あーんあーんと子供が泣いている声がした。
あたりは薄暗くもう5時を過ぎている。変質者に何かされているのかと慌てて公園に飛び込んだら、しゃがみこんでる少年の横で見覚えのある女の子たちが泣いていた。
「ルナちゃんマナちゃん…?
ってことは」
具合が悪そうにベンチのわきでしゃがんでいるのは三ツ谷だった。
「どうしたんすか三ツ谷君!?
って熱…!?」
上気した頬に荒い息。明らかに高熱が出ている。
妹たちは具合が悪そうな兄に対して何もできず、うろたえて泣いていたようだった。
日頃から面倒見がよく家事の一切を任されていると聞く。つまり本人が具合が悪い時、頼る相手がいない。
「三ツ谷君、立てそうっスか?
家まで肩貸します」
三ツ谷はぼんやりした表情で、武道のこともあまり認識していないようだった。
幸い三ツ谷の家は近く、知った顔の出現で落ち着きを取り戻してきたルナとマナに道案内を任せる。
お邪魔します、と家に上がり三ツ谷の自室――ルナとマナの部屋と簡易にカーテンで区切られているだけだが――にて布団を敷く。
勝手に触られるのは嫌だろうが緊急事態だ。妹たちに替えの下着とパジャマの場所を聞き、タオルとお湯を頼んだ。道すがら三ツ谷が汗をかいているのがわかったからだ。
スポドリはあるだろうか、買い物途中で具合が悪くなったとルナちゃんが言っていたが食べ物のストックがないということだろうか。
中身26歳の大人としててきぱきとやるべきことを頭の中でリスト化する。
頼りがいがあるし家庭的だから忘れがちだが、三ツ谷も年齢は中学生だ。
家を飛び出てしばらくした頃、うっかり風邪をこじらせたことがあった。体調が悪くなっても一人暮らしで誰も助けてくれない。あの虚しくて悲しい気持ちを三ツ谷に味わわせたくないと思った。
用意してもらったお湯でタオルを固く絞った。
「三ツ谷君、汗かいて身体冷えたと思うんで上だけ拭きますよ。
着替え難しいなら手伝いますから」
うーうーうなる三ツ谷がゆらゆらと頷く。
着替えさせた後彼を布団に寝かせ、やっと一息つく。
不安そうに傍で見ていた妹二人もやっと安心したようで武道にしがみついてきた。
「おなかすいたー」
「冷蔵庫の中見てもいい?」
「いいけど、卵とか色々なかったと思う」
ルナマナもお腹を空かせているし、忘れていたが自分も両親がいないから外で食べようと出ていたのだった。父親は出張、母親は友人たちと一泊二日で温泉旅行。あんたもたまには贅沢しなさいと夕食代を奮発してくれた。
「買い物行こう、スーパー案内してくれる?」
ふたりは嬉しそうに武道の手を握った。
ぼんやり目を開けると見覚えのある天井。
自分は何をしていたっけ。あぁ買い物に。
ルナとマナは!?
起き上がろうとしても体がだるい。
「……な…まな…」
音のしない部屋の中、妹たちの気配がなくて不安でたまらない。
自分はなんてことをしたんだろうか。
ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がした。きゃっきゃと姦しい妹たちの声に混じり、少年のしゃべり声がする。
「手ぇ洗って、もうちょっと静かにしよ。
三ツ谷君起きちゃう」
タケミっちだ。
ふと冷静になって、自分の格好を見る。着替えた覚えがないのに着替えている。
ということは。
ひょこ、と下の妹がカーテンの隙間から顔を出した。
「あーっお兄ちゃん起きてる!!」
ぱあっと顔を輝かせ、膝にどんと乗っかってきた。
慌てて上の妹もやってきて、ほっとした顔をした。
「タケミチー、お兄ちゃん起きたー!」
「あっよかったー!
スポドリ持っていくね」
そんなの悪い。
自分で動きたくても体がついていかない。情けなくて右目からぽろりと涙が出た。
「大丈夫っスか、スポドリ飲めます?」
コップとペットボトルを盆にのせ、武道が三ツ谷の傍に座った。
「わり…たけみっち、めいわくかけた…」
「何言ってんすか。ちょうど通りかかってよかったっス。
うどんと適当に買ってきた総菜があるんで、オレもここで食べていいっスかね」
両親が留守にしていること、一人外食しようとして三ツ谷を発見したことを聞き、なおかつ三ツ谷が気に病まないようにナチュラルに接してくれることがなんだか恥ずかしいような嬉しいような、ムズムズする気持ちにさせた。
4人分のうどんと大量のから揚げ、申し訳程度のポテサラ。正直栄養バランスがすごく悪い。
「ルナちゃんもマナちゃんもお手伝いしてくれたんスよ。
なんかオレ、一人っ子だからかお兄ちゃんな感じしない~とか言われて」
自分が寝ている間のことを聞いて、妹たちもちゃんと成長しているなと妙な感動を覚えた。それでも公園で倒れた自分をどうにもできなくて心配させただろう。
「ありがとうな、ルナ、マナ」
上の妹はそっぽをむいて鼻をすすり、下の妹はうれしげににーっと笑った。
あぁ、人に頼るってこんな感じだっけ。
だれにも頼れなくて、誰も辛さをわかってくれなくて。
家出した先でドラケンに会って、頼れたわけでも辛さを分かち合えたわけでもなかったけど。あの時確実に救われた自分がいた。
あの時のことがなければ自分はこの家を飛び出てどこかで独りぼっちだったかもしれない。
タケミっちは不思議だ。
普段は頼りなくて、お調子者で、年相応のバカなのに。
真剣で、時々すごく頼りになる。頼りにしたくなる。
年下でチビで力も弱いのに。マイキーとはまた違う安心感がある。そしてほっとけない。
「なぁ、こんなこといつもしてるの?」
ガラガラ声で尋ねた言葉。ぽろっと出てしまって、本当は聞くつもりなんてなかったのに。
熱のせいでずいぶん口が緩んでいる。
タケミっちはきょとんと三ツ谷を見たが、
「いつもじゃないっス。
三ツ谷君は頑張ってるじゃないっスか。だからいざという時頼る人いないのかなって。
あ、でもドラケン君か八戒呼べばよかったっスかね!?」
いつもの調子でおどけるタケミっち。
「いいよ。
おまえなら、いい」
なんだか負けた気持ちだ。
いつも気を張って、頼れる兄貴分であるのが当たり前だったのに。
「あ、食器片づけたら帰りますね」
「え」
思わず拒否するような「えっ」が出てしまった。タケミっち自身びっくりして、ちょっと気まずそうにしている。
「いや、うん。
今日は助か…」
「ルナちゃん、お母さん帰ってくるの8時くらいだっけ?」
「うん、そのくらい」
「じゃあ、それまでいるよ」
「えーたけみちお泊りしたらいいじゃん!」
「流石にそれは悪いよ。
それまでいてもいい? 三ツ谷君」
恥ずかしくて顔をあげられない。三ツ谷は顔を布団にうずめて頷いた。
後日。
武道は三ツ谷の看病のことを言いふらすこともなく、普通に過ごしている。
集会でちらちらと武道を伺う三ツ谷を訝しむドラケン。
「タケミっちになんかあったか?」
「いや…」
言いよどんで、そういえばドラケンも武道に助けられた身だったなと思いつく。
「タケミっちってさ、なんか頼りになるよな」
「あー…」
ドラケンも武道に視線を投げる。マイキーに後ろからしがみつかれ、何事か無理難題を言われたらしく顔色が変わっていく。
「ああしてると全然だけどなぁ。
でもあん時」
キヨマサに刺された祭りの日。
「あの背中がさ、すごくうれしかった。
あんなちいせぇのに、オレのこと引きずって、んでトドメ刺しに来た奴らに立ちふさがった時。
マイキーが敵をなぎ倒す時、あぁしびれるなって思うだろ?
あん時みたいな、でもちょっと違う。なんか、あったけぇって感じ」
すごくわかる。
三ツ谷にとっても武道はそう言う存在だ。出会ったばかりだというのに、知らなかった以前に戻れない。
ずっとずっと、この先も。
独り占めしたいなんて我儘は言わない。けどマイキーが独り占めするのはずるいから。
ドラケンと二人、温かい彼の許へ歩き出した。
おわり