アオイちゃんの一部になりたいマサトシおじさんVS大人として阻止したいアオキさん リーグの扉からアオイが外に出ると、空は夕焼け色に染まっていた。日が暮れる最中急いで坂道を下りていくと、道端に立っているタクシードライバーの男が手を振って挨拶をしてくる。
「おーい。今帰りなのかい?」
アオイは男に何度も会ったことがあり、初めて会った時にはポケモン勝負を挑まれたがその強さは並々ならぬものだった。男の手持ちが6体揃っていたら負けていたかもしれない、とあの時リーグに挑戦するため準備万端で挑んだにも関わらず苦戦を強いられたアオイは彼に一目を置いていた。
「はい、今日はリーグでの会議だったんです」
「まだ学生なのに仕事だなんてきみは偉いね。おじさんが寮まで送っていってあげようか?」
傍らにはそらとぶタクシーの白いゴンドラが置かれ、その上には複数のイキリンコたちが羽を伸ばしている。恐らく彼はリーグを利用する来訪者や職員相手に客を取るためにいつも此処に居るのだろうな、とアオイは思った。彼の手持ちポケモンたちが強いのは数々のリーグ挑戦者たちと戦ってきたからだろうか。そう考えると、彼こそがリーグの第一関門とも言えるのかもしれない。
「いえ、寮は近いので大丈夫です。いざとなればミライドンもいますから」
ミライドンで空を飛ぶ姿は既に男に散々見られていて、その時は手を振って見送ってくれるのだった。アオイはいつもミライドンで移動するため急ぐ時以外はそらとぶタクシーは使わないのだが、今日の彼は尚も食い下がろうとした。
「たまに乗ってみると楽しいと思うよ。料金もかからないしさ」
「……他にお客さんがいないんですか?」
「はは、実はそうなんだよね。だからさ、暇なおじさんを助けると思って乗ってみない?」
そうこうしている間突如ぽつりぽつりと雨が降り始め、アオイの頭や肩を濡らした。パルデア地方ではお馴染みの通り雨だ。
「あらら、雨が降ってきた。このゴンドラで少し雨宿りしていきなよ」
男はタクシーのゴンドラにアオイを座らせ、その隣に自身が座った。タクシードライバーの座席は屋根が無いため、雨を避けてのことだろう。しかし、あまりに自然に隣に座られたためアオイは何か既視感を覚えていた。
(……ああ、そうだ。宝食堂でアオキさんとおにぎりを食べた時、座敷じゃなくてカウンターで隣に並んだんだった)
テーブルを挟んで向かい合って座るのかと思っていたのでアオキさんにカウンターへと誘導されたのは驚いたし、なら別々に食べるのかと思えば隣で会話しながら一緒に食べ進めていく流れになり、何だか家での食卓を思わせる空気だった。初対面での謎の距離感にアオイの頭には疑問が浮かぶも、おにぎりを前にした時のアオキさんのあの笑顔を見たら不思議と嬉しい気持ちが溢れてきたものだ。
「……ねえ、アオイちゃん。何か考え事でもあるのかい?」
アオキのことを思い出してぼーっとしていたアオイの顔を覗きこむように男は問いかける。彼の目元を覆うゴーグル越しでも視線が鋭い。
「あ、その、何でもないです。少し気が抜けちゃって……」
「うんうん、仕事終わりだもんね。おじさんも仕事が終わると一気に肩の力が抜けちゃうからわかるよ」
「タクシーのお仕事って、お客さんが来ないと終われないんですか?」
「そんなこともないけど、まあ出来るだけ客は取れた方がいいから。こうやって雨が降ると客が増えてくれるからいいんだけど」
空からはまだ結構な雨が降っているし、風も強い。そういえば多少の悪天候ぐらいならそらとぶタクシーは飛べるはずだから、いっそこのままタクシーを頼んで寮まで飛んでいってもらうのが良いかもしれない。タクシーを利用することで力になれるのならば、乗ってあげたい。人が好いアオイはそう決めながらも、もう少し雑談を続けた。
「そういえば、ポケモン勝負の時にドータクンがいましたよね。雨雲を呼んで雨を降らすことが出来るとか」
「うん、確かに持ってるけど……それってつまり、おじさんがドータクンの技でわざと雨を降らせてきみを歩いて帰らせないつもり……だったり?」
「えっ、あの、雨雲呼んでるのかなーとは思いましたが……そうなんですか?」
「ハッハッハ、どうだろう。そうかもしれないよ。だっておじさん、きみともっと話したかったんだから」
他に彼が持っていたポケモンは、ワルビアルとソウブレイズだった。どんなに遠くにいる獲物も見逃さずしたたかに獲物を狙うワルビアルと、怨念を纏い情け無用に敵を屠るソウブレイズ。タクシードライバーの男の爛々と輝く瞳は暗闇に灯る鬼火の様に冷たく不気味だった。アオイは両手の拳を握りしめ、迫り来る危機に備え身構える。
「わたしと話したいことって……なんですか?」
「それはね……チャンピオンランク到達おめでとう! ってことだ」
「え?」
拍手をしたりガッツポーズをしたり、体を使って精一杯祝いを表現する男に対してアオイは呆気に取られる。
「いや〜おじさん、数々のリーグ挑戦者を見てきたわけだけど……きみは本当に素晴らしい! きみのように自然体でチャンピオンになれる人間なんてそうはいない。感動しちゃったよ。きみのような未来ある若者の一部になれるなんて、おじさんは幸せ者だ」
「は、はあ……」
「おじさんには夢があってね……チャンピオンになった子がいつか立派に成長して、ああ、あの時リーグ前に立ってたおじさん強かったな、また戦いたいな……と思い出してくれたらいいなっていう、ささやかな夢なんだ。ジムリーダーにも四天王にもチャンピオンにもならなくていい。おじさんはただ、チャンピオンの一部に……未来ある若者の経験になれればそれが何よりも嬉しいんだ」
男の理想を描いた止まらない語りにやっぱりアオイはなぜかアオキのジム戦前の口上を思い出しながら、必死に話を理解しようと努めていた。
「きみならきっと、成長してもおじさんを思い出してくれると信じているよ、アオイちゃん。ああそうだ、おじさんの名前はマサトシっていうんだ。気軽に呼んでくれて構わないし、きみならいつでもどこでもそらとぶタクシーに乗せていってあげよう」
「……その、あの、マサトシさん。わたしではちょっとご期待に応えられないかなって思いますが……」
「大丈夫大丈夫、名前忘れちゃっても何度でも思い出してくれればいいから。なんならおじさん呼びでもいいよ。君が他の誰かをおじさんって呼ぶ度におじさんのことを思い出してくれるだろう?」
「そう、なんでしょうか?」
「うん。きみがおじさんのポケモンを覚えていたように、そのうちふと思い出す時が来るさ」
「というか……マサトシさんとわたしは、友達になれるんじゃないでしょうか?」
ずっと明るく喋っていたマサトシが虚をつかれた表情で止まる。まるで予想もしてないことを言われたかのように。
「思い出してほしいって、マサトシさんは過去の人になりたいのかもしれませんが……今、わたしたちが友達になった方がずっとずっと嬉しいと思いますよ」
アオイの真っ直ぐな瞳は、紛れもなく宝石のような輝きを放っていた。彼女が安堵混じりに零した微笑みはとても優しく可愛らしい。マサトシは余裕ある態度を崩されるほど、アオイの強さと器の大きさに感じ入っていた。
「……まさか、きみがそんなことを言ってくれるなんてね。経験したことがないな、チャンピオンの友達なんて」
「そうしたらマサトシさんも一緒にチャンピオンを目指してみませんか? あんなに強いのに、勿体無いです!」
「あはは、チャンピオンネモちゃんみたいなこと言うね。おじさんはさ、正直きみさえいてくれればそれで──」
「すみません、そらとぶタクシーを利用したいのですが」
ゴンドラの外から声がかけられ、そちらを見ると風采の上がらないサラリーマンが窓枠からゴンドラの中を見下ろしていた。極太の眉、陰った瞳、雲模様のネクタイ──アオイは彼の容姿をよく見知っていた。他の誰でもない、アオキだ。
「おっと、お客さんすみません。こちらのお嬢さんが先客でして」
「先程からずっとこのゴンドラは動く気配がありませんでしたが、雨宿りをしているだけではないんですか? もう雨は止んでいますが?」
話に集中していて気づかなかったが、確かに空は晴れ渡り雨も止んでいた。
「あ、これなら歩いて帰れますね」
「え、ちょっと……夜だとこの道暗くて危ないよ。町の方から飛んでいってあげるからさ──」
「では自分と彼女で二人で乗って、彼女を送り届けてからまた別に行き先を伝えます。彼女の代金も自分が払います。それで構いませんね」
アオキの有無を言わせない語調にマサトシはやれやれと首を振り、観念してタクシーを飛ばした。ゴンドラの狭い席にはアオキとアオイが二人で並んで座っている。
「……大丈夫ですか。乗車しろと彼に強要されましたか?」
アオイに問いかけるアオキの声は心配であるというより静かに怒った雰囲気であったため、アオイは先程よりも恐縮していた。何だか悪いことを叱られたような感じだ。
「いえ……ちょっと、ポケモンとか夢の話をしていただけです」
「夢……?」
「はい。マサトシさんはチャンピオンに思い出してもらうのが夢だそうです」
多分そう言っていたな、とアオイはよく意味もわからずにとりあえずアオキに伝えた。リーグの前にいつもいるタクシードライバーだから、アオキさんも普段から利用していて顔見知りなのかもしれない。だからマサトシさんも素直にアオキさんの言うことを聞いたのかも……とアオイは二人の関係性を推測する。
一方、アオキはそれ以降返事もなく黙ってテーブルシティの夜景を眺めていた。拍子抜けしたアオイも同様に夜景を眺め、改めてテーブルシティの賑やかさに目を奪われる。
「こんなに素敵な夜景を眺められるなら、たまにはのんびりタクシーに乗るのもいいかもしれませんね」
場所が近いからと断ってきたが、ミライドンで飛ぶ時とも違う高さと速さで街並みを見られる。マサトシさんがイキリンコたちを見てくれるから安心して乗っていられるし、それにアオキさんも隣にいる。一人で帰るだけでは得られない温もりがそこにはあった。
「……あなたが無事で良かった」
黙っていたアオキは、ただ一言だけ呟いた。アオイはそこまで心配されてしまったのかとひたすら謝罪をしたが、アオキの固い態度は中々直らない。ずっとゴンドラを見ていたと言っていたし、タクシーを待たされて怒っているのかな……とアオイがしょげてうなだれる。それを見てアオキは困ったように眉を若干歪めた。
「あなたには怒っていません、自分が腹を立てているのは彼にです」
「何でですか?」
「それは……………仕事を放棄しているからです。大人として当然のことでしょう」
仕事人間のアオキさんにはあの緩い雰囲気のマサトシさんの勤務態度は許せないということだろうか、とアオイは考えたが実際はそうではなく、アオキにとってマサトシの願望や態度が我が事のように理解出来てしまったが故に尚更アオイを渡すわけにはいかないという意地で一杯一杯なだけだった。
その後、無事グレープアカデミー寮にアオイを送り届け愛想良く別れの挨拶をしたマサトシが、アオキの刺すような視線と重圧に耐えながらナッペ山やらハッコウタウンやらロースト砂漠を飛び回った経験は更に彼の精神と性癖を強く険しいものへと導いた。
-END-