さっさと降参すんのが吉だよな「坊や♡」
脳髄がブチ壊れそうなほど甘い声音と共にどろりと蕩けたピンクゴールドがキュウ、と細められる。
アッ、やべっ。と思ったミスタは、手にしていたSwitchをそっと置き、目を合わせたままジリジリと後退した。野生の熊に出会したときの対処法と同じである。しかしヴォックスは熊ではないので、白い顔を薄らと染めてゆるく微笑み迫ってくる。
「ヤ、ちょ。ホント、勘弁してください」
「ン?」
「午後に美容院の予約入れてんだって。なあ、オイ」
ミスタの本気の懇願虚しくついに壁際に追い詰められ、長い腕が細い身体を絡めとった。香水と煙草の匂い、いつもより高い体温、何より圧し潰されそうなほど強いフェロモンに脳がグワンと揺れる。目の前に星がバチバチ散ったような気がした。
ヴォックスは今、ラット…Ωでいうヒートに陥っている。
ラット状態のαは普段よりさらにΩに対する気持ち(庇護欲とか、献身欲とか、性欲とか、色々)が強くなる。
それはマアいいとして。世界の76億人が知っての通りヴォックスはもともと愛情深い質だ。広く平等に生き物を愛しているヴォックスがミスタひとりに愛を注いだとしたら、それはもう耐え切れない。人の器には余るものなのだ。人外の愛というのは。だからヴォックスはミスタがトばないように全身全霊で以ってセーブしているのである。……普段は。
「ミスタ、お前は本当に、一等かわいいね」
「ミ°ッ」
「いとしい子、力を抜きなさい。そんなに唇を強く噛むんじゃないよ」
「わァ…ぁ…」
ミスタは吐息混じりに啄むようにキスされてちいかわの絵柄になって泣いた。なんたってこいつ、ラットになると前戯がいつもの5億倍長くなるので。ゆっくり時間をかけて、グズグズに甘やかされて意識が溶け出してゆく感覚にはまだ慣れなかった。
「…っゥ、」
「ひひ♡」
黒い爪先がチョーカーの下の噛み跡を引っ掻くようになぞる。背骨が痺れ、うなじだけが異様に熱い。耳朶を撫でる甘ったるい吐息から意識を逸らしたいのに、指の一本も動かなかった。ヴォックスの瞳はどんどん輝きを増す。
焼き尽くされそうな、金色。
「みすた、」
「ア、」
とびきり優しい声で名前を呼ばれては、もうだめだった。ピンク色のハンマーで頭をぶん殴られた気分だった。
ミスタは大きく震えてカクンと膝から座り込んだ。両手でチョーカーを引っ張って、狭まる気道から細く息を吐き出す。ドラッグでもぶち込まれたみたいに瞳孔が小さくなり、陸の魚のようにただ空気を食む。
伸びてくるヴォックスの腕に抗えずに、むしろ縋り付くように仕立てのいいシャツを掴んだ。
「おいで」