最果てのすこし向こうで悪童、死刑囚、造反組。そんな肩書を持った自分が畳の上で死を迎えるとは思ってもみなかった。
そして、隣には俺にとっての光がいる。
この人の熱さや眩さで何度焦がされ、死んでしまうのではないかと感じたかわからない。
ほのあたたかいあの子とは違う、強烈な……太陽のような人。
最後に、最後もこの光を見ることができてよかった。
あの頃より視界はかすんでしまったが、目の奥が燃えるように熱い。
確かにここにいて、俺を照らしてくれている。
あなたがいてよかった。
あなたがいたから、生きる意味ができた。
自分も、この人の役に立てただろうか。
もらったものに見合うものは返せなかったが、ほんの少しでも返せていたらうれしい。
あつい掌に頬を撫ぜられて、燃え尽きるような気持ちで眠りについた。
いつまでも、触れられたところはあつかった。
このあつさを、いつまでも覚えていられたらどんなにいいだろう。
行きつく先で、それを望んでみようか。
*
「コイト……」
前世の記憶らしきものがあるなんて、オカルティックすぎるか。俺はどこにでもいる一般的なサラリーマンだ。過去はともかく今は貧乏はしていないし、金を持ちすぎているということもない。
本当に、いたって普通の男だ。そうだったはずなのだが。
頭の中には、変な眉だが恐ろしく顔の整った褐色男子が浮かんでいる。彼の名前は「コイト」のはずだ。
彼は決して少なくない頻度で俺の夢に現れる。物心ついた時には彼のことを知っていた。
何かのアニメや漫画のキャラクターだとか、どこかで見た架空の人物でないかとはじめは疑っていた。
しかし彼の存在はそういった非現実のものと違い、いつまでも薄れることがない。
むしろ長い時間をかけて、ゆっくりと確実に色濃くなってきている。
昨夜も2日ぶりに姿を見せた。何度目かなんて分かるわけもない。親の顔より見たとでも言えばいいのか。
昔は件の夢に姿を現すだけだったが、つい最近変化が起こった。夢の中で俺は、彼の名前であろう音を口から出していた。
はっきりと聞き取れない部分もあるが「コイト」と呼んでいる気がする。これまでに「コイト」という名前の人間と関わったことはない。
彼は名前のある存在だった。ここまでくると、さすがに彼が架空の人物では思えなくなっていた。
どこかにコイトはいるのだろうか。あるいは、いたのだろうか。
コイトは俺に色々な表情を見せる。
笑顔もあれば怒っているような時もあったり、優しい顔をしている時もある。
特に印象深いのは、寂しげに笑っている顔だ。
俺は彼の何なのだろう。彼は俺にとって、何なのだろうか。
*
テレビで何かとサウナがよく取り上げられるようになったらしい。サウナ好きな芸能人も多いとかで、人気が高まっているとのことだ。
いわゆる「ととのう」感覚を味わうためか、馴染みの入浴施設にも見慣れない顔が増えてきた。
もしかしたら客が増えることで騒がしくなったり、じっくり湯に浸かることができなくなるのでは……というのは杞憂だった。
最近の若者は大人しく行儀がいいとは聞いていたが、確かに静かに蒸されたり風呂に浸かっている。
自分と同じものを好む人間が多いと感じられるのは、なんとなくいい気分だ。
金曜の夜ということもあり、少し気分が浮足立っている。自覚がある。もっぱら温泉目当てで通っているが、今夜はととのってみるかとサウナの戸を開けた。
サウナには同じくアラサーらしきサラリーマン風の男が2人。離れたところにもう1人、20代前半ほどに見える男が腰掛けていた。
サラリーマンは小さな声で談笑している。俺と同じく、金曜のリフレッシュという感じだ。
若者の方は1人らしく、瞼を閉じゆっくりと蒸されている。褐色の肌と日本人離れしたスタイルの良さが目立つ。ずんぐりむっくりしている俺とはえらい違いだ。
褐色の肌と、恵まれた体躯。艶のある髪。現実にコイトがいたら、こんな感じの青年なんだろう。
明らかに生きている世界が違うようなオーラを纏っていて、何なら少し輝いてさえ見える。
ちょうど空いていたサラリーマンのはす向かい、褐色の男が座っている場所からは離れて腰掛けた。
風呂でも汗を流したが、さすがサウナはより汗をかかせてくる。
じわじわと熱く滲み出てくる汗が目に入りそうになり瞼をこすった。
ぼんやりとした視界にサラリーマンがうすぼんやり見える。
風呂で温まってきたからか、身体が熱くなるのが早い気がする。
熱い、熱い、熱い……。
暫くぼんやりと目をつぶっていると戸の開く音がして話し声が聞こえなくなった。サラリーマンたちが出て行ったらしい。
この若いのはなかなか粘るなと何とはなしに視線を彼に持っていくと、彼もこちらを見ていた。どこか驚いたように目を瞬かせている。
ぎょっとし、軽く会釈てから前に向き直った。
おっさんから見られ気分を悪くしていたら悪いだろう。しっかり汗もかいたし今夜はもう十分だ。
さもちょうどそのタイミングでしたという風に腰を上げ出ていこうとした。
すると。
「熱いですね」
若々しくはりのある、それでいて何故か威厳を感じさせるような声だった。振り返ると勿論他の誰でもなく、彼が俺を見ていた。
「あ……」
おまけに、人懐こそうな微笑みまで浮かべている。
いつも風呂に浸かるばかりで事情には明るくないが、サウナでは世間話することもあるのかもしれない。
立ち上がりかけた姿勢で返事をしてみた。
「本当ですね……結構長く入られてるようで」
「明日は休みだから長めにと思って」
「あぁ、俺もなんですよ。こっちはこのあたりにしようかなと思っていて」
「私も、もう出ようかと」
タイミングがかぶってたみたいだ。
しかし、彼は腰を上げようとしない。
「あの、突然変なこと言ってびっくりすると思うんですけど」
「ん?」
さして迷いもない様子で彼は俺の目をじっと見ながら言った。
「どこかでお会いしたことが」
「え」
「急にこんなこと言って、気を悪くしたらすみませんが……」
若くて男前の知り合いがいたら、絶対に忘れないと思う。そんな知り合い自体、そうそうできるわけがないからだ。
彼とは全くの初対面だ。しかし夢の男の存在が、目の前の彼と俺の境界を曖昧にしている。ある種ぶっとんだ考えだ。
それにコイトに似ているということを差し引いても、胸の奥から何かが湧き出てくる。
少しだけ彼に近寄り腰を下ろした。
汗でしっとりとした髪はかき上げられて、特徴的な眉毛と綺麗な目がよく見える。見覚えがありすぎる。
「……初対面のはずです。けど、変なこと言いますけどどこかで会ったことはある……ような気がします」
「まこ……本当ですか」
「い、一応。ちなみに俺のことはどこで」
えぇと、と言いよどむ様子を見せはするが、表情はどこか確信めいたものを宿している。ずいっと身を乗り出した彼はより近い距離でつぶやく。
「夢の中で」
「……夢」
「しかも一度じゃなく、何回も……お兄さんに似ている人が」
「……」
「怪しいかもしれないが嘘じゃない。……あ、ナンパとかではないから!」
あまりにまっすぐな瞳で、彼が嘘を言っているようには思えなかった。
「ナンパなんて思ってないですよ。あと、俺もあなたによく似てる人を夢で見ました」
「本当か!」
それはもう嬉しそうな顔をして距離を詰めてきた。
顔が近くて若干どきどきする。やましい意味ではなくて、こんな男前なら誰だってそうなるだろう。
「俺の夢にも昔から同じ人が出てきて、それがあなたに似ています。なかなかいない男前ですから」
「お、男前……」
もともと上気していた顔がもう2段階ほど赤くなって、彼はぐんにゃりと身体を反らせた。
身体が異常に柔らかいらしい。
「いやっ、こっちこそ変な意味じゃなくて。一般論というか……もしかしてのぼせてます?」
とりあえずぐにゃっとした彼をここから出そうと肩を貸した。はやり背はだいぶ高かったが、筋肉がバランスよくついた均整のとれた身体だからか、そこまで運ぶのに苦労しなかった。鍛えててよかった。
サウナから出ると比較的落ち着いたようだ。
何か話したそうにしていたが、落ち着くまでもう少し休むように言ったら子供が拗ねたような顔をした。相当なイケメンなのに百面相で面白い子だ。
脱衣所の椅子で彼を休ませながら、この奇妙な出会いについて考えてみた。
彼も本当に俺のこと、あるいは俺のそっくりさんを夢に見ていたら、それはどういうことだろうか。
ソウルメイトってやつか?スピリチュアルな話には疎いが。
うちわで彼を仰ぎながら自販機で買った水をのどへ流しこむ。
どこか浮足立っていた、熱くぼんやりとしていた頭がすっきりしてくる。彼もちびちびと水を飲んでいる。
「なさけなか……」
「まぁまぁ。そういう時もあると思いますよ」
「つ……夢で見た人がおると思ったら興奮してしまって」
「俺も、気持ちは分かります」
確かに先ほどまでとは違う高揚感があった。
ずっと探していたような人を見つけたような感覚。
こんなおっさんに言われても嬉しくはないだろうが……。
「もっとお兄さんのことを知りたい」
「はは、お兄さんなんかじゃないって……」
「じゃっ、じゃあ名前を教えてほしい」
「月島基です。夜の月に離島の島、基本の基」
「ふふ……。いい名前だ」
彼は満足そうに微笑む。
「あなたは?」
「私は鯉登音之進。鯉が登るに、音が進む。之はこう」
おもむろに俺の手をとって、掌に之を書いて見せた。
無自覚でこんなことしてるなら、周りの人は心臓がもたないな!また少しどきっとしてしまった。
「やっぱり、こいとさんなんですね」
「……夢の私もそうだった?」
「こいとっていう響きだけなぜか覚えてたんです」
「私も月島……さんのことは覚えとった」
偶然、自分の夢に出てきた人と遭遇した。しかも向こうも同じ状況。
もちろん奇跡みたいなことだが、それにしたったなんでこんなに胸の奥が熱くなるんだ。
サウナのせいか、イケメンの無自覚なスキンシップのせいか。
さっきから熱くて熱くてたまらない。
*
「月島は汗かきだな」
「鯉登少尉は……まったくですね」
「鹿児島に比べればこちらはとても涼しい」
「うらやましい限りです。私の場合、汗ばかりかいて鬱陶しいことこの上ない」
「私は月島のそういうところが好ましい」
「……嫌味ですか?」
「違う!汗をかいているお前を見ると、新しい表情を見つけたようで嬉しい。むっつりしていることが多いからな」
「……やはり嫌味ですね」
「だから、ちご!」
*
「月島ぁ」
この笑顔を見たら誰もが恋をしてしまうんじゃないだろうか。そんな顔で鯉登さんは俺を呼ぶ。
不思議なきっかけで俺と鯉登さんの付き合いは始まった。
あの夜は本当に不思議としか言いようがなかった。
まだ20代前半で無邪気さも残る彼のまっすぐな言葉に押されてか、なぜか俺も正直に話してみようという気分になったのだ。
これまでは誰にだったこんなことを話してみようなんて考えなかったのに。
自己紹介後、鯉登さんからぜひと言われ連絡先を交換した。
帰路でさっそく彼から連絡がきて、次の休みにでもすぐに会いたいと誘いがあった。
「鯉登さん、待たせてすみません」
「私が早く来すぎただけだから構わん。ゆうべも遅かったみたいだが大丈夫か」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
小さい犬みたいなはしゃぎっぷりでこちらも心があたたかくなる。
10歳以上の年上のおっさんなのに……とちょっとばかり恐縮もしてしまう。
「今日も敬語……」
「すみません、癖です」
「夢の中の私にも?」
「あぁ……たぶん、そうなんじゃないですかね。彼とは話したことはないんですけど」
敬語はなしで話してほしいというのは毎回お願いされている。しかし、これが一番しっくりと自然な気がする。
「いつか私には普通に話してほしい」
「うーん……まぁ慣れたらで」
「約束だからな!」
拗ねた顔をしたり、またにっこりと笑って見せたり。鯉登さんの顔は見ていて飽きない。
いわゆるイケメンだから若干胸が高鳴ってしまうのは秘密だ。
夢でお互いに似た人間に会ったことがあるなんて、ドラマみたいな感覚を共有していたといっても。
鯉登さんにも直接夢の俺とどんな関係だったのか聞いてみたが、恥ずかしがって教えてはくれなった。
しかし、間違いなく俺と同じ顔や声の人間だったらしい。
異性なら、こんなイケメンに知って貰えていたら「運命」なんて舞い上がってしまうだろう。
「鯉登さんは、なんで俺なんか誘ってくれるんですか」
まだ教えてもらっていない、彼だけが知っている『何か』によるところなのだろうか。
「私はただ……月島に会いたいだけだ」
「それは鯉登さんの夢に出てきた俺が理由ですか?」
「いや。この私が、この月島に会いたいと思っているだけだ」
鯉登さんは男前で華やかさも持っている。間違いなく誰からもモテるはずだ。そんな彼にそう言ってもらえて、大人気ない優越感のようなものも感じる。俺も、鯉登さんといるのは楽しいし落ち着く。
「すごくありがたいんですけど……ほら、恋人とかいないんですか?鯉登さんほどの人なら」
真正面を向いて口もぞもぞさせていた鯉登さんが勢いよくこちらを見た。また顔が赤くなっている。
「……いつどんな時も心から離れない人間がいる。向こうは私のことをそうは思っていないようだがな」
「へぇ。鯉登さんでもそんな相手いるんですね。どんな人でも、鯉登さんが苦労しそうなことなんてなさそうですけど……」
鯉登さんを悩ませるその人はよほどの人なんだろう。どんな人か気になって考えを巡らせてみる。
「……」
胸の奥がざわざわした。鯉登さんが思いを寄せている相手を考えると。
「月島……」
「……あっ、すみません。ちょっとぼーっとしました」
鯉登さんが何か言いたげな顔で俺を見つめてくる。悲しそうな、怒っているような、焦ったさそうな。顔と顔の距離が少し縮まって心臓が跳ねる。こんな男前を間近で見るのは心臓に良くない!
しばらく無言で見つめあっていたが、鯉登さんは不意に目線を前に戻しコーヒーに口をつけた。しっかりと節立っていて長さのある指がカップにかかっているのを見ると、本当に同じ人間なのかと思ってしまうくらいには見惚れてしまう。芸術のようだ。
「月島はどうなんだ」
「むっ、俺ですか」
「私にだけ恋バナさせるのはずるい」
姿勢はそのまま横目でこちらを見てくる。なんとなく後ろめたくて、俺は手元のカップの水面に視線を落とした。
「俺は……特にそういうのはないですよ」
「そうなのか」
「あんまり長続きしないというか、深い仲になる前に自然と関係を解消してしまうんです」
これは事実だった。全くそういう付き合いがないわけではないが、いつも向こうが期待しているほどの想いで応えることができなかった。そんな自分が嫌で、贅沢にもそういう目で見られているようなことを察知した時にはすり抜けてきたのだ。世の中にはこんな俺なんかよりいい人が大勢いるのだから。俺のような人間は。
「俺のような人間は……」
「月島?」
「……なんか今日はぼんやりしてばかりですね俺。せっかく誘ってもらったのに」
真っ黒なコーヒーには俺ではないような俺の顔が映っていた。ぞっとして鯉登さんを見ると心配そうに見つめ、軽く俺の背中を撫でてくれていた。若さと力を感じる掌が、今の俺には熱いくらいだ。
「私は月島と一緒にいるだけで楽しい」
「あ、ありがとうございます」
「月島もそうか?」
「……はい、貴方といるとすごくほっとします」
鯉登さんは満足そうな笑みを浮かべた。