学校の帰り道には、青々と苔むした石段の先に色あせた朱色の鳥居があった。更にその奥へ進むと廃れた神社が鎮座しているらしい。断言できないのは、自分が一度もそこに足を運んだことがないからだ。そもそも、覆うようにうっそうと茂った木々が鳥居の向こうを隠し、先を見えなくしてしまっている。ただでさえここは陽があまり当たらず薄暗いのに、さらにその奥は真っ暗なのに付け加えて異様な空気で覆われているのだから好き好んで近づく人はいないだろう。
「……あれ」
いつもの帰り道。
いつもと同じ道を同じように帰っている途中の出来事だった。あの石段のある場所へ差し掛かろうとした時、黒の布地に白のラインの入ったライダージャケットを着ている金髪の男が、石段をゆっくりと上がっていく姿を見かけた。あんな辺鄙な所へ行く人を滅多に見ない分、そこに人がいるというだけで珍しい。それに後ろ姿だけでも分かる美しい外国人なのだから、目を引くのは尚更だった。
(キレイな人だな)
けれど、それだけだ。誰がどこに行こうと本人の勝手で自分には関係のないこと。そういう人がこういう所に立ち寄るんだなと思う程度なのだ。だからそれ以上は特に気にも留めずに、立香はそのまま立ち去っていった。
「……琥珀、か」
───“それ”が立ち去る立香の後ろ姿を見つめていたのも気づかずに。
次の日の夕刻。いつもよりちょっとだけ帰宅が遅くなった帰り道。今日もまた、通学路であるあの石段の前を通り掛かる。
変わらない光景。変わらない空気。変わらない佇まい。今日もあの苔むした石段も変わらない──はずだった。
「あっ」
またあの人だ。黒のライダージャケットに、キラキラと目立つ金髪の人。今日もまたあの石段を登っていく姿を見つけた。ゆっくりと。一段一段踏み締めるように、ゆっくりと登っていく。時折、辺りの風景を眺めるように空を仰いでいた。
(やっぱり何かあるのかな)
あの石段の先に。
噂では寂れた神社があるとは聞いたことがあるが、真相は謎のまま。それかその神社があると仮定して、意外にもそれの管理者だったりするのだろうか。
「……知りたいか?」
突如、石段を登っていた金髪の男が歩みを止め問を投げかけてきた。視線は真っ直ぐ立香の方を向いており、彼女に対しての問だと理解した。
「あの……」
「貴様はこの先に何があるか、知りたくはないかと聞いている」
コツコツと靴を鳴らして、男が石段を降りてくる。男の一方的な問いかけだったが、立香はぐらりと意思が揺らいだ。何があるか分からない未知の領域に踏み込む恐怖と探究心が心中でせめぎ合う。
「知りたくば、我の手を取ると良い」
それは悪魔の囁きにも聞こえた。あの異様な雰囲気からして危険だと分かるのに、どうしても差し出される手が魅力的に見えた。
「さあ──」
男の口元が三日月のようにニイ…と弧を描いて歪む。鈍く光りそれでいて強烈な赤の瞳が立香を射抜いた。
そのまま我が手を取れ。
愚か者め、自ら危機に身を晒すのか。
恐れるな。貴様を脅かすものは何もない。
その手を下げよ、奴の声に耳を貸すな。
自分の声でない、別の“同じ音色の声”が頭の中で反響し合う。辺りを見回しても目の前の金髪の男以外は誰も見当たらず、一体誰の声なんだと疑問が浮かぶのだが。
「どうした、怖気づいたか?」
頭の中で響く声は、この男の声と同じだった。
何故か男に向けて伸ばす手を止められない。何かに操られるようにフラフラと足が勝手に進んでいこうとする。立香はそのままこちらに伸ばされる男の手を取ろうと、大きく一歩踏み出そうとしたその時──
「ちょっと、そこのあなた!!」
背後からの叫ぶような声に、立香はビクッ!!と大きく肩を竦めた。思わずバッと勢いよく振り返れば、四十代ほどの見知らぬ女性が彼女の腕を掴み、石段の前を離れるようにグイグイと引っ張ってくる。
「え…?あ、あの…?」
「一体、何やってるの?!そんな所で危ないわよ!!」
「危ない…?」
目の前は石段があるはず。確かに登っている最中で足を滑らせれば危険だが、まだ一段も登ってはいないし転けても膝を擦りむくぐらいで済むだろうに。
「よく見なさい!その道は陥没してるから入らないように柵がしてあるでしょう?!」
柵?道が陥没?
何を言っているんだと訝しげに石段のあった方へ視線を向けたが、立香は今の目の前の光景にヒュッと息を呑んだ。
先程まで石段のあった道は跡形もなく、頼りない黄色の柵の向こうは底の見えない大きな穴がポッカリと開いていたのだ。石段の周りを覆うような鬱蒼と茂る木々もなく、色褪せた鳥居もない。そしてすぐ目の前にいた男の姿は──忽然と消えていた。
「全く…お姉さん、次からは気をつけなさいね」
言って、呆れたように溜息を吐きながらその女性は立ち去って行く。立香はその後ろ姿を眺めなが、、動揺を隠せないまま思わず喉をゴクリと嚥下させた。
(嘘…でしょ…?確かに──)
目の前に石段があったはず。金髪の男の人が目の前にいたはずなのだ。だが目を擦って再度見直しても、真っ黒な大穴がポッカリと口を開けるように広がっているだけだった。
『フフ──実に惜しい』
どこかで声がする。
凛としていて芯のある力強い、だが異性を誘うような艶かしい淫靡さが見え隠れするそんな声が。
『此度は邪魔が入ったが──次はないぞ』