天狗の弟子前日譚犬が吠えている。佐吉は姿の見えない二匹の犬の声のする方向に向かった。
佐吉はこの山で猟師をしていた。主に罠を使って猪や鹿を、時々鉄砲も使ったが、弾薬が高価なのであまり使うことはなかった。
普段、とよとみよという二匹の犬と山の中を駆けずり回る生活をしている。その相棒のとよとみよが激しく吠えていた。
なんだァ?
不審に思いながら茂みを掻き分けると、とよとみよが足元に横たわる何かに向かって、舐めたり、吠えたりしている。
ありゃ、人間じゃねえか。
佐吉は駆け寄った。助け起こしてみると、まだ年端のいかない少年だった。
おい、大丈夫か?
声をかけると少年はかすかにみじろぎした。佐吉は懐から水筒を取り出し、口元にあてる。傾けると少年はゴクゴクと水を飲んだ。
ひと通り飲むと少年は一息つき、目を開けた。
ありがとうございます。
礼儀正しく言われ、佐吉は驚く。
おまえ、なんでこんなところに居るんだ?
改めてしげしげと見ると、少年は泥に塗れてはいるがきちんとした身なりをしていた。風呂敷包みを背負い、何故が腰に刀を挿している。
今時刀かよゥ。佐吉は心の中で呟く。
少年は何か迷うようにパチパチと瞬きし、ゆっくり佐吉を見、低い声で言った。
鬼を追っているんです。
お前は信じるのか、と目が言っている。
佐吉は少年を見返した。鬼かい、そりゃあ難儀だ。そういうと少年は驚いた顔をした。
信じるのか?
信じるもなにもなァ…俺は見たことがあるからなァ。
佐吉がそう言うと、突然少年の手が佐吉の腕を掴んだ。
見たのか?どんな奴だった?
その目があまりにも鬼気迫っていたので、佐吉はまたもや驚いて少年を見返した。
その瞬間、グォォォと地の底から響き渡るような音がした。
少年が目尻を真っ赤にしてパッと目を逸らす。
お前、腹減ってんだな。佐吉は思わず吹き出した。
すまない…何日も食べてない…
少年が小さな声で言い訳をする。佐吉は内心、こいつ可愛いなと思う。
うちこいよ。メシ食わせてやるよ。笑いながらそう言うと、少年は小さく頷いた。
佐吉は自身の狭苦しい住処に少年を連れて行き、芋粥を作って少年に食べさせた。少年はよほど腹が減っていたのか、ものすごい勢いでよそわれた芋粥を平らげる。
いっぱい食えよ。
言いながら佐吉はキセルに詰めた煙草に火をつける。
でよぅ、なんでまたこの大正のご時世に鬼なんか追ってんだ?
問われて少年はポツポツと話し始めた。姉のこと、周りの大人に全く信じてもらえなかったこと。仇を打とうと家を出たこと。
少年の話は側から見ると荒唐無稽ではあったものの、佐吉には信じてやるに足る材料があったため、ふむふむと頷きながら聞いてやった。
ひと通り話終わると、少年の目尻はまた赤くなっていた。感情が昂るとそうなるらしい。
なあお前、天狗って信じる?
佐吉がそう言うと、少年は首を傾げた。そしてポツリと言う。
鬼がいるのだから、信じる。
そうかい。佐吉はキセルの灰をコンコンと囲炉裏に落とす。
なあ、牛若丸は鞍馬山の天狗に鍛えられただろ?狭霧山にもいるんだよ、天狗が。
お前、鍛えて貰えば?
天狗に鍛えてもらうと鬼が倒せるのか?
だってよう、お前、そいつは首を刎ねても死ななかったんだろ?じゃあ倒せないだろ?
少年はコックリと頷く。
俺もかち合ったことがあってさ、その、鬼に。その時一緒に仕事をしていた相棒が喰われちまった。俺は腰が抜けて動けず、あわや食われる寸前に、天狗に助けられたんだ。その天狗が持ってた刀で首を刎ねると、鬼は塵になって消えやがった。やつら天狗の刀なら倒せるんだよ。
天狗の刀…
少年は自分の傍に置いた刀をじっと見た。この刀では鬼は倒せないということになる。
天狗の弟子になって、刀を貰えば良いじゃねえか。仇を探すのはそれからでも遅くないんじゃねえ?
佐吉は少年を諭すようにゆっくりと喋った。少年は佐吉の目をじっと見て、嘘ではないかどうか見極めようとしているようだった。
嘘じゃねえよ。俺、天狗の居場所知ってるし。
畳み掛けるように言うと、少年は小さく頷き、正座に座り直した。
そしてきれいなお辞儀をしながら、
お願いします、天狗のところに連れて行って下さい
と頭を下げた。
やっぱりこいつはいいとこの坊ちゃんなんだな、と佐吉はその仕草から思った。