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    k_kirou

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    再録リライト本に収録予定のスマユリ詰め(2008~20011→2023加筆修正)

    ■テレビスターの喜劇

    「あ、」
     また、だ。
     久しぶりの新曲を出してからというものDeuilはあちこちのメディアで大きく扱われている。雑誌やラジオは勿論のこと、テレビにも僕らの姿が映し出され、人々の口端に上る。
     僕たちは気まぐれ故の不安定な活動ペースでいつもファンを待たせてきた。今回もしばらく息をひそめた末の発表だったから随分と注目されているようだ。
     今もまた今日何度目になるか分からないCMが流れた。十五秒ほどの短い時間でMVから切り出したサビの演奏と共に音源の発売日とツアーが告知される。
    「ユーリ、君がいるよ。格好いいね」
    「毎日見ている癖に何を言う」
    「現実の君と画面の中の君とは別だよ」
     何度も見てきた。曲がどこから始まるかで三十秒尺とどちらが流れるかが分かる。そっちでは彼が長く映っていて、曲の世界観に合わせた過剰な装飾を纏いながら歌うユーリをよく見ることが出来る。その口から紡がれるしなやかで強い歌声は少しの時間で聞く者をたちまち魅了してしまう。
     ……もっとも一緒に収録をしたのだからよく見ずとも彼がどんな衣装でどんな風に歌っていたかは知っている。MVのフル尺もとうに確認済だ。
     僕が言いたいのはテレビの中に居る完璧なDeuilのボーカルであるユーリと、ここにいるただのユーリの違いだ。
     ただのユーリは何も飾らない。完璧なユーリは全てを飾る。それは何も華美な衣装やメイクのことじゃない。そんなものがあっても無くてもユーリの美貌は変わらない。けれど仕事中に見せる堂々たる姿、絶対者であるという風格、指先だけで世界を食ってしまいそうな自信、そういったものは今この場所では何一つ感じられない。
    「それはわざとなの」
    「私はそう求められているだろう」
    「うん、君は正しい」
     僕は知っている。ユーリだってただの生物だ。息をして思考をする以上、心の調子を崩すこともあるし悩みだってする。彼はいくらか傲慢ではあるけれど驕るほどではないのだ。
     その真実を彼は他の誰にも見せない。メンバーの一員としてアッシュには許しているはずだけど、彼は憧れに目を曇らせて踏み込まないのだ。だから僕だけが知っている。
     僕はそのことに魅了されないように注意をしているのにいつだって上手くいかず、テレビ画面へ釘付けになる。
    「あの君はなんだか遠い気がするよ」
    「ライブでは散々絡むくせに」
    「それはそう求められているからさ」
     スポットライトを浴びるユーリは最高だ。最初からそこへ立つべく作られた芸術品のようで惚れ惚れする。僕はそれについて行こうと必死に『僕』を演じてはいるけれど、どうにもツクリモノ染みていて後から見ると滑稽に感じてしまう。
     ユーリは少女に本物の夢を与えるのだ。なんて、ずるい。
    「ねぇ、僕、君のことが好きだよ」
    「そうか」
    「うん」
     テレビは音楽番組へと変わって、僕らのインタビューが流れ始めた。ユーリはいつもと同じく落ち着いた態度で、アッシュは久しぶりのバンドの一員としての仕事に少し緊張気味で……僕は澄ました顔で座ってる。
     基本的にはリーダーであるユーリが質問に答えるものの、名指しされれば僕らも口を開く。テレビの中の僕は他のメンバーと対照的にゆっくりと、低い声でコメントを添えた。
    「お前も人のことは言えまい」
    「別人みたいでしょう。僕も頑張っているんだよ」
    「それは重畳。まぁ私はこちらより」
     と、ユーリはテレビ画面の僕を指した後、その指を僕の目前へ移動させた。
    「こちらの方が好きだがな」
    「…………ユーリ、世辞が過ぎるよ」
     そんなこと面と向かって言わないでほしい。熱くなる顔をそむけると、およそ彼に似つかわしくない盛大な笑い声が響いた。
     そこへ通りがかったアッシュが一言。
    「あんたら何してんスか」
     洗濯物を抱えたドラムスには言われたくないよ。





    ■絞殺考察

     ――深く、息をして酸素を取り入れる。
     ――そのまま、止めてしばらく。
    「っ、ふぅ……」
    「何をしている」
    「馬鹿で下らないことさ」
     酸素と二酸化炭素のバトンタッチに少し悪戯をしてやれば肉体はすぐに異常をきたす。初めは軽い息苦しさ、徐々に痺れていく感覚、倒錯する意識。白く飛ぶ寸前に恍惚を感じると言えば彼はどんな反応をするだろう。
     馬鹿にして下らないと吐き捨てる。或いは嘲笑ってくれるか。
     だから先に言ってあげたのだ。
    「馬鹿で下らないことさ」
     興味を持ってほしくはあるけれど、まだ教える気はないから詮索されたくない。
     これはただの実験で、僕はユーリを試したいのだ。
     拍動のない、つまり心臓が動いていないであろう彼は、しかし血中に酸素を取り入れる行為である呼吸は必要なようだ。それは歌の合間のしっかりとした息継ぎに顕著だ。発声のためだろうか。そうであれば黙っている時に呼吸の必要はないと仮定できるが、眠る彼の胸は確かに上下していた。
     呼吸は、ユーリにも必要だ。
     だからそうすることを考えるとついつい頬が蕩けてしまう。
     ユーリを感じたい。僕と違うユーリの全部が知りたい。
     彼というものがどうやって生きているのか、伝承と真実がかき混ぜられた吸血鬼の真実は何なのか、そしてその上で彼がどんな人物であるのかを知りたい。彼がどんな時に何を感じるのか学んで、喜び、怒り、悲しみ、楽しむ顔が見たい。
     その一環として、彼の苦悶に歪む顔が見たい。首を絞めるのがリスクが少なくていいだろう。なにしろ途中でやめることができる。
     だから僕は力加減を学ばなくてはならない。間違って殺めてしまうほど……ううん、死に顔も見たいけれど、まだ必要ないはずだから。
    「馬鹿で下らないのは結構だが死んだら元も子もないぞ」
    「そうだね」
     その後は、きっと今までにないくらい怒ってね。





    ■口移しで

    「ねぇユーリ、君は僕と出会う前どんな風に生きていたの?」
     チャンスがある度に僕はユーリに聞いた。けれどユーリは僕が本当に知りたいことをいつも教えてくれない。
     例えばずっと音楽が好きで少しばかり楽器の心得があるとか、薔薇の手入れの仕方は昔居た所の庭師に習ったとか、城下町は様変わりしたけれど好きだったあのベーカリーだけは変わらないとか、そんな他愛のないことならいくらでも話してくれた。
     でもそうじゃないんだ。僕の知りたいのはもっと、もっと、彼に近いところ。何を思って何を考えてどうやって生きてきたのか。子供時代とか、家族とか、今ここにいる彼を作った物事。彼の心にある原風景。僕はそういうものが知りたいんだ。
    「それを知らなくてはお前は私を愛せないのか?」
    「そんなことないよ、ユーリ! でも知りたいんだ、君のことを何もかも」
     ぎゅうぎゅうと背中から彼を抱きしめる。
     この中に詰まっているはずの彼の全てを僕に分けてほしい。
    「お前は過去を知れば現在の私を知る事が出来るとでも考えているのだろうが――」
     ユーリの指が僕の腕をなぞる。
    「そんな研究は精神科医にでも任せておけばいい。愛情に知識などという理性を挟むのは無粋だ。……違うか?」
     言い聞かせるような声色に混ざった息が頬に触れる。彼の赤い瞳に僕の詰まらない顔が映る。
     僕は、僕だけを映すこの瞳が好きで、
    「そうだね」
     また今日もはぐらかされてしまうのだった。
     語れないのなら、いっそ口移しで構わないのに。




    ■影の落ちる階段

     ゆっくりと日が暮れていく。
     僕は路地裏の廃階段に腰掛けて狭い空を眺めていた。
     廃階段。言ってはみたもののおかしな響きだ。建物自体は今も使われているのだから廃墟ではない。ただこの数段ばかりの階段だけが、昔は存在したらしい裏口の扉を物言わぬ壁にしてしまうことで廃棄された。
     ここは忘れられた場所だ。誰も目を向けない。
     根無し草の僕が休むにはうってつけの場所だ。
     今日は一日中ずっと空を見上げて時間を浪費していた。僕にするべき事ややりたい事はなく、ただこうして世界のどこかに存在することだけを続けてきた。
     夕日は路地裏の暗がりを綺麗に無視して街を橙にする。
     だからこういう場所は好きだ。僕は何もかもに忘れられたどこにも飛ばない根無し草、根を張らずにいつまでだってこうしていられる。
     まるで待ちぼうけるみたい。
     迎えに来る人なんて誰もいないけれど。それとも誰か来るかしらん。野良猫かしらん。そしたら僕、何がしたくて、何が出来るのだろう。
     暮れる太陽に置き去りにされて、どこよりも早く夜が来る。
     僕が成りきれない、『僕達』の世界だ。
     もう誰も来ないだろうと腰を上げると、ゆらりと黒い人影が見えた。さっきまでの現実逃避とは裏腹にリアルな逃走の算段をする。警官なんかだと厄介だし、僕が生きているのはまごう事なき現実だ。
    「君は誰」
    「まぁそう警戒してくれるな。私はお前と話がしたいのだよ」
     声は猫を誘うように笑う。馬鹿にしているとも取れる挙動が少しも不愉快でなかったわけがない。だけど僕は、いや、僕も笑っていた。
    「君とは会ったことがあるね。そう……ユーリ、だ」
    「なんだ覚えていたのか。頭はいいな」
     それって少しも褒め言葉じゃない。でも君のことは覚えていたよ、退屈しなさそうだって。
    「ねぇ、暇つぶしに付き合ってくれる?」




    ■温室

     僕は何故そうしてしまったのか分からないけれど、温室で倒れているユーリをじっと見ていた。
     助けなければならない。人道として、愛情として。
     けれど、彼は吸血鬼だ。死んでいるはずはないし放置しても死にはしない。
     よすがを求めようとした痕跡のある指には土汚れが付き、銀の髪は惜しげもなく地面に散らされている。それは光輪のように彼の貌を飾り、苦悶を浮かべる柳眉や、閉じられた瞼に並んだ睫毛の間に残る水滴、向こう側へ影を作る鼻梁の下、薄く開いた口元から覗く乳白色の歯といった、彼が倒れ伏した瞬間に作った造形の美しさを引き立てている。
     ……どうすればこのまま保存しておけるだろう。
     画家ならばきっと絵に遺した。彫刻家はこれを彫り、詩人なら詩にしたし音楽家なら音にした。僕の技量ではどれにも成り得ず、透明人間が出来ることは口付けだけだった。
     はたして、熱を持った唇が彼の倒れた理由を教えてくれた。
     所謂暑気あたりだ。高温多湿の温室は冷血なるユーリの体温と相性が悪い。
     運び出してやればすぐに目を覚ますだろう。だけどそのためにはこの光景を僕の手で壊さねばならない。彼を助ける行為であったとしても、僕には芸術を損なう大変惜しい行いに思えた。
     だから僕は手近にあったシャベルを構えてガラスを破った。
     一枚、二枚、三枚ほど、続けざまに割れば涼風が温室へ這入りこむ。途中で仕損じて腕を裂いたけれど些細な問題だった。
     なにせ彼を起こすために血が必要だ。ユーリの頬へ垂らしてやると最初からそのように決まっていたかのごとく肌を伝い、彼の唇の合間の深淵へ落ちていく。
     痛みも忘れてユーリを見た。睫毛の動く一寸すら見逃さずにいたかった。
     風と、身動ぎが彼の髪を乱す。瞼の隙間から見えた血よりも赤い一筋に、僕は歓喜と恍惚、そして少しの安堵を覚えた。
     彼の喉が静かに震える。
    「遅いではないか」
     そこに倒れ伏していたとは思えない、いつも通りの抑揚の少ない声色だ。
    「ごめんね、ユーリ」
     あぁ、今日もまた背徳を犯してしまった。
     僕は幸福を噛み締めた。
     彼が汚れた頬を指で拭っている間じゅう、ずっと。
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