願い事で終わらせたくないから八戒宅のホームシアターでおすすめの映画を鑑賞し、夕方になって帰路についた。
駅に向かう道を進んでいると、見覚えのある3人組が先にいるのが目につき、思わず声をかける。
「三ツ谷くん!」
こちらを振り向いたのはやはり、三ツ谷と妹2人だった。
三ツ谷は両腕にスーパーの袋を持ち、さらに顔にかぶるほどの笹を抱えている。
「どしたんスか?ソレ」
「七夕だからっつってマナの学童が持たせてくれてサ…」
七夕。そうか、今日は七夕だったか。
高校生ともなれば、七夕などあまり意識していない。ぬるい風にそよぐ笹の葉を見て、どこか懐かしい気持ちが蘇った。
「オレ家まで持ちますよ!」
「サンキュ、助かるワ…」
ここまでの道のりで既に疲れた様子の三ツ谷が、武道に笹を渡す。けれど、三ツ谷は首を何回か左右に鳴らすと、スーパーの袋を片手に持ち直し、反対の手でまだ幼いマナの手を取った。
(いいなぁ、兄貴って)
ひとりっ子の武道は、三ツ谷のこうした兄っぽい仕草を見るとつい、共働きの両親をひとりぼっちの家で夜まで待っていた子供の頃を思い出す。
両親がそうして働いているおかげで生活に困ったことはないけれど、あの時こんな兄貴がいたらなぁ、と少しルナとマナが羨ましかった。
ほうっと3人が並んで歩くのを眺めながら歩いていると、もともと八戒とはご近所の仲、10分もしないうちに三ツ谷の住むアパートの姿が見えた。
玄関先で笹を手渡しそのまま帰ろうとすると、ルナとマナがシャツの裾をくいっと引っ張って引き止める。
「タケミチも短冊書いていーよ」
「え!えーっと…」
ちらり、と先に中に入った三ツ谷を伺うと「茶くらい出すから書いてけよ」と言われお邪魔することとなった。
「タケミチなんて書く?」
「ウーン、そうだなぁ…」
ルナは宝くじで五億、マナはケーキ屋さんになりたい、とスラスラと願い事を短冊に書いていく。
タケミチはこの色ね、と渡されたオレンジのペンのキャップを取った。
──お兄ちゃんがほしい──
「へへ、さっき3人見てたら羨ましくなっちゃってサ!」
ドヤ!と武道が書いた短冊を見せると、2人は呆れたようにため息をついた。
「あのねタケミチ。お兄ちゃんは後から産まれないんだよ?」
「そうだねぇ…でもさ、例えばオレがルナちゃんと結婚したら三ツ谷くんはオレのお兄ちゃんにもなるんだよ?」
「え、キモいんだけど」
「例えばだから!例えば!」
バサリと切り捨てルナとマナは別の部屋へとこもってしまった。凹みながら1人で笹に短冊を飾っていると、突然背後からギチっと頭を強い力で握り込まれる。
「いててててて痛ってぇッ!」
「ルナと結婚とかタケミっちはロリコンだったのかァ?」
「ちがいますうぅ!!例え話で!!」
涙目で訴えると漸く手を離された。
武道の飾った短冊を手に取り「今から兄ちゃんが欲しいは無理だろ」とマナと同じことを言う。
「だからマナちゃんと結婚って例え話をしてたんですって!マナちゃんと結婚したら、今からでも三ツ谷くんがオレの兄になるじゃないっすか?」
「なるほどなぁ」
三ツ谷は用意したお茶をダイニングテーブルに置くと、ルナとマナの短冊も手に取り眺めていた。
2人の微笑ましい願い事に、ふ、と優しい微笑みを落とす。そんな顔を見せるから、武道が羨ましく思ってしまうというのに。
「でもマァ、オレがタケミっちの兄ちゃんになることは一生ねぇな」
「もう…言われなくても手なんか出さねぇっスよ。三ツ谷くんてシスコンっスね」
「そうじゃねぇよ」
ぎゅう、と頬をつねられる。
加減されていると言ってもヒリヒリと痛んだ。出された麦茶のグラスで頬を冷やし、中身をゴクゴクと飲み干した。ふと時計を確認すれば、もう夕飯時だ。
「スンマセン長居して。オレ帰りますね」
「いや、本当助かったワ。サンキューな」
2人の夕飯の用意もあるだろうと立ち上がり、玄関で靴を履いて、最後に再び三ツ谷の方を振り返ると、三ツ谷はダイニングテーブルに残っていた短冊にサラサラとペンを走らせていた。
「三ツ谷くんはなんて書いたんスか?」
そう問いかけると、三ツ谷は書いた短冊を手に持ってこちらに向かってくる。
てっきり見せてくれるのだと思っていると、そのまま短冊を武道の制服の胸ポケットへと差し込んだ。
「へ?何スか?」
「笹よりこっちのがご利益ありそーだから。家帰ってから見ろよ」
「ええ?オレに叶えられるヤツですか?」
「どうだろうな」
二度とルナに近づくなとか書いてあったらどうしよ…と胃がきゅうっと悲鳴を上げた。
玄関を出ると、既に7時近いというのに空はまだ薄明るい。
駅へと向かう道を進んでいると、不思議とバクバクと心臓が跳ねていく。それを誤魔化すように胸ポケットを上からぎゅっと手のひらで押さえつけた。
今短冊を見ても、帰ってから見ても短冊の内容は変わらないのに。けれど「家帰ってから見ろよ」と言われた通り、結局自宅まで胸ポケットを押さえていた。
空も暗くなったが、まだ誰も帰っていない自宅は電気一つ点いていない。中に入り、内玄関の灯りをつけると、ようやく胸ポケットから短冊を取り出した。
──ルナとマナに、新しい兄ちゃんができますように──
黄緑色の短冊に書かれた少し右上がりの綺麗な文字は、もう願い事が叶うのを確信しているようだった。