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    ミトコンドリア

    @MtKnDlA
    捻じ曲がった性癖を供養するだけの場所です

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    『ヴェルヴェットの唇/ビロードの声』

    🦊と👹(♀︎)がパーティーに潜入したりする話

    今宵限りはファム・ファタール p.m.8時25分。
     とある老舗のバーのカウンターで、ミスタは細い煙草を右手に、マティーニを左手に持ち、ひとつ吸ってはグラスをチミチミ舐めるのを繰り返していた。
     いつも真ン中で分けている前髪をワックスで後ろに撫で付けて、細身のタキシードを着込んでいる。火星の夕焼けの色の瞳の表面に、グラスに屈折したシャンデリアの灯りが揺れていた。店内に流れるジャズに合わせて革靴の尖った爪先が僅かに動く。アウトソールの鮮やかな赤が交差した長い足によく映えた。
     突如、入り口の辺りが騒めく。穏やかな静寂を破る無粋な音に、カウンターの向こうでグラスを磨いていたバーテンダーが太い眉をちょっと上げて、目だけでそちらを見やった。ミスタも怠そうに首を回して斜め後ろを振り返り、唇の片側を吊り上げてアルコールとヤニ混じりの息だけで小規模に笑った。

     複雑に結い上げられた艶めく黒檀の髪。同じ色の長い睫毛に囲われた、世界中の金を集めて溶かしたような切れ長の輝く瞳。ディオールの吸い付くようなブラックのマーメイドラインのドレスが幽鬼染みて白い肌をさらに際立たせている。菱形に開いた胸元にはカルティエのダイヤモンドのネックレスが燦爛として、少し尖った形をした耳に揺れる揃いのデザインのピアスが陶器質の頰に虹色のプリズムを投げかけていた。
     派手なアクセサリーをつけてもカケラも下品に見えないのは、元来の品の良さと華やかな薔薇の香りの奥に漂う古い雨の匂いの所為だろう。
     瞬きするたびに煌めくシルバーブラックのシャドーや、シャネルのヴェルヴェットの唇の隙間から揺蕩う紫煙に、その場の誰もが銃でも向けられているように硬直していた。彼女がシガレットリングを嵌めた細い指を口元に持っていって、ゆっくり吸って、吐く。それだけの動作が、往年のハリウッド女優みたいにキマって見えるのだ。
     人類の長い歴史の中で賛美されてきた美女たちの集大成のような沈魚落雁の紅椿がルブタンのヒールを鳴らしてフロアを颯爽と横切り、ミスタの手からマティーニのグラスを奪う。ミスタの肩に肘を置いてまだ半分以上残っていたそれを白い喉を晒して一気に呑み下し、「砂糖を入れたのか、坊や」とクラクラするほど綺麗に笑った。グラスのフチについた口紅を拭う指先の真赤なネイルが奇妙に網膜に焼き付いた。

    「おれが辛いの嫌いなの知ってンでしょ」

     そう、この麗しきカルメンは何を隠そう、

    「ヴォックス」

     この四世紀あまり最大のファック・ボーイ、ヴォックス・アクマである。

    「ヴォクサーヌと呼びなさい。折角じょうずに化けたのだから」

     ヴォックス…ヴォクサーヌは優雅に足を組んでスツールに腰掛け、バーテンダーにマンハッタンを注文しながら横目でミスタを見て言った。少し反った背中から信じられないくらい細い腰にかけてのラインが完璧な曲線を描いている。
     何故ヴォックスがヴォクサーヌになっているかというと、ミスタがとある政治家の不正を暴くためにそいつが主催するパーティーに潜入しなければならなかったのだが、苦労して手に入れた招待状にはパートナー必須の文言がデカデカと書かれていたのだ。しかし、そういう場に慣れていて尚且つ口が硬い人物に心当たりが無く、頭を抱えてウンウン唸っていたミスタに面白半分で助け舟を出したのがヴォックスだったというわけだ。閑話休題。
     そのままふたりは30分ほど肩を寄せ合って酒を飲み交わし、ヴォクサーヌはミスタの腕に手を絡めて、ミスタはヴォクサーヌのクラッチバッグを持って、待たせていた車に乗り込んだ。残された客たちはポカンとした顔でふたりの背中を見送った。

     パーティー会場のホテルのホールに着いたふたりは早速注目を浴びた。なんせ女帝の如き風格のとんでもない美女と負けず劣らずの人形染みた美青年であるから、そりゃあ目立つ。人で満たされたホールの中で、ふたりの周りだけ円く人が捌けていた。この境界線を突破できるのは余程の大器か余程の馬鹿だけだろう。

    「失礼。美しいレディに歓迎の酒を捧げる栄誉をいただけますか?」
    「アラ…。嬉しいですわ。ありがとう」

     …ほら見ろ。余程の馬鹿が釣れてしまった。
    名乗りもせずに如何にも甘やかされたボンボンですという雰囲気の男が差し出したのはキス・イン・ザ・ダーク。アルコール度数34度。レディキラーと名高い酒のひとつだ。
     そもそもひとりになったときを狙うのが常套だろうに。この衆目の中でどうこう出来る自信があるのか、はたまたヴォクサーヌの艶姿に正常な判断がつかなくなってしまったのか、どちらにせよ馬鹿に違いない。
     ヴォクサーヌはとろりと極上の笑みを浮かべてグラスを受け取り、ちょっと中身を揺らしてから、邪な期待を隠そうともせずにソワソワしている男の顔面にぶっかけた。
     一瞬にして決壊寸前のダムのような緊張が走り、男の髪や顎や蝶ネクタイからポタリと雫が滴る。

    「へ?……。なっ、なにを!」
    「マ、ごめんなさい。私ったら“うっかり”手が滑ってしまって。許してくださる?わざとじゃなかったの」

     間抜けを晒した男が一拍置いてから熱り立って唾を飛ばすのを遮って、グ、と顔を近づけて言った。
     睫毛の一本一本が剣のように鋭く、琥珀色の虹彩と濁りの無い白目が爛々と輝く。空恐ろしいほど整った月下美人のかんばせであった。神に背いてでも手に入れたいと誰もが渇望するであろう傾国の美。……悪魔は人間を誘惑するためにその人間が最も好む姿形をしているという。だから悪魔は皆美しいのだと。
    そんなヴォクサーヌに至近距離で見つめられて、男はいじめられているみたいに身を硬くして横ッ面を引っ叩かれたような顔で泣きそうになりながら何度もコクコク頷いた。只人にとって彼女の玉貌はほとんど暴力だった。
     這う這うの体で逃げ出した男にミスタは自分の腕をつねってなんとか笑い出さないように耐えていた。固唾を呑んで見守っていた野次馬はクスクスとさざめき、ショーは終わったとばかりに散り散りになる。

     ふたりは二手に分かれて、ミスタは他の客をあしらいつつ壁際に移動し、ヴォクサーヌはバルコニーに出た。
     適当にそこそこ良い酒を楽しんでいると、小太りの老人がやって来た。このパーティーの主催者で、先程の馬鹿の父親である。…実はこれ、誘き出しだった。この親子がどうしようもない女好きなのは界隈では空が青いのと同じくらい当たり前に知られたことだったので、比較的ガードの緩い息子に接触すれば高確率でターゲットが出てくる。あとはヴォクサーヌが適当に必要な情報を聞き出してくれると踏んでいたのだが…まさかこんなに簡単に引っ掛かってくれるとは思わなかった。

    「愚息が無礼を働いたようだね」
    「こちらこそ失礼を…」
    「いや、構わんさ。お詫びと言っては難だが、どうだろう。静かなところで飲み直さんかね。……4人で」
    「……!!」

     ふたりにはひとつ誤算があった。この親子が好きなのは女だけではない。

    「……。彼は、どこに?」
    「先に待ってもらっている。さあ君も」

     ヴォクサーヌは全神経を集中させてミスタの居所を探った。ミスタはもうホールにはいなかった。
     やられた。
     内心爪を噛みながら、気弱そうに微笑む。

    「では…、ご厚意に甘えて」
    「よかった。行こうか。案内しよう」

     老人はヴォクサーヌの柳腰を抱いて鼻息も荒くバルコニーからホールに戻り、ガードマンらしき屈強な男をひとり従えて人気のない廊下を進む。時折分厚い肉にくるまれた手が身体をなぞるのも放置して、ヴォクサーヌはとにかくミスタのところに急いだ。早くしなければ間に合わない。
     しばらくすると、パーティー会場があるホテルでいちばん宿泊料が高価い部屋のひとつの前に着いた。老人がニンマリといやらしく笑いながらベルを鳴らす。中に息子もいるのだろう。扉が開き、“男が倒れてきた。”

    「??どうし、ふぎゅっ」
    「Hello♡」

     うつ伏せに倒れている息子に声をかけた老人の顔が部屋の中からヌッと伸びてきた足に踏み潰される。重たい音を立てて小柄な身体が後ろ向きに転がった。禿げ上がった頭が壁にぶつかり、老人は「きゅう」と言って気絶した。
     足の主はミスタである。せっかくセットした髪はくずれてシャツのボタンも引きちぎられ、蝶ネクタイがかろうじて首に引っかかっている。白い頬には殴られた痕があり、唇の端が切れて血が流れていた。それを手首の内側で乱暴に拭って細い煙草に火をつけ、男の背中にノシ、と座った。仰け反って紫煙をボワッと吐き、「ア”ーー美味ェ」とケタケタ笑う。
     ヴォクサーヌは溜息を吐いてくるりと振り返った。呆気にとられていたガードマンはハッと我に返って慌てて拳銃を構えたが、ヴォクサーヌは意にも介さずルブタンのヒールを鳴らしてツカツカと近づいてゆき、「レディにそんな物騒なブツを向けるもんじゃないぞ、坊や」と銃身を片手で掴んでグニャリと曲げた。
     女の子みたいな悲鳴を上げて後ずさるガードマンの腹に華麗な前蹴りをキメる。12cmのヒールが腹筋にめり込み、ガードマンはありえないほど吹っ飛んで廊下の向こう側の壁に背中を強かに打ち付けた。

    「開演に遅れてしまったな。俺の分がひとりしか残っていない」
    「ごめんって」
    「ふふ、いいよ。おかげで坊やの勇姿が見られたからな」
    「惚れ直した?」
    「ずっとそうさ。収穫はあったかい?」
    「ン。息子の方も加担してたっぽくて。ちょっと酔わしたらぜんぶ喋ってくれたよ」
    「重畳。えらいぞ sweet」

     ヴォクサーヌはヒールを脱いで片手にぶら下げ、もう片方の手でミスタの前髪をかき上げてまろい額にキスしてやった。ミスタは眉を下げて赤ちゃんみたいにへにゃへにゃ笑い、鼻と鼻を擦り合わせた。
     ふたりはひっそりとホテルを出て、待たせていた車の運転手に電車賃と多めのチップを渡して帰らせた。ヴォクサーヌがハンドルを握りアクセルを踏む。夜風が気持ちよくて一瞬目を閉じた隙に白いスーツの美丈夫……ヴォックスが現れた。0時になって魔法が解けてしまった。誰もが一度ならず夢見たアニマは消えちまったのだ。
     聞き慣れたバリトンが古い歌を口遊む。ミスタはうとうとしながらそれを聞いて、やっぱりこっちのがいいな。と思った。だってヴォクサーヌはヒールを履かないと目が合わないしキスもできないから。ちょっぴりドキドキしたのは事実だけど。

    「おやすみ坊や。良い夢を」
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    ミトコンドリア

    DONE『義人はいない。ひとりもいない』

    職人の👹が✒️にハイヒールを作る話
    You are my, この頃は、男でもハイヒールを履く時代である。
     18世紀、ルイ王朝時代にハイヒールは高貴なる特権の象徴として王侯貴族に広く好まれた。舗装された路を歩き、召使いに全てを任せ安楽椅子に座る権利を誇示するために。今ではそれは、美というある種暴力的な特権を表すためのものになっている。
     ヴォックス・アクマはそのレガリアを作る職人のひとりであった。彼の作るハイヒー ルは華美と繊細を極め、履いて死ねば天国にゆけるとまで謳われる逸品。しかし彼が楽園へのチケットを渡すのは彼に気に入られた人間のみであり、それは本当に、幾万の星の中からあの日、あの時に見たひとつを探し出すよりよっぽど難しいことであった。

     いつものように空がマダラに曇った日、ヴォックスは日課の散歩に出ていた。やっぱり煙草は戸外の空気(そんなに綺麗なもんじゃないが)の中で吸った方が美味いもので。 数ヶ月の間試行錯誤している新作がどうにも物足りずにむしゃくしゃしていて、少し遠くの公園まで足を伸ばした。特にこれと言って見所は無いが、白い小径と方々に咲き乱れる野花の目に優しい場所である。
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    ミトコンドリア

    DONE『お前が隣に居る日々を』

    🦊が👹から逃げる話
    ミスタ・リアスの逃亡/帰還「エッ」

     ヴォックス・アクマは心の底から驚いて言った。昨日の夜中にたしかに腕に抱いて眠ったはずの恋人が、朝日が昇るのと同時に忽然と姿を消していたのである。 びっくりした猫ちゃんみたいな顔のまま空っぽのスペースをしばらくジッと見つめ、ノソノソベッドから降りた。脱ぎ散らかした服を適当に洗濯機に突っ込んで、早足で家中を回る。ベランダにもトイレにもミスタの姿はなく、ヴォックスは右手にティーカップを 持ってリビングのソファにドッカリ座り、なんとなくテレビを付けて、ついでに煙草にも火をつけてキャスターが滑舌良く話すのをぼうっと聞き流した。
     こういうことは前にもあった。朝起きたらミスタがいなくて、ほとんど半狂乱で探し回っていたら当の本人がビニール袋を引っ提げてケロッと帰ってきたのだ。起こすかメモくらい残せと詰め寄ったが、「疲れてると思って」「忘れてた」とかわゆく謝られたもんだから うっかり美味しい朝食を拵えてしまった。他にも小さい喧嘩をしてプチ家出を決め込んだりだとか、漫画だかゲームだかの発売日だったりだとか、マアしばしば あることだった。それでもこうして毎回律儀に驚いてしまうから、ヴォックスからすれば釈然としないこと ではあるのだが。
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