本木に勝る末木なし床に敷いた段ボールの上にカガリは体を縮こませて座っていた。投げる視線の先には窓を激しく打つ雪。かれこれこの景色を数時間ほど見ている。
停電で非常口の蛍光灯だけが光る薄暗いこの大きな空間で、カツカツと鳴る複数の足音をBGMにカガリは静かに待っていた。
「カガリ」
幾つか足音が目の前を通り過ぎるのを眺めていれば、落とした視界の端に靴が映る。名を呼ばれ顔を上げれば、カガリの待ち望んでいた人がそこにいた。
「温かい飲み物を貰ってきた、毛布も。羽織って」
ふわりと折り畳まれていた毛布がカガリの視界いっぱいに広げられ、体の体温を逃さぬように毛布で包まれる。温かな肌触りに、寒さで強張った筋肉が少し解けたような気がした。
毛布の下に隠した手を取られ、体温を確認するように握られる。冷えた指先にその握られた手は暖かく、今のカガリには有難い熱だ。
「冷えてるな…大丈夫か?」
心配そうに自分を見つめる翠眼に、大丈夫だとカガリは返事を返す。
「私は平気だ。それよりアスランの方がずっと動きっぱなしじゃないか、体力を温存しないと」
「俺は軍で訓練を受けていたからこれぐらい何ともない、俺より君だ。この状況で体調でも崩したらそれこそ大変だ」
アスランは冷えたカガリの手の熱を取り戻すように握り、マッサージをしながら言う。
時刻は午後七時三十八分。本来の予定であれば今頃オーブに着いていて、キラやラクスと一緒に夜ご飯をとっているはずだった。それが今はオーブに帰るどころか飛行機にも乗れず、ここスカンジナビア王国の国際空港で足止めを食らっている。
足止めを食らう原因となった降りしきる雪をカガリは見つめた。
「なかなか止まないな・・」
カガリが見つめる先を同じように眺めるアスランがポツリとそう呟く。うんと小さくカガリは頷いた。
ここスカンジナビア王国は、ノルウェー・スウェーデン・フィンランドからなる国家でカガリとは養父である父、ウズミ・ナラ・アスハの代から親交があり縁が深い。第一次連合・プラント大戦時に連合の占領下に置かれたオーブの主権回復に一役買ってくれた国だ。その国からホムラ代表の指揮下の元、少しずつ本来の姿を戻しつつあるオーブに一報が入る。スカンジナビア王国からカガリへ非公式で訪問に来るように連絡が来たのだ。いくら親交があるとはいえ、突然の招待に戸惑うカガリにウズミとの事で話があると言われれば、もう断る理由は無い。非公式の訪問である事、そして供を付けてぞろぞろ歩く事があまり好きではないカガリは、護衛にアスランを連れてスカンジナビア王国へ飛んだ。
父に連れられ、幼い頃一度足を踏み入れたあの頃の記憶のまま、王国は美しい雪化粧を被りカガリを迎え入れてくれた。
到着したのは夕方で、会談は翌日となりカガリとアスランは長距離移動で疲れた体を休めるため、その日は王国が用意してくれた一室で寝泊まりした。
翌日、朝食を済ませ王室へと案内されると緊張した面持ちでカガリは席に座る。そこでカガリは初めて自分が呼ばれた理由を告げられた。まだ時期は先だが、オーブ首長の座に就く事がすでに決まっているカガリに、ウズミと王国が結んだ盟約と経緯について説明したいとの事だったのだ。
初めて耳にする話を驚くカガリに今は故人のウズミの思い出話を交え、話に花を咲かせながら会談は和やかに終了した。
そして帰国の時間が迫る頃、一年の半分近くが冬を占めるこの国で、運悪く冬将軍に当たってしまったのだ。空港に到着して数十分後に乗るはずだった飛行機はこの豪雪で欠航になり、しかもそこに加えて雪が原因で大規模停電まで起きてしまった。
このままここに居ても仕方ないので一度空港から市街地へ戻ろうとしたが、同じような考えの人でバス停やタクシー乗り場は人でごった返し状態。迎えに来てくれと、空港まで送ってくれた運転手をこの悪天候の中呼び戻すにはあまりにも不憫で、二人は空港で一夜を明かす事にしたのである。
「アスラン、オーブと連絡は?」
そう訳ねるカガリにアスランは首を横に振った。
「ダメだ。この大雪の影響でどうも通信回線も繋がりにくくなってる」
あまり嬉しくない報告にそうかと肩を落とすカガリに、アスランは大丈夫だと安心させるように 声をかける。
「この雪も今日中には止むという話だし、朝には今より状況がマシになっていると思うから、もう少しだけ頑張れるか」
「うん」
「オーブとの連絡も時間を置いて何度か試みてみるよ」
「分かった。ありがとうアスラン、お前が居てくれて助かった。寒いだろう お前も毛布の中に入れよ」
そう言ってカガリは毛布の半分を空け、アスランに入るように促す。いや俺は、と予想通り断ろうとするアスランの手を掴みカガリは強制的に引き入れた。
「いくらお前が軍人で訓練を受けていようが、寒いものは寒いし風邪だってひくんだ。身を案じてくれるのは嬉しいけど、アスランはもっと自分を大事にしろよな」
それに二人でくっついてた方が寒さも凌げるし。と座り心地いい場所を探してモゾモゾと動くカガリに、アスランは分かったと破顔した。了承の返事を聞いて満足そうにカガリは笑みを返す。再び毛布の中で座り居心地のよい場所を探していると、カガリと頭上からアスランに声をかけられる。
「ちょっとごめん」
そう言われた瞬間、カガリの体が浮きアスランの足の間に体を移動させられる。
突然の浮遊感に驚いて慌ててアスランの首に腕を回し、一瞬首を思いっきり絞めてしまった。
「ちょ、急に危ないだろう!?」
「居座りが悪いのかと思って」
「いや、そうだけど・・・」
ちょっとこの体勢はと、そこから口にするのは憚れた。胡座を組んだアスランの足の間に横抱きにされ抱えられた体勢は、カガリの思考に混乱を招く。
なんでこの体勢なんだ?!と言いたいがアスランの顔を見れば他意を感じさせず、カガリの為に良かれと思ってした行動だと受けて取れた。それに二人でくっついていれば寒さを凌げると言った手前、今更引っ込める事もできなくて。
もうどうにでもなれ!と半分自暴自棄になり、カガリはそのままアスランに体を預けた。
体の力を抜いて自分に寄りかかるカガリを確認すると、アスランはポケットから小型通信機を取り出してメールを打つ。電話が繋がらなければ、メールでオーブもしくはキラに連絡を取ろうと図った。
オーブとキラそれぞれに状況の説明と居場所、救援を伝えるメッセージを送る。今できる必要な事を全て終え、通信機をパタンと閉じた時にはアスランの腕の中でカガリは小さな寝息をたてて眠っていた。
(疲れていたんだな…)
顔にかかっている髪を払い除けてやり、疲れて眠るカガリを見守っていればブブッと通信機が震える。パッと開ければ画面にキラという文字。
メールを急いで開けばキラがオーブ政府に連絡し、二人を迎えに来てくれる手筈を組んでくれた事とおおよその到着時間を書いたメールだった。礼を伝える文章と、今日一緒に夕飯をとる約束を反故にしてしまった事の謝罪のメールを送り、通信機を再び閉じる。連絡が取れて帰国の目処が付いた事に、アスランはホッと息をついた。
ん…と少し苦しそうに喉を鳴らしたカガリに、アスランはパッと意識を向ける。少し肩から落ちた毛布を再びカガリにかけてやると、はたとアスランは動きを止めた。
突然の不測の事態に、色々な対応とカガリを安心させる事に必死だったけれど、この体勢は自分にとって非常に良くないのではないかとアスランは今更ながらに気が付いた。自分の恋人が密着した状態で、しかもカガリは無防備に寝ていて。
首元を操る吐息はアスランの加虐心を掻き立てまた一つ喉を鳴らし僅かに動くカガリの唇に、思わず目が行ってしまった。
(これ、はー)
不味い。非常に不味い。
かと言って今さら離れようと動けば彼女の眠りを妨げてしまう。動こうにも動けず、今夜一晩の不寝番と試練のような時間を過ごす事が決まったアスランは、数十分前の自分の行動を呪ったのだった。