大魔道士の暇潰し 今日も今日とてガンガディアはマトリフに会いにきていた。地底魔城でハドラーと鉢合わせて、二人の関係がバレてからというもの、ガンガディアは憚ることなく会いに来るようになった。
今は二人で湖に浸かっている。ここ数日の暑さに辟易していたところだったので、程よい冷たさの湖の水温は気持ちよかった。若者たちは浅瀬で遊んでいる。マトリフはガンガディアに横抱きに抱えられながら浮かんでいた。
「暑くはないかね?」
「いいや……ちょうどいい」
魔王の侵攻も最近ではおざなりだ。そのおかげでのんびりと旅をしている。そののんびりとした時間の中で、マトリフは少々の退屈を感じていた。その退屈がある思いつきを連れてきた。
「熱中症ってゆっくり言ってみな」
マトリフはガンガディアに言った。
「ねっちゅうしょう?」
ガンガディアは不思議そうに思いながら言う。
「もっとゆっくり。ひと単語ごと区切るように」
「ねっ、ちゅう、しょう」
ガンガディアはますます不思議に思いながらも、律儀にゆっくりと発音した。
「いいぜ」
マトリフは言うと上半身を起こしてガンガディアに口付けた。軽いリップ音を残して唇は離れていく。ガンガディアは驚きながらも、マトリフが持ちかけたのが言葉遊びであり、それによってキスをねだる言葉になる事に遅れて気付いた。
「キスならそうと言ってくれれば」
「ただの暇潰しだ」
ふむ、とガンガディアも納得する。若者たちのはしゃぐ声が遠くに聞こえ、青い空には小鳥が二羽飛んでいく。穏やかなゆっくりとした時間は、まるで間延びした音楽のようだった。
***
「ということがあったのです」
ガンガディアの大事な報告というのを聞いたハドラーは、もう溜息すら出なかった。
「いないと思ったら勇者たちと呑気に水浴びしていた挙句に、その惚気をオレに聞かせたのか」
「報連相は大事かと」
「今の話に大事な部分は一つもなかったが」
「勇者も楽しそうに仲間と遊んでいましたよ」
「そこの話の解像度を上げろ」
「私はこれで。読書の時間ですので」
ガンガディアは踵を返してスタスタと行ってしまう。
ハドラーは水着のアバンを想像した。そして立ち上がると地底魔城から飛び立った。
湖の近くの村の宿屋。勇者一行は水遊びで疲れた身体を癒していた。既に日は沈んでいる。ハドラーはアバンが部屋に一人だとわかるとノックもなく部屋に入ってきた。
「なんですかいきなり」
アバンはやってきた魔王を一瞥すると素気なく言った。対するハドラーは腕を組み、じろじろとアバンを見下ろす。日に焼けたせいか少しの赤くなった顔を見ていると、ハドラーはむずむずと胸に込み上げてくるものがあった。
「おい、熱中症とゆっくり言え」
ハドラーの言葉を聞いてアバンはキョトンとした。そしてすぐに笑いを堪えるように頬を膨らませた。ハドラーは笑われたことに腹を立ててアバンを睨みつける。
「なにを笑っている!」
「いえ……結構単純だと思っただけで……ふふふ」
アバンは俯いて肩を震わせている。ハドラーは何故笑われているのかわからなくて眉間に皺を寄せた。アバンは笑い過ぎて滲んだ涙を指で拭うと、ようやく笑った理由を説明した。
「あなたはマトリフに揶揄われたんですよ」
「は? 何を言っている。あいつになど会っていない」
「マトリフから言われたんですよ。あなたがおかしな事を言ってくるから楽しみにしておけって」
「なんだと?」
「おおかたガンガディアから何か言われたからそんな事を言い出したのでしょ」
ハドラーはギクリと身体を固める。ガンガディアから聞いた言葉遊びなどつまらんと思ったが、いざアバンを目の前にすると可愛らしく接吻をねだる言葉を言わせたくなったのだ。
「マトリフがすぐあなたを揶揄うから、やめるように言ったんですよ。だから彼なりに趣向を凝らしたんでしょう」
ダメ押しのように隣の部屋からマトリフの大きな笑い声が聞こえてきた。どうやらずっと二人のやり取りを聞いていたらしい。
ハドラーは自分が遊ばれたのだと気付いて怒りで世界を滅ぼしそうになった。マトリフが呼んだガンガディアがいなかったら部屋のベッドの破壊くらいでは済まなかっただろう。マトリフはベッドの修理費用を出す羽目になったのだが、よい暇潰しになったとあくびをひとつした。