無防備な彼女 休日出かけた先で事件に遭遇するなんてのはよくあることだけれど、そこに宿敵の妹がいるのもよくあることにはなって欲しくない。
偶然同じトラブルに巻き込まれ、警察を呼ぶほどの大事にはならずに収束した。そこまでは良かった。
それではまた会うことがあればなんて言って解散し、いつもの日常に戻れば、日々の記憶に紛れて今日のできごとも薄れていくだろう。
しかし、外はとっくに日が暮れている時間。そのことに建物を出てから気付き、まだ近くに彼女がいればなにも言わないわけにもいかない。
「もう遅いですし、送っていきましょうか」
社交辞令。または、純粋な厚意。どちらにしても、下心はなかった。
今年だか来年だかに成人を迎えるらしい彼女に対して邪な感情を向けるなんて、あってはならないのだから。
特に警戒する様子もなく「良いのか? じゃあ、心遣いに甘えようかな」なんて笑って言った彼女は今、降谷の車の助手席にいる。
なんの因果か偶然か。
最寄り駅を確認したところ、なんと世良と降谷の最寄り駅は同じ沿線で二つしか離れていなかったのだ。車での移動がメインに降谷にとって、なんてことのない距離。
「それにしても、ほんと久しぶりだな。安室さんはせっかくの休みに、一人なのか?」
世良にとって、自分は安室透。正体を明かすタイミングも、改めて自己紹介をする機会にも恵まれず今に至っている。
「あいにくですが、君も同じに見えますけど?」
「お互い寂しい独り身ってやつか」
世良の言葉を額面通り受けとれば、彼女はフリーらしい。
警戒心なく助手席に乗り込み、最寄り駅を簡単に口にする。そんな彼女を見ていると、心配になってくる。一回りも年上の男を恋愛対象として見ていないからだと言われたら、なにも言えなくなってしまうが。
相棒のバイクがメンテナンス中だとか、メンテナンス代を捻出するためにバイトを始めただとか、世良の近況に耳を傾けていたら、景色が見慣れたものになっていく。
「この辺りからはナビお願いしますよ」
「わかった! ここを左に曲がったら、とりあえずまっすぐ行ってくれ。右に曲がるタイミングはもう少し先なんだ」
世良のナビに従って車を走らせると、大通りを逸れ、見慣れない道に入った。あるアパートの前で車を止めるように言われ、道路の端に車を寄せる。
到着したのに、世良は車を降りようとしない。不思議に思っていたら、彼女は唐突に口を開いた。
「久しぶりに会えたんだし、お茶でも飲んでいくか?」
「せっかくですけど、路上駐車は避けたいので」
対向車をかわす程度の余裕はある道幅だが、早く車を出したい。そのためには、早く愛車から降りて欲しい。
けれど、世良はさらに食い下がった。
「すぐそこにパーキングあるけど……」
「……では、少しだけ」
世良の自宅は綺麗に整頓されていた。というより、物が少ないのか。必要最低限の家電家具のなか、飾られている一枚の家族写真が異質に見えた。
ロフトのあるタイプの部屋なので、目に見えるところにベッドや布団がなくてよかった。そこまで考えて、慌てて頭の中からその考えを追い出す。
部屋の中央にある小さなテーブルにはマグカップが二つ。いつもここで食事を取っているらしい。
「最近、みんな忙しくて前みたいには会えなくてさ。昔の知り合いとこうして過ごせるの嬉しいよ」
そうは言いながらも、世良の瞳から寂しさの色は見つからない。
世良の出してくれた紅茶を飲みながら、この後のことを考える。紅茶にはうるさい母親に仕込まれたと言うだけはあって、市販のティーパックとは思えない香りと味がした。彼女が勧める通りにミルクティーにしたのは正解だったようだ。
「新しい友人もできたんじゃないですか?大学生ともなると交友関係も広がるでしょう」
「確かに知り合いは増えたなぁ。だからって昔の知り合いの代わりにはならないし」
「君は人好きしそうですし、難なく溶け込んでいる様子が想像できますよ」
「そ、そうかな」
世良が頬を染め、視線を落とす。今も変わらず素直な彼女の反応を見ていると、以前はチラついていた男の顔を忘れそうになる。
「これなら、外で食事でもしてくれば良かったですね」
温かいものを腹に入れて人心地着くと、体は次に空腹を主張し始めた。
「確かに、こんな時間だもんな。ボクもお腹すいてきたよ」
そろそろお暇しようと思っての発言だったのに、世良はちょっと待ってと言って部屋を出ていこうとする。
「ありあわせだけど、ボクが作るから食べていけよ」
「君が、ですか」
思わぬ方向に話が転んでしまった。
「それとも、安室さんが作ってくれるのか? ポアロでバイトしてたんだから、料理は得意なんだろ?」
ポアロでは調理もしていたし、自炊もする。料理は得意な方だ。その腕前を疲労する機会はかなり減ってしまったけれど。
「まあ、それなりには」
「だったら、ボク、安室さんの作ったご飯が食べたいな」
自炊も外食も飽きちゃってさ、と世良は笑う。
ここまで来れば乗りかかった船だ。
「良いですよ。冷蔵庫見せてもらえますか?」
「もちろん!」
一人暮らしを想定した造りのアパートなので、キッチンも当然それなりの広さでしかない。そこに成人男女二人で立つのは、かなり手狭だった。
「失礼しますね」
冷蔵庫を開けると、何種類かの調味料に鶏肉、ピーマンが目に入る。充実した内容とはいえないが、二人分の食事ならばこれで充分だ。
「卵はないんですか?」
「朝食べたので最後だったな」
「米を炊けるなら、チキンライスにしましょうか」
そうは言ったが、炊飯器は見当たらない。
ちょっと待ってと言って戸棚を漁った世良が出してきたのは、レトルトのご飯だった。レンジで温めるタイプだ。彼女の言う「自炊」の内容が少し気になったが、触れないことにする。一応こうして材料はあることだし、彼女なりにやっているのだろう。
調理を始めようとする降谷に、世良が尋ねる。
「ボクが卵買ってきたら、オムライスになるか?」
「外は暗いですし……それは次の機会にしませんか?」
言ってから、後悔しても遅い。自分から関わりを持とうとしてしまうとは。世良は降谷の言葉を聞き逃さない。
「また作りに来てくれるのか?じゃ、連絡先交換しなきゃな」
楽しげにはしゃぐ世良に気圧される形で、月に何度か彼女の家を訪問し食事を作る関係になった。
……それが繰り返され、気安く会話もできるようになったころ。
あの日からの懸念点を口にする日がやって来た。
「君はいつもあんな風に異性を部屋にあげてるのかい? あまり感心できませんね」
説教臭いと感じて反発されるかもしれない。というのは、杞憂だった。
「……安室さんだからだって、言わないとわからないのか?」
世良はなんてことのないようにさらりと言って、降谷の作った昼食を口に運んでいる。それに対して、なんて言葉を返せば良いのか分からない降谷。
降谷にとっては気まずい沈黙が流れた。