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    鬼ムチコ

    @oni_muchiko

    弓ギルぐだ♀とキャスギルぐだ♀の小説を書いてます。

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    鬼ムチコ

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    次に出す予定の本だったけど、これ以上の進展が書けないのでここに供養。
    トリップもののお話。千里眼に偶然写ったぐだちゃんを、気まぐれで自分の世界に引きずり込む王様。所有欲を満たす行動だったけれど、次第にぐだちゃんという存在に惹かれていく王様は……という感じなお話。

    #キャスギルぐだ♀

    ・序
     しばらく発動していなかった千里眼が、断片的に映像を映し出す。灰色の空に、窮屈で息苦しい街並み。我が国とは違い、何とも生きづらそうな世界だと傍観していると、映像は突如ぶつりと消えてしまう。そして映写機のようにまた別の映像を映し出す。
    「あれは……」
     一人の少女が歩いていた。見目は質素だがどこか上質な布地に身を包み、四角い物を腕に下げてカサカサを音を立てる見たこともないような白い物を手に持って、ただひたすらに暗闇の中を歩く。だが空は闇に包まれているのに、辺りが妙に明るいのは本当に今が夜なのかと疑うほどだ。
    「チッ、ノイズがひどいな」
     久方ぶりの発動の影響だろうか、ホワイトノイズが映している映像の邪魔をし、歩いていた少女の姿を追うことができない。あれは誰なのか。なぜ己の千里眼はこの少女を映し出すのか。理由は全くと言って見当がつかないが、その少女には一際目立つものがあった。
     一瞬だけ見えた、星の瞬きを閉じ込めたような琥珀色の瞳。そして麦畑を照らす夕焼けのような鮮やかな髪。あの少女はこの国の民達にはない別の美しさがあった。我が国の民達も同様、この世の財は全て我のもの。故に全てを手にしてきたはずなのに、あれだけは見たこともなく手にしたこともないもの。己が手にないものならば、当然それは我が手中に収めるべきものであって、どんな手を使っても手に入れるべきなのだが──
    「……異次元となると、少々手が折れるか」
     ここから少しだけ離れた場所ならば、宝物庫にある宝具と己の魔力を用いれば何とでもなるが異次元となると話は別だ。男は小さく舌打ちをし、千里眼の発動を維持させる。そして静かに少女の姿を静かに追い続けた。機会が訪れるのを、ただひたすら待ちながら──



    1.
     朝起きて仕事へ行き、上司に怒鳴られ頭を下げて。時折お褒めの言葉を頂いて、次も頑張ろうと気負い立つ。搾りカスのようにスカスカになってしまった気力を奮い立たせ、足取り重く自宅へ帰宅する。そして一人で食べるには味気ない食事を胃に詰め込み、お気に入りの入浴剤でちょっぴり体を回復させてふかふかの布団へ潜り込む。
     これがいつものルーティーンだった。それが当たり前のように続くと思っていたから、突然こんなことになろうとは思いもしなかったのだ。
    「すっかり遅くなっちゃった、早く帰ろう」
     彼女の名は藤丸立香。ごく普通のどこにでもいる会社員だ。今日は残業が長引き、すでに時計は二十時を回っていた。駅を出て大通りを通り過ぎてから、住宅街の少し奥に入り込んだ所にある我が家へ向けて立香は急ぎ足で向かっていた。
     空はすっかり闇のカーテンで覆われ、金平糖のような小さな星々が点々と輝いている。彼女は肌寒さを感じさせるひんやりとした空気にブルリと身を縮こませて、マフラーを巻き直した。
    「……あ、カレーの匂い」
     一般的な夕飯時間を過ぎても、それぞれの家からは様々な家庭の香りが漂ってくる。子供の頃から変わらない大好きなカレーや懐かしさを感じさせる煮物の匂いだとか。美味しそうな香りに空腹を刺激され、そういえば久しく食べてなかったなと思いながら二股に別れている帰路に差し掛かった。
     一つは外灯も明々と点いている見晴らしのいい一本道、そしてもう一つはチカチカと外灯が点滅し、辺りは殆ど闇に包まれ不気味さを漂わせる短めのトンネル。奥の方まで光は届かず、すぐそこにはゴミが転がっているだけなのに、別のモノと勘違いをしそうだ。
    「早く帰りたいしな…近道、しようかな」
     ライトを照らせば、多少は足元も見えるだろうか。立香は取り出したスマホのライトを起動させ地面を照らしてみると、それなりに足元は見えるようだった。彼女はホッと安堵の息を吐いて歩みを進めていく。
     相変わらず辺りは静かで、微かに聞こえる家庭音と砂利の音しか聞こえない。こういう時にだけ背中がむずむずするような、背後の気配にやけに敏感になってしまうというもの。後ろには何もない。何もないんだ、これは気のせいなんだと一蹴して──



    『 見 つ け た ぞ 』



     妙に澄んだ声だった。水の波紋のようにスッと広がり、音もなく消えていくそんな声。だがそれと同時に悪寒がゾワリと背中を駆け抜ける。

     誰もいないはずの場所に、人の声。
     聞き間違えるはずもない。あれは確かに人の声だった。

    「っ?!」
     耳を打つほどの衝撃に、立香はかんしゃく玉を噛み砕いたかの如く地面を蹴った。生理的に出てくる涙を抑え、恐怖に戦慄く体に鞭を打ち、嘘だ、嘘だと自分に言い聞かせてただひたすらに駆けていく。短いトンネルのはずなのに、出口までやけに遠く感じた。いくら駆けても出口は見えず、光は遠のくばかり。だが彼女はそれでも諦めずに、ただひたすらに足を動かした。そしてトンネルの出口に差し掛かろうとしたその時だった。
    「やった…!やっと、出、口……」
     そこを抜ければ右側には目印の小さな公園が、左側には彼女の住むアパートが見えてくるはずだった。
     ──はずだったのだ。
    「……え?」
     そこは突き刺すような鋭い陽光が降りそそぎ、茶色く乾いた大地を照らしていた。そしてマフラーなど取っ払ってしまえと言わんばかりに、むわりとした熱気が彼女を容赦なく襲う。だが遠目に見えるうっそうと茂る木々達は柔らかな風に揺らぎ、青々とした枝や葉を煌めかせていた。
    「どこ…ここ」
     働きすぎて、とうとう幻覚まで見えてきてしまったのだろうか。大きく瞬きを繰り返し瞼を擦って再度見遣っても、見馴れた建物達は見当たらない。一歩踏み出すと、ジャリッと砂と石の擦れる音が響く。足裏にアスファルトの硬い感触ではなく、僅かな土の柔らかさを感じる。
    「私の…家、は…?」
     何処だと問いかけても返ってくるはずもなく、辺りは静寂が募るばかり。動物はおろか、ここには人の子さえも見当たらないのだ。
    「何で…?」
     立香は混乱を隠せないまま、終わりの見えない茶色の道をたどたどしく進んでいく。
     ああ、なんでこんな目に合うんだろう。今日は部長に理不尽な怒られ方しちゃったけど、それでも頑張ったのにな。
     後輩ちゃんの分の仕事も押し付けられちゃったけど、何とか終わらせてわたし頑張った!って思ってたんだけどな。

     ───あれ、何だが目の前が見えないや。


     ふらりとバランスを崩した体は、どさりと地面に倒れ砂埃が舞い上がる。焦点の合わない濡れた瞳は光が徐々に失われていき、それでも容赦なく降り注ぐ熱線は浅い呼吸を繰り返す彼女の体力を蝕んでいく。そしてもうもうと舞い上がる砂埃は、立香の体を隠すように徐々に降り積もっていったのだった。



    ◆ ◆ ◆



     大粒の宝石があしらわれた金の天蓋から、白いヴェールのようなカーテンに覆われた寝台がひとつ。キングサイズほどあるそれは、天蓋の豪勢さにも劣らず十分な広さと装飾があしらわれている。隅の方には繊細な刺繍のされたクッションが無造作に転がっているが、陽日に照らされきらきらと眩いている。そして雪のような真っ白なシーツの上には、一人の少女が横たわっていた。
     鋭い刃物のような日差しは遮断され、透き通る大きな布がひらひらと舞うような柔らかな陽日が女の体を淡く照らす。時折、快い涼風が体を撫でていき女の頬がほんのりと桃色に色づき始めた。
    「ん……」
     遠くでポトリ、ポトリ、と鈴の音のような水の雫の音が耳を撫ぜる。その音に反応したのか女の意識は徐々に覚醒していき、ゆっくりと瞼を開いていく。
    (……涼しい)
     少し前まで感じていた痛みとは大違いだ。もぞりと手を探ってみれば、すべすべとした感触が残る。ここはどこだろう。もしかして、天国なんじゃなかろうか。
    (死んじゃったのかな…私……)
     突然のことで、お別れを言う暇もなかった。せめて友人や家族に一言でも伝えられたら良かったのに。
     だが、死んでしまったのなら、もうしょうがないじゃないか。立香は考えるのをやめてそのままぼうっと天井を見遣る。光に反射した天蓋の宝石達がキラキラと輝いて、きれいだなと単調な感想しか思い浮かばない。
    『目が覚めたか』
    「ひっ?!」
     不意に耳に入ったバリトンボイスに、立香はビクリと肩を大きく竦ませた。バッと音を立てて起き上がり声のする方を向けば、ベッドすぐ横の椅子に見知らぬ人物が優雅に腰掛けていた。
    「はわ……」
     最初に感じたのは、とても眩い人。まるで神が創りたもうた造形とでも言うべきだろうか。緩やかな長布に身を纏い、完璧に整った肉体美と調和して優雅な姿を醸し出している。そして金糸のような滑らかなブロンド髪がさらりとなびき、レッドアゲートの瞳がこちらをやわらかく見つめていた。
    『クク、そうも熱い視線を寄こすとは、この我に見惚れたか?まあ無理もなかろう』
    「へっ?え、えっと……」
     男は口角を上げ楽しそうにクツクツと喉を鳴らす。だが立香はなぜ目の前の男が笑っているのか、理解できずにいた。そんな彼女に気づいたのか、男はおとがいを引いて考えるような仕草をする。
    『ああ、これでは分からぬか。しばし待て』
     言って、男が手を掲げると背後から金色の波紋がボウッと浮かび上がる。何だあれはと驚嘆していると、中央部分から金色の杖が顔を出しそのままずるりと引き抜かれる。そして杖の先端がコツンと立香の頭を打った。
    「どうだ、これで我の言葉が分かるであろう」
    「は…はい、ありがとう…ございます…?」
    「うむ」
     男はニッと笑みを浮かべ、流石は我だと言わんばかりに満足そうに頷いている。先程の行為がどういう仕組みかは全く理解できないが、あっという間に言語が理解できるようになるなんてまるで魔法のようだ。あの金色の波紋は何なのか、どうやってそれを出したのか。そしてそこから飛び出した杖のようなものは何なのか。疑問が次々とシャボン玉のように浮かんでいった。
     しかしこの男、物言いが随分と古めかしいというかその威厳たる風格を直に肌で感じ、王様みたいな人と話しているよう。身に着けている衣類というか、長布?は細やかな刺繍が施されているし、高級そうなものではなかろうか。
    (……もしかして)
     王様みたい、ではなく本当に彼が王様なのだとしたら。そう確信めいたものを感じた立香は、ドッと冷や汗が溢れるのを感じた。目の前の男をじっと見つめているのがいたたまれなくて、思わず視線を下へ落とした。
    「不敬であるぞ」
     だがそんな彼女の行動が気にくわなかったのか、ワントーン下がった重苦しい威圧の声が降ってくると同時に、しなやかな指先が立香のおとがいを捉えグッと上向かせられた。
    「我の許可なしに目を背けることは赦さぬ。良いな?」
     有無を言わさない絶対的な口上に、突き刺さる眼光。立香はそのただならぬオーラにゴクリと固唾を呑む。赤べこのようにコクコクと頷けば、返ってきたのはそれで良いの言わんばかりの笑みだった。
    (やっぱり王様なんだ)
     触らぬ神に祟りなし。それならば変に機嫌を損ねないように、失礼なことを言わないようにしなければ。上司がいると思って接すれば大丈夫だろうか。そう考えあぐねていると、男の指先が彼女のおとがいをするりとひと撫でして離れていく。
    「あの……」
     ふと、唐突にポンと浮かんだ素朴な疑問。立香は尋ねていいものかと伺うように声を漏らす。
    「発言を赦す。申せ」
     だが男は咎めることなく、立香の言葉を待った。
    「もしかして、あそこから私を助けてくださったんでしょうか」
    「あんなものを見ては夢見が悪くなるからな。ただの気まぐれよ」
     男はハン、と鼻で笑い肩をすくめる。だが気まぐれと言う割には、砂で汚れたはずの衣類は取っ払われシルクのような肌触りの良い服を身にまとい、髪や体からはほのかにフルーツのような爽やかな香油の香りがする。ちょっぴり荒れていた肌まで手入れされていたのだから、まさにいたれりつくせりだったのだ。
    「まあ良い。誰かおらぬか!」
     言って、男が声を上げると扉から音もなく一人の女性が現れる。頭部には白い布を被り、草原のような緑の長布を器用に巻き付けている服を身に纏っている。黒のレースのようなフェイスベールで口元を隠したその姿は、どこか彼女の隠れた色気が見え隠れしているようだ。そんな女性が今、どこから出てきたんだと驚嘆している立香を他所に、二人の話は続いている。
    「王よ、お呼びでしょうか」
    「シドゥリ、我は職務に戻る故、此奴のことは任せた」
    「承知致しました」
     そう言うなり、男はその場から立ち上がりさっさとその場を後にしてしまう。お仕事中だったんだろうかとそのまま見遣っていると、シドゥリと呼ばれた女性が入れ替わりに立香の前まで静々と歩み寄ってくる。にっこりと浮かべる笑みはまるで花のようで、女の自分から見ても美しかった。
    「藤丸立香様ですね?私、シドゥリと申します。王は珍しいものを見つけたと張り切っていらっしゃいましたが……」
    「あ、いえ。多分…助けてもらったと思います…行き倒れてたので……」
     攫われたのだろうと言わんばかりのシドゥリの哀れみの視線に、立香は咄嗟に否定の言葉が飛び出していた。気まぐれとは言っていたけれど、攫うだけならこんなに見綺麗にはしないだろうと思う。そんな立香の様子に、シドゥリはどことなく状況を察する。きっとまた王の気まぐれで彼女はここに連れてこられてしまったのだと。だが敢えて、そのことは口に出さないことにした。
    「それではせっかく我が国へお越し頂いたので、ご案内をと思ったのですが……」
    「いえ、こちらこそ──」
     シドゥリの言葉に、立香はハッと閃いた。こういう時にお人好しの血が騒ぎ出し、お節介だとは分かっていても、友人に呆れられようとも手を出さずにはいられない。だってそれは自分がしたいと思ったことなのだから。
    「あ、あの!助けてもらった恩もあるので、私に何かできることはないでしょうか?」
    「ですが……」
    「働かざる者食うべからずっていいますし、無駄飯食いは嫌なので!」
    「お心遣い感謝致します。ですが、まずは体調を万全になさってからにしましょう」
     言って、今にも飛び出しそうになる立香を嗜めるように、シドゥリの手によって再び寝台の上へ戻されてしまう。布団代わりの上等な布を首元までかけられ、トン、トン、と鼓動のような優しいリズムで叩かれて。まるで子をあやすような動作に、うとうとと眠気が襲ってくるのも時間の問題だった。
    「明朝にお迎えに上がります。それまでゆっくりとお休みくださいね」
    「は、い……」
     シドゥリの優しい笑顔は、随分と会っていない母親を思い出す。会いたいなと懇願しても、もう二度と会えないんだという現実が突き刺さる。立香は湧き上がる悲嘆をひた隠し、ぎゅっと瞳を閉じたのだった。


    「羊の毛刈り…ですか?」
     次の日、用意してもらった朝食を食べながらシドゥリから放たれた言葉に首を傾げる。羊というと、やはりあのモコモコの毛の動物だろうか。自分にできることはないかと言ったが、立香は家畜のお世話に関わる仕事を言い渡されるとは思ってもいなかった。アカルと呼ばれるパンをもぐもぐと噛みしめながら、続きの言葉を待つ。
    「はい。『働かざる者食うべからず』と良いお言葉を聞きましたので、お手伝いをしていただこうと思いまして。体調の方はいかがでしょうか?」
    「あ、それなら大丈夫です!」
     元気いっぱいと言わんばかりにむんっと力拳を作ると、シドゥリの驚嘆した表情のあとにあの眩しいほどの笑顔が返ってくる。
    「では朝食を済ませたあとに、現地へ向かいましょう」
    「はい!」
     某牧場のように広大な草原に、たくさんの羊達がいるんだろうか。体験などであるような感じなのだろうか。期待に胸をふくらませながら、立香は朝食を済ませて最後に残った果実水を流し込んだ。
    「わあ…すっごく良い天気」
     昨日に感じた刺すようなものではなく、穏やかな日差しが地上を照らしている。心地良さを全身で感じながら案内された場所は、羊達を収納するであろう牧舎に青々とした草が茂る膨大な草原、そしてそれを覆い尽くさんばかりの真っ白な絨毯を敷いたようなたくさんの羊達。メエメエとちょっとだけ頼りない鳴き声をあげながら、もしゃもしゃと美味しそうに草を食んでいた。
    「君が仕事を手伝ってくれる人かい?」
    「あ、はい!藤丸立香といいます!」
     目の前の男性はちょっと小麦色に焼けた健康的な肌色に、不思議な赤い模様がぐるりと二の腕を回るように描かれている。そう言えばここの人たちはみんな、同じような模様があるんだな──そう思いながら元気よく頭を下げる。
    「助かるよ。人手が足りなくて、猫の手も借りたいくらいだったんだ」
     言って、眩しいほどの笑顔をニカッと返された。それなりのおじさまの年齢なのに、何とも爽やかなイケメンだろうか。日本にいた頃は有名人でしか見たことがないのにもかかわらず、この街はどこかしこを見ても生命力溢れる人達ばかりだ。ここへ来るまでの道程でそれほどだったのだから、街全体で見ると見方がまた変わるのだろう。
    (みんな生き生きしてる…凄いなぁ)
     それに比べて自分ときたら、仕事へ行って業務をこなし帰宅するだけの毎日。やりがいも何もない、ただ淡々とお金を稼ぐためだけに働きに出る。それだけだった。現代に比べて不便な所はあるけれど、ここで生活をしていれば自分もこんな風に毎日が楽しいと思えるようになるだろうか。このおじさまのように、心の底から笑える日が来るだろうか。
    「めえー」
     他の羊達より少しだけ体の小さい、一匹の羊が立香の腰元を頭でコツンと小突く。まるで心配すんなと言いたげに、頭を何度も擦り付けてぴったりと体を寄せてきた。
    「……ふふ、可愛いねキミ」
     よしよしと頭を撫でてやると、子羊は気持ちよさそうに目を細めて小さく声を上げたのだった。



     ◆ ◆ ◆



     日が傾き始め、夜空が顔を出す頃。羊の毛刈りを終えた立香は、おじさまと別れプルプル震える体を何とか支えつつ、ジグラットへ戻って来たところだった。
    (きっ…筋肉痛…が…!)
     ひどい。立っているのもままならないほど、筋肉痛がひどいのだ。想像していたよりよほど重労働だった羊の毛刈り。これを毎日のように繰り返している人達は、なんてパワフルなんだろう。おじさまから手渡された手の平サイズの石板を握りしめながら、立香は玉座の前の出入り口で大きく息を吐いた。
    「君は…リツカさんだったかな。大丈夫かい?」
    「は、はい…何とか」
     出入り口の横で見張りをしていた長い槍を持つ門兵が、苦笑しながら倒れそうになる立香に手を貸してくれた。
    「おや、その石板は依頼の仕事のやつだね?それなら、ギルガメッシュ王にそれをお渡しして報告は忘れずにね」
    「報告、ですか?」
    「ああ。依頼の仕事はそれが決まりだよ」
    「なるほど」
     ネットワーク環境がない以上、この石板と口頭での通達が主のようだ。自分のいた世界では当たり前のように使用していたものだから、何だか妙な違和感を感じた。
     門兵にお礼を言って、出入り口からジグラットの中へと入り辺りを見回した。吹き抜けよりも天井の高いこの建物は風通しが良く、外よりも断然涼しい。コンクリートでない自然の温かみのある彩色は目に優しいものだった。そして目の前にある金色の玉座以外はそれといったものがなく、ここは謁見の間といった所だろう。玉座に座るギルガメッシュは、もう陽も落ちかけているというのに大きく声を張り上げて指示を飛ばしている。よく通る声だなと思いつつ、立香はよろよろと歩を進めていった。
    「む?何だその体たらくは。赤子のようにヨロヨロと情けない…シャンとせぬか!」
    「は、はひ……」
     立香の姿が視界に入るなり、ギルガメッシュは大きな溜息を吐いた。
    「……まあ良い。その貧弱な体付きで、重労働は酷というもの」
     目が合って早々と喝を入れられたが、不思議と不快感はない。前の職場の上司は目が合うなり理不尽な罵声が飛んできたものだが、ギルガメッシュにはそれがなかったのだ。
    「それで?ここには何用で赴いたのだ」
    「あ、はい。依頼のお仕事の報告に来ました」
    「ふむ」
     ひとつ頷いたギルガメッシュの合図で、そばにいたシドゥリが立香の元へ歩み寄ってくる。そのまま依頼主のおじさまから手渡された石板を手渡すと、どうやら正解だったらしい。小さな笑顔と会釈が返されて、静々とギルガメッシュの元へと戻っていった。
    「羊の毛刈りの依頼か。貴様にとっては初めての経験であろう?どうであった?」
     石版をちらりと目をやっただけで、何が書かれているのか即座に理解したらしい。いつものことでつまらないと言いたげに、玉座にだらりと背を預けた。
    「そうですね…あれほどの膨大な草原も羊達を見るのも初めてでした。毛刈りはもちろん大変だったんですが、毛刈りの最中にとある羊の毛に不思議な模様があるのを見つけまして」
    「……む?」
    「わざとそういう模様にしてるのかな?って思って聞いてみたんですけど、どうも身に覚えがないらしくて」
    「おい、待て」
    「おまけにその部分が急にピカーッ!て光りだして、羊もなんじゃこりゃ!みたいに驚いてましたね。ああいうのは魔法陣?っていうか分かりませんけど──」
    「待て待て待て!何だそれは!」
    「えっ?」
     何を言っているんだろう、この王様。今日あった出来事をありのままに話しただけだが、いつの間にか食い入るように目を見開いて玉座から立ち上がっているではないか。
    「……王よ」
    「むう」
     コホン、と咳払いをひとつ。シドゥリがたしなめるように静かに声を発すると、ギルガメッシュは渋々と言わんばかりに玉座に腰を下ろす。だが話の続きが気になるのか、体の方はそわそわと忙しなく動いていた。
    「うむ、そうさな…この石版に、その不思議模様とやらをもそっと描いてみよ」
     言って、そわそわしたままポンッと投げて寄越されたのは男性の手の平ほどの長さの茎と、のっぺりとして何も書かれていないタブレットサイズの平らに広げられた粘土だった。まだ板のように固まっておらず、ほんのりと柔らかい。と言うより、目の前に金色の波紋のようなものが浮かんでいて、そこから石版が飛び出したような気もしたがきっと気のせいだろう。きっと。
    「えっと、これに描けってことですか?」
    「応とも。細部まで詳しくな」
     この国で一番偉いはずの王様だというのに、目をキラキラさせて期待に満ち溢れている様はまるで子供のよう。失礼に当たるかもしれないけれど、それが何だかおかしくて。こんな上司の下だったら着いていきたいなと思うのは時間の問題だった。
    「……王様。前、失礼してもよろしいでしょうか?」
     言って、取り出したるはマイスマホ。相手からにしてはただの一枚の薄い板だろうがそれは違う。文明の利器がたっぷり詰め込まれた、元の世界ではもう必需品そのもの。絵心がないので、あの不思議な羊を写真に収めてきたのは正解であったようだ。
    「何だ、我は面白羊の模様を描けと申したはずだが?」
    「はい。ですから、これに先程お話した羊の姿を記録しているんです」
    「その小さな箱のようなものにか?」
     案の定、何言ってんだコイツみたいな訝しげな表情が返された。まあ無理もないだろう、自分がこの国の民なら同じような返しをするはずだから。
    「はい!」
     だから元気一杯に返答を返す。だって証拠歴然なのだから。
    「よし赦す!近う寄れ、疾く見せよ!!」
     Oh…何と言う切り替えの速さ…。
     眉間にシワを寄せてまでピリピリと放っていた威厳はどこへ行ったのやら。早く早くと急かす賢王の姿に周りにいる臣下の人達も驚嘆の眼差しを向けていた。そんな突き刺さるような眼差しを背中に受けながら、立香はちょちょいとスマホを操作して静々と賢王の前へ歩み寄る。そのまま画面表示をオンにしたまま差し出そうとするが、それよりも早く賢王の手が待ったをかけた。
    「業腹だが、我には貴様の持つ「それ」が何かが理解できぬ。故に貴様がそれを操作し、此度の出来事を報告せよ」
     言って、賢王がちょいちょいと指差すのは玉座の隣。そんなお友達感覚でそこに座っていいものかと冷や汗ものなのだけれど。助け舟を求めるようにシドゥリに視線を投げてみても、ニッコリと笑みを返されただけだった。
    「この我が赦すと言っておるのだ、疾くせよ」
    「は、はい!」
     そんな立香を他所に賢王本人はそのようなものは些事であると言わんばかりに、たしたしと己の隣を叩いている。そばにいるシドゥリや他の臣下達からの視線はあるが、王自らの許しを得られているので咎める者はいないだろう。立香は恐る恐ると歩み寄り、どこかぎこちなく玉座の隣に腰掛けた。座り心地はさすがに硬くてよろしくはない。
    「そら、さっさと操作をせんか」
    「ええと……」
     いつものように指紋認証をしてロックを解除。自分が扱いやすいようにカスタマイズをしているので、たくさんあるアイコンの中から迷いなく目的のアイコンをタップして、目的の羊が写った画像を表示させた。一定時間が経つと画面が消えてきまうので画面の随時表示も忘れずに。
    「王様、この羊です」
    「どれ…ほほう、これほどまでに鮮明に写って──フハハハ!なんだコレは!」
    「虹色に発光するなんて、ゲーミングシープもいいところですよ。しかも眩しすぎて写すのに苦労しました」
    「げーみんぐ…?やめよやめよ!我の腹筋を崩壊させるつもりか!」
     ジグラット内に王の高笑いがキンキンと響く。我が王が一体何を見て腹を抱えるほどに笑っているのか、辺りにいる人達も気になり始めそわそわとしだしたのだ。だが王の許可なく覗きこむわけにもいかず、黙って見ているしかない。その間にも立香と賢王の楽しそうな会話は続いていた。
    「王様。動画もあるんですが、ご覧になります?」
    「どうが、とな?」
    「動くんです」
    「よし見せよ!どれだ?!む、これだな?!」
     ほんの少しの操作を見ただけで、この王はスマホの扱い方を理解したらしい。どこか辿々しい手つきだったけれど、次の項目へツイッとスライドさせてしまった。
    「これは──クッ…!ハハハハハハ!!こやつめ、悪趣味なほどにギラギラと輝いておるではないか!」
    「そう言わないであげてください王様…この羊ちゃんも、悲しそうに鳴いていたんですから」
     眩い光に包まれながら、画面上の羊はめぇ~…とか細く鳴いている。隣に写っている羊の飼い主のおじさまもただ宥めるしかできなかったらしく、よしよしとただひたすら頭を撫でてやっていた。そしてキリのいい所で動画は終了する。
    「ふう…笑いすぎて涙が止まらぬわ……おいシドゥリ、お前も見てみよ」
     言って、賢王は涙を拭い手招きをして少し離れていたシドゥリを呼ぶと、彼女は一礼のあとに静々と賢王の隣に付き、スマホの画面を覗き込む。そのタイミングで動画を流すと驚いた表情を見せた。
    「まあ…これは」
     上品にクスクスと笑いをこぼすシドゥリに、そうだろうそうだろうと何故か賢王が得意げだ。この動画を撮影してきたのは私なんですが?!と思わずツッコミたくなる所だったが、賢王もシドゥリも楽しそうに見えたのでまあ良しということにしておこう。
    「まさかこれほどとは。実に気に入った」
    「はあ、ありがとうございます…?」
     気に入っていただけたのは実に何より。賢王も随分とご機嫌さんで、何故かよしよしと立香の頭を撫でてくる始末。自身は結構いい年齢のはずでは…?と己でも首を傾げてしまうほどなのだが、何故か嫌悪感は感じない。親と子、はたまた恋人同士ともまた違う不思議な感覚を感じていた。
     それから数刻。ゲーミングシープは大盛況となり、誰も彼もが立香の携帯を覗き込んでは笑顔の大合唱。だが当の昔に日も暮れて、いつまでも収集のつかない玉座前は賢王が一喝してようやくお開きとなった。面白いものが見れただの、がやがやと賑やかに玉座前を去っていく面々を見送りながら、最後には玉座の前は賢王とシドゥリ、そして立香だけが残る。
    「む、もう夜が更ける頃合いか。今宵はここで切り上げだ」
    「かしこまりました。床の準備はできております」
    「うむ。お前達も休むが良い、ご苦労だった」
     王の労いの言葉は、もしかして立香にも投げられたのだろうか。初めての毛刈りだったし、もしそうだとしたらちょっぴり嬉しい。
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    Replies from the creator

    鬼ムチコ

    MOURNING次に出す予定の本だったけど、これ以上の進展が書けないのでここに供養。
    トリップもののお話。千里眼に偶然写ったぐだちゃんを、気まぐれで自分の世界に引きずり込む王様。所有欲を満たす行動だったけれど、次第にぐだちゃんという存在に惹かれていく王様は……という感じなお話。
    ・序
     しばらく発動していなかった千里眼が、断片的に映像を映し出す。灰色の空に、窮屈で息苦しい街並み。我が国とは違い、何とも生きづらそうな世界だと傍観していると、映像は突如ぶつりと消えてしまう。そして映写機のようにまた別の映像を映し出す。
    「あれは……」
     一人の少女が歩いていた。見目は質素だがどこか上質な布地に身を包み、四角い物を腕に下げてカサカサを音を立てる見たこともないような白い物を手に持って、ただひたすらに暗闇の中を歩く。だが空は闇に包まれているのに、辺りが妙に明るいのは本当に今が夜なのかと疑うほどだ。
    「チッ、ノイズがひどいな」
     久方ぶりの発動の影響だろうか、ホワイトノイズが映している映像の邪魔をし、歩いていた少女の姿を追うことができない。あれは誰なのか。なぜ己の千里眼はこの少女を映し出すのか。理由は全くと言って見当がつかないが、その少女には一際目立つものがあった。
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