子どもたちを寝かしつけてから、リビングへ向かう。
気まぐれに読み聞かせをしたら、毎晩せがまれるようになってしまった。
元が貧しい木こりの家の生まれの二人は、本や物語に触れたことがあまりなかったのだろう。
グレーテルはすっかり本の虜で、私の書庫にある本を日中でも読むようになっていた。読めているか、理解できているかは分からないが。
「おつかれ。子どもたちは寝たのか?」
リビングの扉を開けると、キッチンに立っていた助手が振り返る。
それに応えて、コーヒーを頼んでダイニングテーブルの椅子を引いて腰かけた。
今日まで読み聞かせていたのは千夜一夜。物語通り、千一日かけて読み終えた。
そして、子どもたちへの読み聞かせは、これが最後。
置かれたコーヒーを飲む前に、横に立った助手に声をかけた。
「私はもう逃げも隠れもしませんよ」
助手は静かな表情、静かな声音で、『気づいてたんだ』とこぼし、隠し持っていた銃を私に突きつける。
「いつから?」
「最初から」
そう。最初から分かっていた。
彼が、私を追う組織に所属する人間で、私を狙って来ていることも、森の中で行き倒れている風を装って私の懐に入り込もうとしたことも、分かっていた。
それでも迎え入れたのは、彼が記憶を失ったふりをしてたからだった。
私を油断させるための作戦だったのだろう。
行き倒れて、記憶をなくした可哀想な青年としてやってきた彼を、私は助手一号と呼んだ。
彼が自分が何者なのかを思い出すまでは、ただの居候であれば。
けれどいつまでも逃げ続けることなどできないことも、分かっていた。
一か月ほど前から、彼が焦りを見せるようになっていたから。
「せっかく淹れてもらいましたし、コーヒー飲んでいいですか。ガスト。そのあとはお好きに」
「……分かった。ごめんな、ヴィクター」
本当は、貴方の名を知っていた。
「ありがとうございます」
「……何が?」
「千夜一夜、終わるまで待っていてくれたのでしょう」
「……」
そのあとはどちらも無言で、コーヒーを飲み終えた私はガストと共にラボを出た。
もう戻ってこれない家。これからは、ヘンゼルたちの家。
暗い森の中をしばらく歩き、一番近い町まで降りてきてから、馬車に乗る。
「ごめんな。上からの命令だから」
「はい」
今さら逃げないけれど手錠をかけられ、窓は閉め切っていたがサングラスを外して目隠しをされた。
場所を知られるわけにはいかないらしく、道中も不規則に速度を変えたり長く休憩を取ったり、時間と距離で憶測することは難しかった。
ガストはことあるごとに『ごめんな』と言ってきた。
歪な関係で成り立っていた四人での生活だったけれど、なにか彼の中に芽生えたりしたのだろうか。
やがて馬車は止まり、ガストに手を引かれ降りた。
「ごめん。殺すなって言われてるし、殺したくない。大人しくしててくれ」
「何度も聞きましたよ。抵抗をするなら、とっくにしています」
「……ごめん」