、瞼は硬く閉じている。
頭はふわふわと気持ちがいいけれど、身体は熱くて重たい。
あぁ、飲み過ぎたのかもしれない。楽しくて、つい羽目を外してしまった。
喉が渇いたな、と考えていると、頬にひんやりとしたものが触れた。
少し覚醒して薄く目を開けると、照明を背に蜂蜜色の瞳がこちらを見下ろしていた。
「フェイスくん、大丈夫? お水いる?」
落ち着いた声が耳に優しい。ウィルの冷えた指先が、火照った頬を優しく撫でる。
「顔赤いよ。珍しいね」
前髪を上げてひたりと手の平が額に当てられた。冷たくて気持ちがいい。
「手、つめたい」
「お皿洗ってたから。嫌?」
「ううん……冷たくて気持ちいい」
深く呼吸すると喉の渇きが増した気がした。
狭いソファの中で寝返りを打ち、体勢を変えるとウィルの顔がよく見えた。
昔より少し大人びた顔つきで、しかし変わらず慈愛を含んだ瞳でこちらを見下ろしている。
「水持ってくるね」
離れていくのが惜しくて引き留めようとしたが、のろのろと腕を持ち上げただけで、ウィルはキッチンの方に行ってしまった。
急に寂しくなってゆっくり上体を起こすと、目の前がくらくらした。
そんなに飲んだっけ、と記憶を辿るも、ほんの数時間前のことが思い出せない。
「おー、起きたかフェイス」
ご機嫌なキースと目が合った。呂律が回っておらず、きっと明日は二日酔いだろう。
「どれくらい寝てた?」
「んー? そんな経ってねえよ。一時間くらいじゃね」
「……なんでウィルがいるの?」
飲み始めたときは居なかった。今日はうちの全員が休みで、ディノがピザパーティーをするというので、たまには付き合うかとキースに勧められるままにお酒を飲んでいた。
ウィルを呼んだ覚えはないし、いつ来たのかも分からない。恐らく俺が寝てしまった後に来たのだろう。
「なんでって、」
「オメーが呼び出したんじゃねーか、クソDJ」
キースが言い掛けたところで横からおチビちゃんが呆れたように答えた。
コントローラーを握り、視線は画面に向いたまま。ディノと対戦しているらしい。
「俺が? なんで?」
「覚えてねーのかよ」
おチビちゃんの言葉にウィルは苦笑していた。グラスを受け取り、一先ず喉の渇きを潤す。
一息ついてソファに座り直すと、横の空いたスペースにウィルが腰掛けた。
「なんでかは、俺も分かんないけど……」
座りしなポケットからスマホを取り出して画面をこちらに見せる。そこには着信履歴としてずらりと自分の名前が並んでいた。
まじまじと画面を見てから思わず顔を顰める。
「……覚えてない」
全く覚えていない。一応自分のスマホも確認すると、同じ履歴で埋まっていた。
「何かあったのかと思って、掛け直したんだけどフェイスくん出ないから、ジュニアくんに連絡して」
「潰れて寝てるって言ったら来たんだよ」
キースを見ると俺を見ながらニヤニヤと笑っていて憎らしい。
言っておくけど、キースよりはマシだから。絶対。
「ごめん、覚えてないけど、面倒かけたね」
「え、そんな、俺が勝手に来たんだし、謝らないで」
山ほどの着信履歴の画面を指差して、ウィルの手首をトンと突く。
「これ、誰にも見せないで」
「ふふ、うん、もちろん」
綻ぶように笑うその顔が、やけに嬉しそうで、寝起きの目には眩しいくらい。
「なに、そんなに嬉しい?」
小首を傾げると、ウィルはスマホの画面をもう一度こちらに見せながら、人差し指でゆっくりスクロールしてみせた。
『ねぇ』
『なんで出ないの』
『返事して』
『ウィル』
『会いたい』
『好きだよ』
次々と流れる、それは短く大量に投稿された覚えのないメッセージ。
顔を引き攣らせながら、スマホを持つウィルの手首をやんわりと掴んで降ろさせた。
「それ全部消すから、ウィルも忘れて? いい?」
「え、消さなくていいよ」
「ダメ。全部忘れて。記憶から消して」
「えー……」
「……スクショ撮ってないよね?」
「えっ、……あ、うん……撮ってない……」
「本当に?」
「……えっと……」
「…………ウィル?」
無言で見詰め合い、ウィルの目が逸らされるのとスマホを仕舞おうとするのが同時で、咄嗟に手を伸ばすもウィルはスマホを抱え込んで防いだ。背中から伸し掛かるようにして奪おうとしても、がっちり守って腕が解けない。
「ねぇ、ウィル、お願いだから」
「誰にも見せないから!」
「駄目。俺が耐えられない」
狭いソファの上でもみくちゃになって、ウィルの意外な力強さと頑固さに苦戦していると、ディノが「仲良しだな!」なんて言って笑うものだから、キースとおチビちゃんは余計に囃し立てる。本当最悪。
「ウィル、本当に、お願いだから消してっ」
酔って覚えのないメッセージなんて恥ずかしいにも程がある。しかもウィル相手に、こんな俺らしくない言葉なんて。
俺の必死の説得にウィルがしぶしぶこちらを振り返る。
「……俺は嬉しかったよ?」
「覚えてないから、ダメ。こっちが悪かったけど、本当に勘弁して」
「……分かったよ」
ソファに座り直してから、ウィルはスマホを操作してアルバムから画面のスクリーンショットと思われる画像を選び、削除した。
それを確認して俺は自分の携帯からメッセージを一つずつ削除していった。
なるべく読まないように淡々と消していくが、思った以上に量があって背中がぞわぞわした。
スクロールして、また発信履歴が続く。
手元を見詰めるウィルの、おもちゃを取り上げられた子犬のような顔が、ほんの少し良心に刺さる。
ウィルは喜んでいた。俺が酔って送ったメッセージを。わざわざ画像に残すほどに。
下まで来ると、一度だけウィルからの着信があった。『どうしたの?』という言葉に俺からの返事はなく、続いてウィルから一言だけ『俺もだよ』とあった。
何に対する返事か一瞬分からなかったが、一つ前に消した自分の言葉を思い出して、あぁ、と納得する。
チラリと横を見ると、まだしゅんとした顔のウィルと目が合う。
胸がチクリと痛む。我ながら、笑ってしまうほど、ウィルのこの顔には弱い。
「……絶対誰にも見せないでね」
画面を開いたまま、新しく言葉を入力し、送る。
それは素面じゃ絶対言わないような、いつもウィルが食べる甘い甘いお菓子より、もっと甘い愛の言葉。
ウィルがそれを確認する姿を横目に、羞恥と戦いながら溜息を吐いた。
ぱっと瞳を輝かせるのを見て、膨れっ面の自分に寄り掛かるウィルの重さを愛でながら、もう二度とお酒なんか飲まないと心に誓った。
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