kicg その男の訃報を知ったのは、まったくの偶然だった。共通の知人である男と話しているときにたまたま、どんな話の流れかはもう忘れてしまったが、本当にたまたまそんな話になったのだ。もう二週間も前のことだという。
その男はかつてカイザーと同じサッカー選手だった。足が自慢の、将来性を感じる男だったが残念なことに試合中の怪我が原因でフットボーラーとしての生命は絶たれてしまった。
当時は引退がニュースになったが、その後彼はサッカーとはまったく関係のない仕事に就いたと聞いている。引退から数年経ちすっかり一般人になってしまった人間の事故死はニュースにはならなかった。
カイザーとその男は知人ではあったが親しかったわけではない。連絡先も現住所も知らない。その死を悲しいと思うほどの関係性もなかった。訃報が届かないのは当然で、この偶然がなければこの先も知ることはなかっただろう。
カイザーにそのことを教えてくれた男は定期的に連絡を取り合っていたようで、家族から連絡を受け葬儀にも参列したらしい。同年代の友人の死はショックだけれど、ちゃんと挨拶ができてよかったと語った。
練習を終えて自宅に戻るべく車に乗り込んだカイザーは、少し考えて行き先を変更した。自宅の次に行き慣れた道を通りマンションに向かい、チャイムを鳴らす。ドアを開けて迎えてくれた相手が何か言葉を発するより先にカイザーは口を開いた。
「──豹馬、俺と付き合え」
「……唐突すぎねえ?」
ドアを開いた半端な体勢のまま、千切はあっけに取られていた。
「え、つか何、ドイツ人はそういうの、言葉にしないんじゃねえの?」
「ああ、だからはっきりさせておこうと思ってな」
千切とは何度も個人的に会い、食事に行き、互いの自宅に通い、共に朝を迎える、そういう仲だ。特別な相手であると、お互いの認識が合致していることも確かだ。
これまで言葉にしなかったのはカイザーが育った国の文化であり、千切もそれを承知しており、不必要だったからだ。今日の朝まではそう思っていた。
互いの気持ちと認識は合致しているが、それを証明するものは何もない。言葉にして関係を明確にしなければ、何かあったとき知ることすらできない。そんなのはごめんだ。
「……まあ、いいけど」
何かきっかけがあったことは察しているだろうに、千切はそれを追及せずただ頷いた。
「いいよ、付き合おう」
「……ああ」
「じゃあこのままコイビトの家に初訪問はいかがですか?」
「喜んで」
「つっても何もないけど」
「いつものことだろう」
本当のことを言っただけなのに、肩に一発拳を入れられた。
*
「意外だった」
唐突な言葉に顔を上げてなにが、と言うと潔は少し顔を顰めつつカイザーのこと、と返してきた。
「もう結構長いんだろ」
「うん、三年……四年? になるかな」
「でも告白とかされたわけじゃないって言ってたじゃん」
「うん。何、今更ってこと?」
「まあ、そう」
「そうだな」
さらりとした千切の反応に、潔はますます嫌そうな顔をした。数年前にカイザーと多分付き合っていると報告したときも同じような顔をしていた。いや、あのときは驚愕の方が強かったか。どうだったっけと思い出しながらグラスを揺らす。
「二人の問題だし、俺がどうこう言うことじゃないのは分かってるけどさ、なんで今更とは思う」
「うーん」
「……何かあった?」
ようやく現れた潔の本題に、千切は笑った。カイザーとの仲は相変わらず壊滅的なのに、ピッチの上ではどこまでも冷徹になれるのに、やはり人の良さを捨てきれない。千切のことを大切な友人だと思ってくれているのだろう。その気持ちはもちろん嬉しいし、千切にとっても潔は大切な存在だ。そしてほかの友人たちよりもほんの少しだけ特別だった。
だから心配をかけている状況なのは申し訳なくあるが、これは本当に心配されるようなことではないのだ。そのことをどうすればうまく伝えられるだろうか。言語化することはわりと得意だ。そのまま言葉にしても潔が納得する形にはならないだろうけれど、かといって事実以外に伝えられることもない。
「……何かあったんだろう、とは思う、けど俺はそれについて何も聞いてないから分からない」
ありのまま言葉にすると、案の定潔は怪訝な顔をした。
「聞いてないのか?」
「うん」
「……なんで?」
「必要ないから」
言ってから少し違うなと思って、カイザーが言わなかったからと付け加える。潔の顔はますます難しいものになった。
「一応聞くけど、聞けないってワケじゃないんだよな?」
「おう。一応言っとくと、聞いたら教えてくれると思う」
千切の返しに潔はますます顔を顰めた。
「気にならない?」
「んー、なんていうか、俺に付き合えって言ったのがカイザーの結論なんだろうなって。結論出て本人が納得してるならわざわざ俺が掘り返す必要なくない?」
あの日、カイザーが考えを改めるような何かがあったのは確かだろう。そこからどういう経緯を辿ったのかは分からないが、彼が出した結論は千切との関係をはっきりさせるというもので、そこに理由を千切に説明するという行為は伴わなかった。
じゃあいいか、というのが千切の率直な感想なのだ。カイザーはあれで独断専行の専制君主ではないので、必要なら彼から話があるだろう。
千切の話を潔は非常に疑わしそうに聞いていたが(特に専制君主ではないという辺り)、最終的に納得したようだった。納得というか、無意味だと悟ったのだろう。付き合いが長いと理解も早い。
「まーお前がいいならいいか……」
「そーいうこと。ついでに言っとくとタイミングみて籍入れるから」
「……それはついでじゃよくないだろ明らかに!」