芸能人パロのngcg+rocg「申し訳ありませんでした!」
スタジオに入った瞬間、尋常ではない大きさの謝罪が聞こえて千切は目を丸くした。視線の先には直角を余裕で超えた角度で頭を下げるスーツ姿の男性と、それを高いところから見下ろす男が二人。高いところというのは比喩ではなく、物理的に本当に高いのだ。一人は御影玲王、身長百八十五センチ。もう一人は凪誠士郎、身長百九十センチ。あんな大男二人に挟まれて見下ろされたらさぞ恐ろしいだろうと男性に同情しつつ、何があったかを大体察して千切はため息をついた。
玲王と凪は二人とも千切がマネジメントを担当する芸能人だ。歌うし踊るし演技もするしモデルもする。もはや本業がどれなのか分からなくなるくらい、各ジャンルでひっぱりだこのユニットである。おかげさまでスケジュールは常にいっぱいで自他共に認める面倒くさがり屋の凪が面倒くさいと零す暇もない多忙っぷりだ。
今日は数ヶ月後に発売予定の新曲のMV撮影だ。予備日なし、何が何でも今日中に撮影し終えないといけないのだが。
「──千切」
玲王に声をかけられ、千切はしぶしぶ歩き出す。気づかなかったふりをして回れ右をしたいくらいだったがそうもいかない。玲王が淡々としてくれた事態の説明はほぼ千切の予想通りの内容だった。
今をときめく芸能人の二人は、同業者からも人気がある。平たく言えば狙われている。それを煩わしがった二人は共演相手にあるルールの徹底を希望した。連絡先を渡そうとしないこと、必要以上に接触しないこと、関わるのは現場でのみ。傲慢ともいえる要望だったが、仕事はそれほど減らず、トラブルは目に見えて減った。違反すれば金輪際共演はしないというペナルティも効いているのだろう。
けれどどこにでも想定外のことをする人間はいる。契約前に再三説明しても、ルール違反する人間は皆無にはならなかった。そしてMVに出演予定だった女優が半年ぶりの違反者になってしまった。
女優のマネージャーの男性は平身低頭、額を床に擦り付けんばかりだったが、凪のもういいよの一言で肩を落としてスタジオを出ていった。
「千切、よろしくね」
「はいはい……」
二度とアイツとの仕事は受けないでね、のよろしくを聞き入れつつ頭をフル回転させる。
どうするんだよ、女優帰らせちまったぞ、代わり、今から手配できるか? 間に合うか? 何が何でも今日中に撮り終えないといけないのに──
同じことを考えているらしい監督と顔を見合わせる。今から手配して運良くすぐに代役が見つかったとしても撮影再開まで二時間はかかるだろう。ダンスシーンや二人だけのカットを先に撮影していたのが仇となり、もう夜の七時を過ぎている。順調に進んでこの調子なら日付が変わる前に終わりそうだと喜んでいた矢先にこれだ。
「千切、どしたの?」
「どしたのじゃねーよ、代役探さないと」
まずは社に連絡して自社タレントを当たって、それで誰かが見つかることを祈るしかない。他社のタレントに依頼するとなれば確実に日を跨ぐし、最悪別日に捩じ込むしかない──いや、どこに?
とにかくやるしかないと絶望的な気持ちでスマホを取り出す。社の番号を出そうとすると、大きな手に画面を覆われた。
「凪?」
「千切、やってよ」
「何を」
「代役」
「……は?」
「あ、いいなそれ」
意味不明な凪の提案に同意したのは玲王だ。
「……いやいやいやなんでだよ」
「今から代役呼んだら一・二時間かかるし見つかるかも分からない。でも千切なら三十分もあれば再開できるでしょ」
凪の意見は尤もだ。今ここにいる人間で解決するのが一番早くて確実。でも千切は代役にはなり得ない。
「あのな、俺、男」
「知ってるよ。でも角度とか工夫したらいけるっしょ」
「無理だって」
「諦めないで」
「そういう問題じゃねえ。こんなことで無駄にキメ顔すんな」
凪が積極的に意見を出すなんて滅多にないので尊重したいのは山々だが、あまりにも無理がある。顔面だけなら中性的女性的と言われ続けて自覚もあるが、それでも千切はどうしたって男だ。MVに相手役として出て許される体格ではない。
「バカ言ってないで──」
「これならどうだ?」
凪の馬鹿な提案を流そうとしたのだが、またも邪魔された。今度は玲王だ。両手に持った白いニットを広げて千切と監督に示す。
「あ、俺の」
「そう、凪の私服。これならデカいし厚手だから体格も誤魔化せるだろ」
「いやいや……」
千切と凪が話していた隙に楽屋に戻って取ってきたらしいニットは確かにデカくてボリュームがある。凪は窮屈な服を嫌がって緩い服を選ぶので、千切が着たらかなり余裕があるだろう。
「無理だろ」
「まあ試してみろって」
渋る千切にお構いなしで玲王はニットを千切に被せた。こうなったら実演して現実を分からせるしかない。見れば凪も玲王も諦めるだろう。
「ほら、イケるって」
「よゆーじゃん」
「イケそうですね」
「……マジ?」
何故か監督まで凪たちに同調しはじめ、あれよあれよという間に千切の出演が決定した。
本来はソファやベッドで過ごす恋人をコンセプトにした映像を撮る予定だった。しかしそのまま真正面から撮るとさすがに千切の体格をごまかせない。さらに顔面を映すことは千切が断固拒否したため、カットは大幅に変更になった。これなら大人しく代役を探した方が早かったのではと思うが、監督はじめスタッフたちの尽力により一時間後には凪と千切の撮影を始めることができた。同時に玲王との撮影分の調整を進めるという鬼のような進行だが、それが職人魂に火をつけたのか千切以外のスタッフはやる気に満ちている。
「千切、こっち」
「お、悪い」
いつも撮影の様子を見守っているが、撮影される側になるのは初めてだ。セットのソファに座ったもののどうすればいいか分からず戸惑っていると、横に座った凪が肩を抱いて位置を調整してくれた。ソファの後ろから撮影することで千切の体の大部分を隠せるが、さらに座高を下げることで恋人らしい体格差を演出する作戦だ。
「これくらい?」
「もう少しいけます? ……あ、それくらいでオッケーです」
細かいことは凪と監督に任せて千切は邪魔をしないことに注力する。最終的に座るというよりだらしなくもたれかかる体勢になり、ちょっとした腹筋トレーニングになりそうだ。
「しんどい?」
「ちょっと。でもへーきだよ。それより頼むぞ、どうすればいいかマジで分からん」
「うん、千切は楽にしててくれたらいいから」
「……それはちょっと違う意味に聞こえるからやめとけ」
冗談で和ませてくれているつもりなのかもしれないが、際どい物言いは控えてほしい。千切の苦言に凪は笑うだけだった。
こんなに早く撮影を再開できたのは凪が俺に任せてと豪語したからだ。リハーサルの類を全部すっとばして位置だけ確認してのぶっつけ本番。大まかな流れは頭に入っているが、細かいことは全部凪に丸投げといういつもの仕事からは考えられない大雑把さだ。しかしやると言ったときの凪は信用できる。千切は戸惑ってはいたが、それほど不安ではなかった。
監督の声がかかり撮影が始まる。
「……これ、喋ってていいの?」
「いいんじゃない? その方がそれっぽいかも」
「なるほど。明日のスケジュールなんだけどさ、」
「話題は選んでよ……」
「いや、効率いいかなって」
「情緒がない」
多忙さを気遣ったつもりがお気に召さなかったらしい。不満そうに口を尖らせた凪が肩に腕を回し、ぐっと抱き寄せられて千切は思わず声をあげた。
「撮影だよ、千切」
「お、おう……」
耳元で囁かれ、千切は跳ね上がりそうになる肩を必死で押さえ込んだ。確かに恋人同士ならこれくらい普通のことだろう。いや、それにしても。
「近い近い近い」
「これくらい普通でしょ」
「そこで喋んな……っ」
耳殻に凪の息遣いを感じる。それどころか、もしかして唇が触れてはいないか。本当だったら恐ろしい現実から目を逸らすため、千切は耳から意識を離した。それが分かっているのか単に千切の反応を面白がっているのか、凪はますます密着してきた。
「……千切」
だから耳元で囁くな! しかも吐息たっぷり!
凪の仕事はこれまで一番近くで見てきた。いや、一番はきっと玲王なので二番目か。ともかく、誰かの『恋人』を演じる凪なんて今まで数え切れないくらい見てきたのにこんなにも動揺するなんてまったく不覚の極み。相手は凪だぞ。発する言葉の半分が眠いか面倒くさいの凪だぞ。凪の手腕を大いに褒めるべき場面かもしれないがそれどころではなかった。
その後も凪はやりたい放題だった。髪の毛を一房掬い取って口付けるなんてのは可愛い方で、頬と頬を擦り合わせたり首筋に顔を埋めたりすんすんと匂いをかいだり。犬だ、こいつはデカい犬だ。途中から千切はそう思い込むことでなんとか平常心を保とうとした。素数も数えた。しかし数学に明るくない千切の知識ではすぐに知ってる素数に限界が来て、いよいよ限界かというタイミングでカットの声がかかった。
「ありゃ、もう終わり?」
「…………」
助かった。無意識に体に力が入っていたのか、脱力して一気に疲労が押し寄せる。普段使わない筋肉を使って明日は筋肉痛かもしれない。
「ま、楽しかったしいいか」
「そりゃようございました……」
「ありがとね」
こっちはそれどころじゃなかったぞとぐったりしていると、こめかみに何かが押し付けられた。ん?と思っているとちゅっと音がしてその何かが離れる。
「は?」
「どしたの?」
「いや、今……え?」
凪はきょとんとしている。しかし長年の付き合いで直感した。これはしらばっくれているときの顔だ。
「何してんだコラ」
「お礼のちゅー」
「素直に認めても減刑されねえからな?」
やはりさっき触れたのは凪の唇だったのだ。跡が残らない程度に手加減したデコピンをお見舞いし、立ち上がる。まったく、何が楽しくて野郎にキスなんてしたのか。撮影の一環ならまだしも、カットがかかってからなのでMVに使われることもないというのに。いや、撮影のためだとしてもそこまでする必要はないのだけど。
イテテと大げさに痛がる凪を置き去りに監督のもとに向かう。
「どうでした?」
「バッチリですよ」
千切も確認させてもらうと、確かに自分でも自分だと分からないくらい自然な恋人同士の映像に見えた。玲王が言った通り大きなニットのおかげで男性らしい骨格が誤魔化されているし、凪の動きのおかげでさらに分かりにくくなっている。撮影中は密着しすぎだと思ったが、こうして見るとちゃんと意味があったのだと分かる。遅れて確認に来た凪をよしよししてやると、やればできる子だからねとドヤ顔をされた。
「次はレオだね」
「あーそうか……」
すでに心身ともに疲労困憊状態だが、撮影はまだ半分だ。しかも。
「玲王の方はベッドの中だっけ?」
凪の容赦ない確認に千切は項垂れた。ベッドの中といってもMVのシーンなのでじゃれ合うような健全なカットの予定だ。とはいえ何が悲しくて野郎同士でベッドでじゃれ合わないといけないのか。MVのコンセプト会議で軽く同意した自分が今更恨めしかった。
「いいじゃん、レオ優しいし安心して身を委ねなよ」
「だからそういう物言いヤメロ」
重い溜息をつき、それで気持ちを切り替えた。これは仕事だ。本業じゃなくとも引き受けたからにはやり遂げなければ。背中に張り付く凪を引きずって隣のスタジオに向かうと、すでに準備万端だった。カメラを覗き込んでいた玲王が二人に気付き、お疲れと片手を上げる。
「無事終わったか」
「うん、バッチリ」
「そりゃよかった」
「レオは何してんの?」
「カメラのチェック。リハなしだからな」
この器用な男は何故か裏方仕事まで一通りマスターしている。待ち時間の間に位置から照明まで一通り調整していたようだ。
「じゃあ始めましょうか」
「え、もう?」
もう少し猶予があると思っていたのに、カメラを確認した監督はすぐにゴーサインを出した。
「まー俺に任せとけって」
「行ってらー」
「おー……」
玲王に手を引かれてセットのベッドに向かう。千切は玲王の手前に寝転びカメラに背中を向ける。腰の上くらいまでをシーツで覆いながら、玲王は千切の体勢を細かく調整した。
「多分これくらいならそれっぽく見えるから。ちょっと苦しいかもだけど頼むな」
「おう、大丈夫」
そのまま撮影が始まった。しかし相変わらず何をどうすればいいのか分からない。さっきは結局凪に翻弄されていつの間にか終わっていたようなものなので、どうしたらいいのか素直に聞いてみた。
「凪はどんな感じだったんだ?」
「えー、なんか抱きつかれたり顔擦り付けられたり、いろいろコイビトっぽいことされた」
「ふーん?」
玲王はにこりと微笑んだ。いつも千切に見せるのとは違う、仕事用の笑みだ。コイツもプロなんだよなあと感心していると、がばりと覆いかぶさられた。
「は!?」
「凪がそんなことしてるなら俺も負けてられねーな」
「勝手に勝負すんな、うわ、ちょ、顔近」
手を後頭部に回し髪をかき混ぜるように撫でられる。玲王が愛用している香水の香りをまともに感じてかっと頬が熱くなった。
「あんまり差があったらよくないだろ。まー楽にしとけって」
悪いようにはしないからと言われて、お前もかと言うべきかそれはフラグだと言うべきか悩んでいるとさっきとは反対側のこめかみに何かが押し付けられた。
「……お前もかよ!」
「あれ、凪と被った? じゃあ別のことした方がいいか」
「いや、そういうことじゃ」
ない、と言い切ることもできないまま千切は玲王に翻弄された。素数を数える余裕はなかったし記憶もほとんどない。仕上がりを確認した二人と監督は満足げだったのでそれでよしとして、千切は今日という日のことを忘れることにした。
後日完成したMVを、千切は直視できないままだ。ダンスシーンや二人だけのシーンはいつも通り隅々までチェックしたが、自分が映っているシーンは見ていられなくて飛ばしてしまう。
「千切ー、見ないの?」
「見ない」
「いい出来だぞー」
「そうか、見ない」
二人がやたらと見るように勧めてくるのは嫌がらせだろうかと疑いつつ断固拒否し続けている。マネージャー失格かもしれないが、出来については二人を信用しているので問題ないだろう。実際ファンの反応もいい。凪の表情がいつもより柔らかいとか、ちょっと雄みの強い玲王がいいとか、そんな意見がSNSにあふれている。ちらほらとあの赤毛の相手役は誰だという詮索が混じっていたが、千切は見ないふりを貫いた。
「……まあ撮影が無事に終わってよかったよ」
終わりよければすべてよし。どうなるかと思ったし色々とすり減った気はするが、結果的にいい方向に向かったのでよしとするべきだろう。もう二度とごめんだが。
「てかさ、また千切が相手役してくれたらよくない?」
「は?」
「ああ、それいいな」
「よくねーよ」
またなんか恐ろしいことを言い出したぞこいつら。ふざけんなよと睨みつけても二人ともけろりとしていて悪びれる様子もない。
「だって千切だったら絶対確実で安心じゃん」
「共演相手探す手間も省けるしな」
「それはそうだけど、却下。もう二度とあんなことしねえ」
「えー」
「えーじゃない」
今回の女優の件が噂になって当分は抑止力になるだろうが、いつまた同じことが起きるか分からない。今後はより一層相手役を吟味しないとなと思いつつ、次の仕事の台本を丸めてまだ不満そうな二人の頭を小突いた。