物置で一人きり私はお兄ちゃんが帰るのを待っている。 暗くて黴臭い物置の中に閉じこもっていると、外の眩しさや賑やかさを全て忘れることが出来るようでとても落ち着く。人から見れば子供みたいだと笑われるかもしれない、それでも私にとって心が落ち着く場所はこの埃っぽい物置の隅っこと、頼れるお兄ちゃんの腕の中しか無いのだった。
今の私は身も世もないほど取り乱しているわけではなく至極落ち着いて物置の暗闇を眺めていた。もうすぐお兄ちゃんが帰ってくる時間なので作った夕食も皿によそってあるし、予め食台の上に書き置きも残している。『物置の中に入ってるから心配しないでね』と。こうして言葉で伝えておくことでどれだけお互いに安心するか、以前顔を合わせることが少なくなった時に身をもって実感したので私は殊更に注意するようになったのだった。
それにしても、物置の中は薄ら寒い。生活に必要な清掃道具や工事用品がたくさんしまわれていて不思議と充足した空間になっているが、お世辞にも過ごしやすいとはいえない。大井川家の物置がもっと広々としていて食材や調味料など料理に必要なものがたくさんあったことを思い出す。それらに囲まれていると螢さんが何を考えて食材を調達しているかにも想いを馳せられたな、と去った故郷を懐かしく思っていた。
「おーい、めぐみ!」
ガラガラと扉を開ける音と共に聴き慣れた声が降ってくる。その人は暗がりに潜む私の姿を見つけて、大きなため息を吐いた。
「あのなぁ……書き置き残してくれるのは助かるけど、お前が一人でここにこもってると俺が心配で心配で仕方ないんだが」
仕事終わりで疲れているのか、それとも私にほとほと呆れ果ててしまったのか。なんて、まだ不安になる心が揺れつつも彼が私を求めて一目散にここに来てくれた事実を確かに喜べるようになった。
「ごめんね、今日は仕事でちょっと失敗をしちゃったから落ち着こうと思って」
「失敗って、今度は何だ?」
「お店のお客様に住所を聞かれて、それはなんとか断れたんだけど、その後そのお客様が怒ってお店の中を荒らしちゃって……私が怒らせなければ良かったのにって、他の人にも言われちゃったんだ」
今思い返してもとても怖かったが、誰も助けてくれないしお店を荒らされたのは私の責任だ。辞めるまではいかなかったが、これから一層気をつけなければいけない。
「それは……怖かったな」
そう呟くように言って、兄は私を抱きしめてくれる。優しくて温かい腕の中。家に帰ればこうして抱きしめてくれると信じているから、今の私は冷静でいられるのだと思う。こうされていると恥ずかしくて怖かった何もかもが嘘みたいに解けていく。
「うん。でもね、こんな私でもお兄ちゃんは好きでいてくれるんだって思ったら大丈夫だったよ」
間違いなく甘えた言葉を投げかけて、彼の心を確かめる。まだ好きでいてくれるんだよね? やっぱり駄目な子は要らないって言わないよね? この温かくて広い胸の鼓動を信じていいんだよね?
「ああ……俺はお前を、ずっと好きでいるって約束する」
まるで私が欲しかった言葉をわかっていたかのようにお兄ちゃんは頷いた。嬉しい。毎日毎日毎日毎日この言葉を聞いていたい。そうしたら私はここにいていいんだって、お兄ちゃんに愛されているんだって実感できるから。
顔を上げて兄の顔を見ると、逆光になって暗くなった顔が仄かに上気しているのが見えた。息も少し荒く、瞳いっぱいに私を写している。こんなにも兄は苦しそうな顔をしていただろうか。私が知っている兄といえば、よく笑いながらもやる気がなく怠そうで熱が出た時も力無く寝ていたというのに……私を求める時は力が籠った面持ちに変わる。
「ねえ……お兄ちゃん、私の目を見て。私の目にお兄ちゃんが入ってる?」
視界を兄の顔だけで埋めるために顔を寄せると、すかさず噛みつくように口付けをされた。唇を吸われ歯を舌でなぞられて私の体はびくびくと震え出す。何度も口付けをしているうちに、どこをどうすれば私が気持ちいいのかが兄に伝わっているのだろうか。私はまだ兄の気持ちいいことがよくわかっていないのに。
「めぐみ、俺のめぐみ……っ」
熱っぽく私を求めながら、洋服の襟から手を滑らせて背中を直に撫でてくる。この洋服は兄が私に買ってくれたものだ。着物しか着てこなかった私が洋服を着るのはとても恥ずかしかったが、兄が私のために選んで贈ってくれたのだと思うと喜びで胸がいっぱいになる。私を、もっと兄で埋めてほしかった。
「私……お兄ちゃんのものだよ」
しっかり言葉で伝えると、兄は返事を返すこともなくますます私の体に没頭して、私の胸元に顔を埋める。兄の片腕で握られた私の手首が締まる。こうして兄を受け入れて、兄の幸せを感じていると私も幸せになれる。自然と眦から流れ落ちる冷たい雫が床に溢れ落ちて、夕食はすっかり冷え切ってしまっただろうなと私はぼんやりと思った。
-END-