料理と温もり 魈はそれが冷めるのを待っていた。
「温かい内に食べる方が、この料理の真価は知れるだろう」
そうした魈を見て、鍾離は言った。
「か」
卓の上に置かれた湯気の立つ料理――腌篤鮮を見つめていた魈は慌てた様子で顔を上げると、隣に座る鍾離を見る。自分の魂胆が既知であること、またその魂胆が鍾離の意に添わぬのだということに震え上がるような心地がし、言葉はすんなりとは出てこなかった。
「畏まりました」
そうして言葉通り畏まりながら、魈はレンゲを手に持つと、深い椀の中にそれを挿し入れる。具ではなくまずはスープだけを掬い、そのレンゲを口元へと寄せた。そうして寄せると、そのスープの熱が直に伝わってくるようだった。
「頂戴します」
レンゲを唇に当て、それを傾けるようにしてスープを流し込む。その熱い液体が舌に触れた瞬間と、喉に辿り着いた瞬間、ほんの僅かにだけびくりと体が跳ねた。そして嚥下すると、腹の底までその熱が伝わっていくようだった。
「そうか」
その様子をまじまじと見ていた鍾離は鼻を鳴らす様に笑う。
「お前は熱いものが得意でないのだな。俺の好みの料理を頼んでしまったのは早計だった。よくよく考えてみれば、お前は冷たいものをよく好む」
「いえ、いいえ、とんでもありませぬ。これはとても美味です」
舌や喉はまだ熱でひり付いていたが、塩漬け肉からの塩気も丁度良く、これが美味であるということは嘘ではなかった。
「お前の口に合ったのなら良い」
満足そうな鍾離を見て、魈はほっと安堵する。そしてすぐさままた熱いスープをレンゲで掬う。
「魈」
「はい」
「ゆっくり、冷ましながら食べるといい」
「しかし……」
「もうこれが美味であることは知れたことだろう。あとはゆっくり食事をしよう。そうした贅沢もたまには良いと思わないか?」
魈はなんと言ったものか分からず、ただ頷いた。
掬ったままのスープは良い具合に冷まされて、それをゆっくりとまた唇へと寄せ、飲み込んだ。舌が驚くような熱がなくなり、先ほどよりもその塩気や肉の旨味が感じられる。
「これはとても、美味です」
なんと言ったものか分からないが、何も言わずにこのまま居るのも何故だか落ち着かず、魈は静かにそう零す。隣で鍾離は満足そうに頷いた。
全てを食べ終わると鍾離が今一度魈の顔をまじまじと見始めた。
「如何されましたか?」
その視線に気付いて魈は言った。
「そのままで」
そう言うなり鍾離は自身の手套を取る。その所作を魈はただただ見つめていた。外された手套が卓の上に置かれたと思えば、身軽になったとでもいうようにふわりと手が浮き、そしてそのまま魈の口元へと宛がわれた。
魈は一拍遅れてその事実に気付くと、目を見開いた。そして目でこの所作の意味を問うた。
「口元に食べた残りが付いていた」
すっと指を滑らせるようにそれを拭う。
「そ、そのような! 言って下されば、自分で拭いますから」
鍾離の手が口元から離れると、魈は慌てて自分の腕で口元を覆い、二度三度強く擦った。
「いや、なに、ただの触れる為の口実だ。付いていなくても付いていると言うこともある」
その言葉に魈は唸りそうになったがそれをぐっと堪えた。顔を見ればとても愉快そうに眼を光らせ、口角を上げていた。そうした鍾離を今度は魈がまじまじと見ていると、また手がふわりと浮いて口元へと舞い戻ってきて、そして今度は頬へと滑っていく。
「お前は温かい」
すりと鍾離の手が動く。その動きに合わせて寄せてくるものを魈は感じ、それに耐える為目を閉じた。けれど目を閉じた向こうで鍾離の零す様な笑い声が聞こえ、すぐに目を開ける。
「こうしてお前の熱に触れることが出来るとは、とても贅沢なものだな」
「まさか……このようなことは何の贅沢にもなりませぬ」
魈の言葉にまた鍾離は少し笑う。
「俺の手は冷たいだろう? そうした手が熱を知ることはとても贅沢だ」
魈はなんと言ったものか分からず、そして頷くことも出来ない。
相変わらず鍾離の手が頬や耳元を滑り、そして撫でる。魈は自分の体が更に温かくなるような気がした。そうして温かくなるのも今は良いもののように思えた。
「我は、その……冷たいものを、好みます故……」
なんと言ったものか分からないが、何も言わずにこのまま居るのも何故だか落ち着かず、魈は静かにそう零す。正面に居る鍾離の目がゆっくり細められ、そして満足そうに微笑んだ。
「忘れるところだった。お前の為に杏仁豆腐も頼もう」
そんな我の為に、と魈は言ってしまいそうになったが、鍾離の口がまた開くのを見てその言葉を待った。
「もう少し、ゆっくり食事をしよう」
「そ、それは」
魈は言葉に詰まったが、それでも残りの言葉もなんとか続けた。
「……とても贅沢です」
「そうだろう?」
了