潜入捜査官SによるRとBについての報告書【幹部V(表舞台ではマカデミー女優S.Vとして活躍)】
「あの二人を表す言葉はたくさんあるわ。ニコイチ、ペア、コインの表と裏…どちらが欠けても生きてはいけないって感じね。私って大概のことは忘れちゃうけど、あの子たちと初めて会った日のことはハッキリ覚えてるわ。二人一緒に孤児院から引き取られてきたのよ。今の見た目をそのままミニチュアにしたような、禍々しいほどに綺麗な子たちだった」
◇
警察学校で同じ班だった仲間たちは揃いも揃って優秀だった。班長の伊達は警視庁刑事部、萩原と松田は機動隊の爆発物処理班へ、そして諸伏景光は警視庁公安部にスカウトされてすぐ通称黒の組織に潜入を命じられた。学校を卒業したばかりの新人にしては異例の抜擢ではあったが、同じく正義の道についた兄の背中を追いかけるべく景光は心して任務にあたった。
優秀なだけではなく要領も良かった景光は、腕の良い狙撃手としてだけでなく組織員たちの懐に巧みに入り込み、順調に信頼を勝ち得ていった。そして晴れてスコッチというコードネームを与えられたのだ。
『次の仕事は彼らと組んで。落ち合う場所はここ、詳しい内容は二人から聞いてちょうだい』
意外なことに、仕事の調整や連絡を請け負っているのはベルモットだった。誰もやりたがらないんだもの、私は物事が滞るのが嫌いなのよと本人は不服そうだが女王様然としたイメージとは裏腹に面倒見が良い一面も持っているようだ。景光は指示されるがまま指定された場所へ赴いた。
六本木の会員制バー。組織の息がかかっているため特別な合言葉や身分証がないと入店できないそこで、景光は初めて彼らと出会った。
「お前がスコッチか」
低い声の主を振り向くと、真っ黒な大男が立っていた。ビリビリとしたオーラに、景光の全身がブワッと総毛立つ。組織の面々は誰もが威圧感のある、一般社会では到底馴染めそうにない強面ばかりだったが目の前の男は少しばかり系統が違う。腰まである黒髪に彫刻のような相貌。悪党というよりもファッションモデルのようだ。温度のない緑の眼はひんやりと、こちらを真っ直ぐに見つめていた。ここで怯んでいるわけにいかない。景光は平静を装い、視線を正面から受け止めてみせた。
「スコッチだ。あんたがライ?今夜はもう一人、バーボンとも面通しの予定だが…」
言い終わらないうちに、ぴょこっと何か眩しいものがライの背後から出てきた。金色。それが第一の印象だった。
「ここにいる」
ライが背後を顎で示す。大きな体に隠れて顔だけをこちらに見せる姿は、警戒心でいっぱいの子猫のようだった。バーの照明を受けてキラキラに輝くハニーブロンドに透き通ったブルーの大きな目。これまた瞬きもせずに景光を見つめている。二人の視線には他の組織員たちと違って値踏みするような悪意が無かった。本当にただ興味津々に見ているだけで、その敵意のなさは逆に拍子抜けするほどだった。
「バーボン、隠れてないで挨拶しろ」
まるで学校の先生のようにライが促すと、バーボンは一歩踏み出してこちらに全身を表して見せた。
ライが闇夜だとすれば、バーボンは月だった。すらりとした肢体に白いシャツとジレをまとい、カフスボタンとループタイには瞳と同じ空色の宝石。モノトーンで構成されたライに比べまるで正反対の個性だったが二人が並ぶと不思議としっくりきた。パズルのピースがぴったりと合わさったような、あるべきところに正しいものが収まっているような──なるほどこれはとんでもない美形コンビだ。人形のように微動だにせず景光を観察していたバーボンだが、不意に口を開く。
「その髭、あんまり似合ってない」
ドキッとした。これは威厳を持たせるために急ごしらえで生やした、潜入用の髭だったからだ。馴染んでないのは当たり前で、一目でそこまで見抜かれてしまった?と景光は内心焦ったが、バーボンが言っているのは文字通り優しげな顔立ちに合ってない、という意味だった。
「僕とそんなに歳も変わらないでしょう。そういうのが似合うタイプだったらいいけどわざわざ老けて見える風にしなくても」
「歳が…変わらない?」
キョトンと返した景光に、バーボンもこれまたキョトンと眼を丸くする。景光は今年24歳になるが、バーボンはもっと下──控えめに言って未成年に見えたからだ。
「ハッハッハ!」
いきなり大きな声でライが笑い出したので、景光はビクッとした。精巧な人形に血が通ったように、ライの雰囲気がガラッと変わる。まるで魔法のようだった。当のバーボンはプクッと頬をフグのように膨らませ、ライを恨めしげに睨んでいる。
「バーボン、お前は自分がティーンに間違えられることを何度でも忘れてしまうな」
「どいつもこいつも見る目が無いんですよ!そりゃあ僕が可愛いのは事実ですけど、立派に成熟した大人なのに!」
頭から湯気を出しながらバーボンは店を出て行ってしまった。しまった怒らせたか、と景光が慌てていると「気にするな、あいつは一分後には忘れてる」とライが苦笑する。
「で、でも」
「とはいえ宥めるために今日はこれで失礼する。あいつが暴れると街を破壊しかねんからな…連絡用の携帯はポケットの中だ。こちらからかけるまで待機してくれ」
「え?」
驚いて上着のポケットを確認すると、見知らぬスマホが一台入っていた。いつの間に?と景光が再び顔を上げた時にはすっかりと目の前から誰も居なくなっていたのだ。これが彼らとのファースト・メット。ほんの一瞬の出来事だった。
◇
【幹部J】
「ライとバーボン?あいつらが裏切り者のネズミでないことだけは確かだ。あの方が直々に引き取ってきたんだからな…それ以外に興味はねえ、仕事だけきちんとこなしてくれりゃあな」
【幹部V】
「変わった奴らだったぜ。まあこの組織にまともな奴はいねぇが…二人一緒じゃないと何がなんでも任務は受けないし、ライがまるでバーボンをお姫様みたいに扱ってた。過保護にするほど腕っぷしは弱くねえってのによ。解けた靴紐すら結んでやってたのにはあのクールなジンの兄貴もすげぇ顔してたぜ。まあ、悪い奴らでは無かったけどよ」
ライが予言した通り、次に会った時バーボンは怒ったことをすっかり忘れているどころか、何なら友好的にスコッチに「ねえねえ」と話しかけてきた。初対面のアレで逆に親しみを持ってくれたというなら、何が功を奏するのか組織のメンバーに対しては全く予想ができない。
「僕もライも日本の血が入ってるらしいんだけど、はっきりしたことはわかんないの。スコッチは純日本人なんでしょ、下駄箱にラブレター入ってたり、学校帰りにラーメン食べたりするわけ?体育祭とか文化祭って本当にあるの?」
バーボンが問い詰めることといったら、およそアニメで仕入れたであろう日本の学生生活のことばかりだった(しかもかなり昔の)。無理もない、彼らは学校に通っていないのだ。景光は個人が特定されない範囲の、一般的な答えでバーボンの好奇心を満たしてやった。
「うん、友達とチャリ…自転車のことだけど、二人乗りして帰ったり寄り道もしたよ。ラーメンの時もあればコンビニで買い食いしたり。ラブレターはさすがになかったなぁ。僕がそんなにモテないっていうのもあるけど、手紙自体を書く人は今そんなにいないから」
「待って、対象が来た」
バーボンの声が鋭いものに変わる。すかさずインカムから「捕捉した」と低い声。間髪入れずにパシュ、乾いた音が聞こえ双眼鏡の中のターゲットが地面に倒れる。ライは長距離専門、スコッチは近距離の狙撃手として控えていたがほとんどその役割は回ってこない。側にいたバーボンがよいしょ、と立ち上がる。
「てゆーかスコッチがあんまりモテないって嘘でしょ。お喋りも上手だしさあ」
そして何事もなかったように話の続きを始める。あまりにも淡々と彼らの日常の中に『殺し』があった。
ライの狙撃ポイントであるビルまで行くと、大きなバッグを担いだ男が煙草を吸いながらバーボンとスコッチを待っていた。バーボンはぴょんぴょんと跳ねるような足取りでライの腕に巻き付く。いきなり追突されても微動だにしない強い体幹。当たり前だ、ライフルを立射できるほどの男なのだから。
「僕とスコッチが仲良くして、嫉妬した?」
バーボンが男の腕にぶら下がりながら、いたずらっぽく見上げる。それに対してライはフッと渋味のある笑みを浮かべるだけだ。
「子猫と子犬がじゃれてるのに、邪魔したいと思う奴がいるか?平和な光景だと眼を細めるだけさ」
「それだけ?」
「たくさん寝て食って、大きく育てとも思っている」
「んもう!」
プンプンと拗ねるバーボンを腕にぶら下げたまま、ライは「じゃあな」とスコッチに目くばせする。大きな背中を見送りながら、景光は不思議な気持ちになっていた。自分はあんな風に兄に甘えたことはあっただろうか。年齢がかなり離れていたし、諸事情で別々に暮らしていたから実際には無理だったけどあんなに屈託なく抱きつければどんな感じだったのだろう──それな感傷に襲われそうになった自分を、頬をぱちんと叩いて叱咤する。
お前の使命を何時でも忘れるな、諸伏景光。彼らは撲滅すべき敵なのだから──。
◇
【幹部C&K(スナイパー)】
「あいつらの話なんて胸糞悪くてしたくもないよ。バーボンには別に…何かされたわけじゃないけどさ、いけすかないのはライの野朗さ。あたいが何年もかけて延ばした飛距離を、あいつは軽々と超えてきやがる。ムカつくのはそれすらどうでもよさそうなことさ。あいつがいる限り、あたいは組織一のスナイパーにはなれない。自分が情けなくなっちまうよ、思わないかいコルン?」
「ライ、いいやつ。コツ、教えてくれた」
「何だよもう!」
彼らと組む仕事は完璧だった。スコッチの出番はほとんど無いくらいに二人の能力は高すぎたし、無駄なく任務を遂行する手際は教科書に載せたいほどの鮮やかさだった。表社会を牛耳っている議員や大企業の重役も、バーボンに微笑まれればデレデレと一発で陥落したし、逆に冷たく詰られてもこれまた喜んで罰を受けた。「やりすぎだ」とライが止める一幕もあり、天使と悪魔、両方の要素がこの二人に複雑に配分されていた。
二人には慈悲や躊躇がない。景光に見せた豊かな表情が嘘のように、敵とみなした人間には容赦が無かった。組織の意向などもお構いなしに己が思うように処分してしまうものだから、組織内でも取り扱い注意の札が貼られていた。
「本当は拷問なんてしたくないんですよ。時間の無駄だから、さっさと眉間を撃ち抜いた方がラク。けれども情報は取れるだけ取りたい…僕にだって葛藤はあるんです」
見た目が怖そうなのは明らかにライだったが、蓋を開けてみれば凶暴なのはバーボンの方だった。あれだけ優しげで柔らかな見た目をしていれば舐めてかかられるのはよくあることだったが、そのどれもをバーボンは拳、または言葉のマシンガンでコテンパンにしていた。何しろ彼はIQがべらぼうに高く何十ヵ国の言語を操りあらゆる武器に精通していて政治経済に法律、有名人のゴシップまで網羅している。最新鋭の検索エンジンを装備したバーボン・コンピュータと呼ばれるほどの頭脳に加えボクシングをベースにした戦闘能力もプロレベルだった。その代わり社会性が皆無でライがいなければドアに鍵ひとつかけられないし、スマホや財布、携帯品なども持った端から失くしてしまう。彼のずば抜けた能力が活かされるのはあくまで『任務に携わっている瞬間』だけでその他の時間はそれこそ未就学児のようだった。所構わず眠ってしまうバーボンを肩に担いで「じゃあなスコッチ」と去ってゆくライを見たのは一度や二度じゃない。それでもバーボンはいつ見てもピカピカのキラキラで、まるでこの世の純粋で綺麗なものだけを集めて作られたように輝いていた。ライはバーボンのその輝きにひとつの疵もつけないように、全力でガードすることを最優先にしているように見えた。
ライに関しては言わずもがな、景光は狙撃手として彼の腕前を間近で見るわけだがキャンティのように張り合う気も起こらなかった。神業と表現する他ないスナイプを、どんな悪環境でもいとも簡単にやってのける。狙撃に関して努力で何とか出来るのはある程度のラインまでだ。持って産まれたセンスや恵まれた体格、雑音を気にしないメンタル…それらが揃っていないと一段階上へは絶対に行けない。ライにはその全てが備わっている。組織どころか世界一のスナイパーだろう。その才能が犯罪のために使われていることを歯痒く思わないわけがない。しかし景光にはどうすることもできないのだ。
ある時、バーボンがセーフハウスまでやってきて「料理を教えてほしい」と言う。景光は思わず「えっ」と返してしまった。バーボンはお湯を沸かすどころか、決められた秒数をレンジでチンすることすら出来ない子なのだ(堪え症がなさすぎて)。
「ライに食べさせてあげたくて…料理はお店でもどこでも食べられるけど、僕が作ったら喜ぶかなって」
もじもじとねだられれば、何とかしてあげたくなる。景光はもうこの頃になると、この二人に友情のような同情のような複雑な感情を持っていた。潜入中だというのは重々承知で、それでも彼らにシンパシーを感じずにはいられない。これが組織による計算ずくの『手』だとしたら、恐ろしいやり方だと思う。
ともあれ景光はバーボンにまず、茹で卵を作ることからレクチャーした。
最初は力加減を間違えて卵を割り潰したり湯を吹きこぼしたりと初心者あるあるのミスを重ねていたが、論理的に説明すればバーボンはあっという間にコツを掴んだ。
「調味料は分子の大きいものから加えていくのが味を染みこませる基本。まず砂糖で食材を柔らかくし、次に塩。水分を引き出す力があるから…」
景光の説明を熱心に聴き入るバーボンは、メモを取らずとも完璧に覚えてみせた。自主的に興味を持った分野に関しては敵なしだ。そして茹で卵から白米の炊飯、味噌汁と調理実習のような段階を踏んでとうとう日本家庭料理の代表格である肉じゃがまでをマスターしたのだ。
「うん、いける」
意気揚々とバーボンが差し出した肉じゃがをひと口頬張ると、ライはぽつりと呟いた。二人の関係性を思えばバーボンがどんなものを作ってもライは旨いと言うだろうが、これに関しては景光も味を確かめているので嘘ではないはずだ。
「すごくない?僕ってやろうと思えば何でも出来ちゃうんだな〜。お店だって出せるかも」
「ああ、お前が何でも出来ても出来なくても最高なことには変わりないが…俺の為に作りたいという気持ちが嬉しいよ」
「うふふ」
イチャイチャが始まり、完全に二人の世界になってしまったので景光はそうっとその場を離れた。こうして存在を無視されることは多々あったが、嫌な気持ちになったことなど一度もない。二人にはあまりにも邪気がなく、矢印がお互いにのみ向いていて完結している。それ以外のこと──組織も任務も犯罪に手を染めていることも全て等しくどうでもよさそうだった。
組織の中で「ライとバーボンはデキている」というのは地球は丸く空は青い、レベルの当たり前すぎる認識だったが景光には少し違和感があった。
ライとバーボンの間にあるのは家族愛、友情、恋愛関係…そのどれもをミックスし、さらに特別な何かをふりかけたような見たこともない新種の結びつきのように見えたからだ。
◇
ある夜アクシデントが起きた。バーボンが己の力を過信するのはいつものことだったが、今回は些かやりすぎた。ターゲットの元へ単身乗り込んだは良かったが、大規模な爆破に巻き込まれたのだ。間一髪で追ってきたライが助け出したものの、バーボンを庇ったライは酷い怪我を負った。景光はその時別の任務で待機中だったが、バーボンから連絡を受けてセーフハウスに舞い戻った。
玄関を開けると血と泥が点々と、寝室へ続いている。景光はそっと、数センチのドアの隙間から中を伺った。バーボンがしゃくりあげる声が聞こえてくる。
「もう泣くなバーボン」
「だって…僕が無茶したから…ライが、ライが」
マットレスに横になったライと、寄り添うバーボンの背中。ライの右胸から肩にかけて、大きなガーゼがべたべたと貼られている。プロのやり方じゃない。もしや自分たちで処置したのか?ライの左手は無事なようだ。不思議な話だが、景光はそれに心から安堵した。あんな神の一撃を放てる利き手が失われるなんて、一狙撃手としては残念どころの騒ぎじゃない。もちろん警察官としてはライが使い物にならなくなればその分脅威は減る。景光はこの頃になると一体自分が何を望んでいるのか、自分でも分からなくなってきていた。
無事な方の手で、ライはバーボンの柔らかな髪を撫でる。落ち着かせるようにゆっくりと。ぐすんと鼻を啜りながらバーボンはライ、ライと繰り返している。
「僕をひとりにしない?」
「当然だ」
「ここで寝たい」
「いつものように腕枕はしてやれんぞ」
「うん…我慢する」
そっと扉を閉めた。バーボンは取り扱い注意の人間兵器のような子だったが、同時に一瞬でどこかに消えてしまいそうな儚さを持ち合わせていた。ライが居なくなったら、本当にどうなるかわからない。景光の使命は組織員を一人残らず逮捕する事だが、彼ら二人は同時にしないと──離れ離れにしたら、世界の均衡が破れそうな気すらする。
少しして、ライだけが寝室から出てきた。ソファで考え込んでいた景光はハッと顔を上げ、ライに声をかけた。
「起き上がって大丈夫なのか」
「どうしても一服したくてね…あいつが寝ている横では吸えん」
「バーボンはぐっすり?」
「泣き疲れてな」
煙草を吸うためベランダへ出た(バーボンが煩いため、このセーフハウスは禁煙なのだ)ライに続いて景光も外へ出る。季節は秋だった。ひんやりとした空気に、幹線道路を車が行き交う音。ライはいつものように長い指でマッチを擦り、煙草に火を点ける。どんな仕草も絵になる男だった。
肩口の真っ白なガーゼに目をやると、ところどころ血が滲んでいる。景光が「傷は?酷いのか」と問うと思いもかけない返しがきた。
「ああ、あいつが縫った」
「ええ?」
「もちろん無免許だが、知識はある。組織が抱える闇医者はすぐに連絡が取れないことも多い。必要にかられて出来る事が増えていっただけさ。あいつは器用だ、綺麗にくっつくだろうしもし傷痕が残っても何の問題もない」
「だからって…いや、いい。薬はあるのか」
フゥ…と深く吸い込んだ煙を吐きながら、ライは星の見えない都会の空を眺める。いつもぎらぎらと燃えるような生命力溢れる緑の瞳も、今は疲労の色が滲んでいる。
「鎮静剤が少し…今はアドレナリンで何も感じないが、そのうち痛むかもしれないな」
「俺に当てがある。必要なものを用意するよ」
景光はすぐさま公安の協力者に薬剤や衛生用品を届けるようメールを送った。いくら大丈夫だと言われても感染症などで万が一のことがあれば重要人物を失うことになる──というのはもちろん警察官としての本心だったが、ライを死なせたくないというのは一個人としての本心でもあった。ライはそんな景光の胸の内を知ってか知らずか、「助かるよ」と言った後は静かに煙草を燻らせていた。
「おかしな話に聞こえるだろうが」
ライはそう前置きすると、まるで景光が先ほど考えていたことに対するアンサーのようにぽつりと話し出した。
「バーボンがいないと何もできないのは俺の方だ。何しろ生きている意味がない。バーボン以外のものは何ひとついらないし、欲しくもない。一緒にいられれば南極だろうがジャングルだろうが地獄だろうがどこでもいい」
お前にはわからないだろうがな、と付け加えられたひと言に何故だか景光は胸がきゅっとなった。もしもこんなかたちで出会っていなければ、ライとバーボンとはどんな関係性になれたのだろうか。しかしそんな仮定には意味がない。二人が犯罪者で自分が潜入捜査官でなければ絶対に交わらなかった道だからだ。もしも彼らも潜入捜査官だったなら──そんな夢想をしてしまうほどには、景光は『スコッチ』として組織に馴染みすぎていた。
◇
【潜入捜査官K(CIA所属・本名H.H)】
「ええ、スコッチがNOCだと情報を掴んだ奴がいる、と本人に連絡したのは私よ。他の幹部と一緒に行動していたものだから盗聴を恐れて迅速な連携ができなかった。それについては本当に悔やんでいるわ。彼をあんなピンチに立たせてしまうなんてね」
キールから「追手が向かっている」との連絡を受け、景光は階段を駆け上がっていた。ネズミを幹部に差し出せば手っ取り早く上のランクに上がれる。ジンを始め、炙り出しに躍起になっている構成員は山のようにいた。キールによると、公安の協力者に薬を頼んだルートから探られたのだという。しくじった、景光は少しでも時間を稼ぐために廃ビルの屋上に辿り着き、追手が来られぬようドアに鍵をかけた。
ここからどうやって逃げるべきか。と、ドン!と屋上に続くドアが向こう側から蹴られる音がして、ガチャガチャと乱暴にノブが回される。こんなボロい扉、じきに破られるだろう。どうしよう、どうすればいい?そいつの口を封じるか?いや、それではキリがない。どこまで情報が広がっているか。一度ネズミだと噂が流れてしまったら、スコッチはもう賞金首だ。スコッチの首を奪ってやらんと群がってくる奴らは次から次へとやってくるだろう。当然任務どころではない。自分一人が離脱するだけならまだいい、自分から公安の情報が漏れる事だけは防がねば。拷問に耐えられるか?いやそれよりも、公安用のスマホを奪われでもしたら一発だ。景光はホルスターから銃を取り出した。スマホを、いやスマホごとこの命を。それが一番確実な解決策に思える。ドアはいまだガチャガチャと開けられようとしている。景光は震える手で銃を握り直した。ぎゅっと目を閉じる。
ごめん兄さん、ごめんみんな──。
「俺だ」
その時だった。扉の向こうからよく知っている低い声が聞こえたのは。景光は閉じていた眼をはっと開く。
「いいから開けろ。ここに居るのは俺だけだ、信じろ」
ライの声には魔力のような説得力がある。景光はのろのろと言われるがままにドアの施錠を解除した。かちゃり、扉が開いた途端に腕が伸びてきて拳銃を持っていた手を掴まれる。シリンダーに指をかけられると、引き金を引くことは出来ない。
「冷静になれ。今まで積み上げてきたものを壊す気か」
「何をっ…」
すぐそばに男の真剣な顔がある。銃を持った手を掴まれ、振り解こうとしても敵わなかった。なんて力だ。あれから三週間ほど経っていたが、ライはすっかり怪我など感じさせることなく仕事に戻っている。バーボンは以前にも増してライの側を離れなくなった。ライの緑の眼は真っ直ぐに景光を射抜いている。
「お前の正体を密告した男は、今頃「あれは未確認の情報だった」と発言を翻しているだろう。俺が死ぬより恐ろしい目に遭わせたからな」
「!?」
「そもそもバーボンにすげなくされたことへの仕返しだ。お前は運悪く巻き込まれただけ…それもこれも、俺たちの能力が高すぎるのとバーボンが魅力的すぎるのが悪い」
冗談なのか本心なのか判別つきづらい言い回しに、景光の体から少しだけ力が抜けた。すかさずライが拳銃を取り上げ、くるりと操って安全装置をかけ直す。
「とはいえ一度疑惑の眼を向けられてこのまま以前と同じように活動できるわけがない。お前は組織を抜けろ。後のことは俺が何とでもする」
「そんな、どうして」
「俺は悪党だが…お前が俺のために犯した危険で窮地に陥っているのに、知らんぷりをするほど落ちぶれちゃいなない」
ライは景光から奪った銃を、こちらに差し出した。もうこれを使うような血迷った真似はしないと確信しているのだろう。景光は差し出されるままそれを受け取った。
「悔やんだりするな。自信を持っていい。俺もバーボンもお前がNOCだと見破れなかった…もしかしてと思ったことは何度かある。そうであって欲しくない、という願望が邪魔をしたんだ。こんな風に思うのは、生まれて初めてのことだ」
景光が、ライとバーボンの二人がNOCだったらと願うように──ライもスコッチを仲間であってくれと願っていたというのか。フッ、と唇の端を持ち上げたライの笑い方は自嘲のようにも真実を知ってスッキリしているもうにも見えた。
「お前のような性質を持った奴が組織に居るのはおかしいと思っていた。バーボンは残念がるだろうが…誤解するな、お前がネズミだったことじゃない。心を許したお前と、未来永劫会えないことをだ」
「未来…」
ライの言葉には裏社会で生きてきた者の重みが常にあったが、今夜のそれは特別にズシリときた。そうだ、どんなに友好的な関係を築いていたとしても──彼らは犯罪者、自分とは生きる世界が違うのだ。
「別れには慣れている。まあ今回ばかりはあいつの曲がった臍を直すのはかなり骨が折れるだろうが…それも全て俺の役目だ。お前はお前の巣に戻り、安全が確認されるまで匿ってもらえ。知っての通り、ジンは裏切り者に対して蛇のようにしつこい。俺たちとは違ってな」
カンカンカン、階段を登ってくる足音。景光は身構えたが、聞こえてきたのは「ライー、そこにいるの?」という呑気なバーボンの声だった。
「さあ行け。振り返るな」
ライに背中を押され、肩越しに振り返る。
雲に覆われた薄暗い夜だった。けれどその時一瞬だけ、強い風が雲を押し流し夜空に瞬く星が見えたのだ。月明かりに照らされた長い髪とグリーンの瞳。景光はきっと忘れないだろう、その夜の星空を。
たくさんの星の中でもいっとう輝き、ぴったりと寄り添う緑と青の眩しい星を。
◇
【組織壊滅の一番の立役者であり被害者でもある高校生探偵・K少年】
「毛利探偵事務所にある日届いたんですよ、差出人無しの封書が。おっちゃんも蘭も気味悪がって俺…その当時はコナンの姿ですけど、相談してきました。すぐに警察に来てもらって中身を確認したらUSBメモリが入ってたんです。暗号化されてたけど、黒の組織の重要情報がこれでもかと詰め込まれてました」
データの信憑性を確かめる手立ては途中まで潜入していた景光の情報と、各国捜査官から集めた資料しかなかったがそれでも相当に信用できるものだと判断された。薬品研究に使われていた施設や癒着のあった著名人、資金洗浄のために持っていた口座は世界中に散らばっていた。幹部メンバーの詳細なプロフィールも添えられていたが、その中にライとバーボンのデータが無かったことで誰がこのUSBを送ってきたのかは明白だった。
その情報を元に組織の幹部をいよいよ追い詰めた時、ライとバーボンはすでに行方をくらませていた。
抵抗する組織員と捜査官たちの闘いは混迷を極め、敵味方含め多数の負傷者を出したがほとんどの組織員を生きたまま拘束できたのは奇跡のようなものだった。
幹部を含む組織員は末端まで加えると百人を超え、大々的に報道されることでやっと景光が何の任務にあたっていたのか周囲の人間に打ち明けることができた。唯一の肉親である兄の高明にも、数年ぶりに再開することが叶ったのだ。
「景光…よくやったな」
兄さん、と呼びかける前に抱きついていた。ほとんど忘れかけていた家族のあたたかさ。小さな頃から故事成語を交えた難解な会話しかしなかった兄だが、この時ばかりは「よく無事で戻った」とこれ以上ないシンプルな言葉で景光の背を抱き返した。
【幹部V・取り調べ室にて】
「ある日、パチンと泡が消えるように二人はいなくなった。いきなりだったけど、いつかそうなるだろうと思ってたわ。私たち他の幹部には組織に居る理由があった。お金や忠誠心、一般社会では得られないスリル…他に居場所のない者たちの寄せ集め。けれどもあの子たちは違う、二人で居られれば何だっていい。生きる術を持たなかった子供の頃とはもう違う。二人だけの世界を作って、どこかで暮らしているんでしょう」
パチン、の部分で指を鳴らす仕草は流石の大女優だった。灰色の取り調べ室にパッと花が咲いたようだ。そうだ、いかにも組織の人間というこの雰囲気。景光はこの妖しい艶やかさを久々に思い出した。
「ねえ、ここまで洗いざらい話したのよ。司法取引に応じる代わりに私が要求した待遇はどうなってるの?最高級の弁護士にボディーガード、見張りなんて何人つけてもいいからセキュリティの確かな邸宅を用意してちょうだい。狭っ苦しい部屋なんて嫌よ、大きなクローゼットは必須、お茶のできる広いベランダにプールも欲しいわ。あなたかわいい顔してやり手なんだからそれくらい上に交渉できるでしょ」
「もちろん貴方には世話になりましたから…すべてとはお約束できませんが、努力します。こちらで必要な証言に協力していただけたら、の話ですが」
「まだ解放してもらえないの〜?私お腹が空いたわ、サンドイッチが食べたい…バーボンが作ってくれたやつは美味しかったわ」
まるで少女のように駄々をこねる様子に、景光もクスッと笑ってしまう。
「味噌が隠し味のやつですか?あれは僕とバーボンで考えたレシピです。よければまた作って差し上げますよ」
「あらま」
全ての公判が終了するまでには数年を費やした。もちろんその間もライとバーボンは行方知れず。幹部のうち二人も取り逃した事実はこの偉業にかなりの疵をつけることになる。組織への忠誠心の薄さから二人が残党としての脅威になる確率は低いと判断され、逃走中に死亡とデータは書き換えられた。上層部にそうするよう陰で進言したのは景光だった。
これで公的に、ライとバーボンはこの世に存在しないこととなる。これが最善の道だと思えた。あの自由な魂にはこの世界の仕組みの方が相応しくなかったのだ。
◇
景光はその後も公安の一員として国内外で任務にあたった。人当たりが良く対象に警戒心を抱かせない、持ち前のコミュニケーション能力は大層仕事に役立った。途中離脱したものの黒の組織に潜入し壊滅にひと役買ったという実績も、彼のキャリアをますます輝かせることとなった。
「ヒロ、ここらで昼飯にしようぜ。今日は日本食のデリバリーを頼んだんだ、お前がそろそろ故郷の味を恋しく思ってるんじゃないかってな」
景光はある時、東南アジアの某国に派遣されて現地の警察と国際指名手配犯を追っていた。捜査が一区切りついて現地のメンバーがそう言うのに、顔を綻ばせる。届いたばかりのビニール袋がどさどさとテーブルの上に並べられた。
「日本食?嬉しいなあ、久しぶりだ」
今や世界中どの国にでも日本食を出すレストランはある。もちろん期待はしていなかったが、メンバーの心遣いが嬉しく景光はまだ温かなプラ容器を開けた。
カツの玉子とじにからあげ、おにぎりの包みにはペンで鮭、梅、かつお節など具が書かれている。なんちゃって日本食かと身構えたが、見た目には本当に日本の定食屋で出てきそうな素朴な手料理たちだった。
「こっちでは外食ばかりだけど、料理したくなるなあ」
「ヒロは料理も得意なのか?今度作って食わせてくれよ」
このヤマが終わったらね、と軽口を叩きながらパキリと割り箸を割り、どれから摘もうか迷った末に肉じゃがに手を伸ばした。自分が得意としていた肉じゃがに見た目がそっくりだったからだ。つやつやのじゃがいもににんじん、ご丁寧に絹さやも乗せられている。さて味はどうかと、じゃがいもを口に入れた瞬間。
「……」
景光は眼を見張る。ほくほくと崩れるじゃがいも、肉に染み込んだ出汁の風味。
間違いない。これは自分のレシピだ。ご飯に合うように少し醤油を濃いめにした味付けに、具材の切り方や火の通り方。舌触りと香り…これを再現できるのは自分以外にこの世でただひとり。
「……バーボン…?」
「ん?何か言ったか」
「おい、この店はどこにある?」
「なんだ、そんなに気に入ったのか?俺も人に聞いただけなんだよ、最近できたばかりの店だってさ。市場の南側の…」
ビニール袋の中には唯一の手がかりとしてショップカードが入っていたが、電話番号は繋がらないし書いてある住所も存在しないものだった。
景光は教えられた通りをくまなく探して回ったが、当然店は見つけられなかった。近所の誰に聞いても全く知らない、覚えがないと雲を掴むような話しか得られなかった。
店の名前は『グリーン&ブルー』。
シンプルで美しい、彼らを表すのにこれ以上ないふたつの単語を想って景光は目を閉じた。
きっと世界のどこかで、二人きりの王国を作っているだろう。
その食卓に景光が教えた料理が並んでいるのなら──これほど不思議で、切なくて、嬉しいことはない。
(おわり)