雨とアルコールとスリーポイント「出会ってくれて、ありがとうございます」
ハンクは目を瞬かせた。
11月5日、雨。ジミーのバーで一杯やって、やたらと早く帰れと急かされて渋々店を出たハンクは、扉の前でじっと待っていたコナーに驚きを隠せなかった。
髪も肌も服もしっとりと濡れている。
「何やってんだお前、入ってくればいいだろ」
コナーは困ったように笑った。手に傘を持っている癖に、さしてはいない。
「まさか、今更こんなステッカーの言うこと聞いたってわけじゃねえだろうな?」
ハンクは扉に貼ってあるアンドロイドお断りのステッカーを指さした。貼ってある、というのは少し語弊がある。剥がそうとしたが、長年の強固になった粘着力で上手く剥がれず、半分残ってそのままになったステッカーだ。
つまり、あってないようなもの。ましてやコナーは初めからこんなステッカーガン無視していたというのに。
「今日は、ギアーズの試合がありますから」
「・・・あぁ」
確かにある。あるが、だからと言ってコナーが入店しない理由にはならない。
「スリーポイントショットは見れましたか?」
ジミーたちが早く帰れと急かす中を、今いいところだからもう少し見せろ、と言い張ってさっきまで見ていた試合だ。
出会ってくれて、スリーポイント・・・、あぁ、クソ。なんでこいつはこんなにかわいいんだ。
ハンクは雨に濡れてすっかり冷たくなった身体を抱き寄せた。店の前だとか、そんなのは気にもならなかった。そういえば、一年前も雨が降っていた。
「ハンク!濡れてしまいます!」
「俺を濡らしたくなきゃ、お前が濡れない努力をするんだな」
簡単なはずの努力を、このアンドロイドは容易く放棄する。自分は風邪をひかないとか、濡れても平気だとか、それなら、お前が濡れれば俺も濡れるんだぞと覚えさせるしかない。
こんな日に、雨ごときのせいで愛しい相棒を抱きしめられないなんて、そんな馬鹿な話はない。
「俺だって、」
「え?」
耳元でささやかれた言葉に、今度はコナーが目を瞬かせる番だった。
「俺だってな、今日が記念日だってことぐらい、覚えてんだよ」
「お、覚えて、ましたか・・・」
てっきり、と蚊の鳴くような声でコナーが呟き、俯く。羞恥を感知したセンサーが皮膚に血色を表現して、赤面する。
本当は、待っていたのだ。コナーがこの日を覚えていないはずがない。あの日のように、お酒はそのぐらいにして一緒に来てください、なんて言いながらコナーが迎えに来るのを、ハンクは待っていた。
ただ恋人は、思っていたよりちょっと健気で、ちょっと変なやつだっただけだ。ハンクに早く帰れと急かしていたジミーは、この大きなガラス窓の向こうに暗闇で光るLEDが見えていたのかもしれない。
「あの時は、お邪魔してしまいましたから」
お前が来るまで見てたんだがな。あんな皮肉を真に受けて、ずっと気にして、それで今日この日に試合があると知って邪魔しないでいようと決めたのだろう。かわいい馬鹿だ。
「そんなもんより、お前が傍にいるほうがよっぽど嬉しいだろ」
ぱち、とコナーのLEDが黄色く変わる。ほんの一瞬でも、その変化をハンクは見逃さなかった。
当たり前だろ、馬鹿野郎。ふたりが出会った記念日に、遠慮して距離置かれるなんて、そんなの寂しいに決まってんだろ。とんだすれ違い喰らわせやがって。
「ほら、さっさと帰るぞ」
コナーの背中をぽん、と叩いて促すと、コナーは慌てて持参した傘を開いた。これからの季節、どんどん寒くなって、デトロイトの長い冬が来る。あの時のように。
「今から帰れば、試合後のインタビューには間に合います」
「あぁ、お前と乾杯もしない記念日なんて、あり得ないね」
ハンクはコナーから傘を持つ役を引き受けて、冷たくなった腰を抱き寄せた。懐に忍ばせた指輪を、いつ渡そうかと考えながら。