collarless定例会議を終え、ヒーローたちは各々席を立つ。
ざわざわとした喧騒が遠ざかり、会議室にはノヴァとヴィクターの二人が残された。
「ヴィク、もういいよ」
ノヴァが後ろ手に扉に鍵をかけ振り返る。視界の先には、いささか顔色の悪いヴィクターが立っていた。
「……なんの、ことでしょう」
顔色が悪いといっても、元々色素の薄いヴィクターの顔色の変化を察せる者は少ない。本人も隠すことが年を重ねるごとに上手くなってきているため、彼の後輩にあたる10期生から下のヒーローたちは絶対に気づかないだろう。
「『座れ』ってCommand、出したほうがいい?」
「……いえ」
優しいままのノヴァの言葉にわずかに宿る圧に、ヴィクターはひとつ溜息をついて近くの椅子を引いて腰掛けた。
ノヴァはその向かいに椅子を引っ張ってきて座り、頬杖をついてにこりと笑う。
「体調悪いのに頑張ったね。えらいえらい」
「……ノヴァに言われるのは、癪です」
「あはは。鍵かけたから楽にしていいよ、行儀悪くしたって誰も咎めないからさ」
「……」
「割と限界でしょ。dropしちゃったらしばらく研究できないよ」
半ば脅しのような言葉に嫌そうな顔はしたものの、ヴィクターは眼鏡を外して両腕で顔を隠しながら机に頭をあずけ、うつぶせになり浅く息を吐いた。
「落ち着いたらプレイルーム行く?」
「……」
返事はなかったが、かすかにむずがるように唸りながら頭を横に振られ、ノヴァは苦笑する。
ヴィクターが露骨に嫌がるのは、別にノヴァとのplayが嫌だとかそういうことではなく、単純に性に合わないのだ。
男女の性の他にダイナミクスにおけるDom/Sub性というものも存在するこの世界において、ヴィクターはSub性だ。
基本的にヴィクターにも奉仕の欲求精神が本能に根付いているが、彼の場合その矛先がサブスタンスの究明という事柄に向けられており、かつ職業柄常日頃からサブスタンスに触れるためにほぼ日常生活に支障はない。
playもノヴァの知る限り両手で数えられる程度しかしていないはずだ。
しかし、全くdropする危険性がないというわけでもない。
回収されるサブスタンスが解析済みのものやレベル1のものが多いと物足りなく思ってしまい、その鬱屈が溜まると通常のSub性と同様に体調や精神が不安定になり、放っておくとdropする。
長い付き合いのあるノヴァとマリオン、ジェイだけが知っているヴィクターの秘密である。
隠しているわけではないが、普段の言動からヴィクターはDomだと思われることが多いため、この秘密に関しては一貫してノヴァが相手をすることが通例となっていた。
「でもこのまま放っておくのはだめでしょ? 応急でもCareしなきゃ回復しないよ」
「……なら」
手探りで伸ばされた手がノヴァの腕を掴み、彼の頭の上に持っていかれる。
「こうしていてください」
「ん」
撫でろ、とSubのくせに要求してくるところも、それがヴィクターなりに甘えているのだということも、ノヴァは長年の付き合いで分かっている。
ノヴァ自身はSwitch性だが、ヴィクターがSubだと判明してからは自然とDomに切り替えることが多くなっていた。
パートナーではないが、20年近く経ってもたった10回にも満たないplayの相手をしているのだから、それなりにこの関係に愛着もあるし僅かながら独占欲もある。
ヴィクターのこういった一面を知っているのは自分だけでいい、という欲だ。
だからといって他人が彼のCareをしたところでそれほど嫉妬の念も浮かばないから、上手くやれているのだと自分では思っている。
望み通り絹糸のようにさらさらと流れる淡い金の混じるプラチナシルバーの髪に指を絡ませ撫でていると、ヴィクターがもぞもぞと動きしばらくして大人しくなる。
どうやら気持ちいいポイントを捜していたらしい。
なかなか懐かない猫みたいだな、と思う。口にしたら睨まれるので秘密だ。
「ん……」
「眠い? 寝ていいよ」
「寝るなら部屋に戻りますし……私より寝ていない貴方には言われたくないです」
「総合的な睡眠時間は同じくらいじゃない?」
「私の二時間と貴方の二時間は違うでしょう」
はいはい、と適当に流せばいささか不満そうな唸りとも呻きともつかないくぐもった声が何かもごもごと言っていたが、これはdropするほど深刻ではないということだからノヴァは内心ほっとする。
以前うっかりCareのタイミングを見誤ってdropさせてしまったときは、一週間ほど何の反応も返さない人形のようになってしまい、さすがのノヴァも肝が冷えた覚えがある。
以来ノヴァはヴィクターが大丈夫だと言い張っても自分の直感を信じてCare、必要ならplayをすることに決めている。
その後特に会話はなく、五分間ほどノヴァは艶めく長い髪をただ撫でていた。
ヴィクターとは会話がなくても居心地がいいから好きだ。会話があったらあったで時間を忘れて話し込んでしまうが、今はヴィクターを休ませることのほうが先決なのでひたすら頭を撫でることに徹していた。
不意にヴィクターの肩が揺れ、頭があげられる。
会議中見たよりも顔色はよくなっていて、ノヴァはほっと息をつく。
「すっきりした?」
「……多少は」
「うん。じゃあ、ちゃんと休むんだよ」
「はい」
ドアの鍵を開け、二人は部屋を出る。
休むと言いつつラボへ向かおうとするヴィクターを引きとめた。
「部屋で寝たら?」
「解析に時間がかかるものをセットしてきます」
「ああ。セットぐらいおれやっとくよ?」
「ノヴァが触るとものの配置場所が変わるからいいです」
「うっ……」
結局無駄口、もとい世間話をしているうちにヴィクターのラボに到着し、彼が装置のセットをしてノースの部屋に帰っていくまでをノヴァは見守っていた。
ヴィクターの要求はひとまず満たしたし、万一体調が悪化しても部屋にはマリオンがいる。
彼自身もノヴァと同じくSwitchではあるが、ヴィクターの性のこともノヴァとの関係のことも知っているため連絡をくれるはずだ。
イクリプスとの戦闘ちゅう、DomであるガストのGlareを浴びたヴィクターがdropしかけたときは咄嗟にCareをしてくれたこともある。
マリオンはヴィクターを嫌っているが、ノヴァの大切な友人ということも理解しているのだ。
なんだかんだとマリオンだって3歳ぐらいまではヴィクターにも普通に懐いていたし、ノヴァはいつか二人の関係が幼い頃のようにとまではいかなくても、今よりは改善されればいいなとふんわりと思っている。
「さて、おれもちょっと仮眠しようかなぁ」
ぐ、と伸びをしたら肩や腰の骨がパキパキと鳴り、少しだけげんなりしながらノヴァは自分のラボの仮眠用ベッド……ではなく床の上に寝そべった。