プロポーズするngcg うえ、と千切が急に声を上げて、凪はゲームを一旦中断してどうしたのと声をかけた。気分が悪くなったのだろうか、そういう感じとはちょっと違った気がするけど。その予想通り、これ見てくれとスマホの画面をこちらに向けた千切は顔色が悪いこともなくいたって健康そうだ。ただそのきれいな顔を嫌そうに歪めているだけで。
「なに、動画?」
「そ、たまたま関連で出てきたから見てみただけなんだけどさ」
千切が画面をタップして動画が始まる。街角のカフェのテラス席で一組の男女が仲良く話しながらお茶を飲んでいるという何の変哲もない日常の光景だ。これがどうしたんだと思っていたら、男女の他のお客さんたちが一斉に立ち上がった。何事、と女性の方は驚いていたが男性の方は平然としていて、それどころか彼も立ち上がって、そして何故か一斉に踊り出した。何コレ。座ったまま目を白黒させている女性を取り囲んで踊るってホラー? ダンスが終わったところですっとカフェ店員が近寄ってきた。トレーの上にはコーヒーではなく小さな花束と小さな箱。それを受け取った男性が女性の前に跪いて箱をパカッと開けると、そこには輝くダイヤがついた指輪。感極まった女性が涙しながらそれを受け取り二人は抱き合い、踊っていた人たちや店員、さらには通りすがりらしい人たちも拍手喝采……
「……何コレ?」
動画が終わってもいまいち理解しきれなくて聞いてみると、フラッシュモブだよ、と返ってきた。
「そういう無関係っぽいひとたちが一斉にダンスしだすみたいなパフォーマンス? それでサプライズでプロポーズしてんの」
「へー……」
すごい世界だ。凪にはまったく理解できないが、動画はそこそこの再生数と高評価を誇っている。世間的にはウケているらしい。あれ、でも。
「千切はあんまり好きじゃない感じ?」
さっきの反応からしてそうだろうなと思いつつ聞いてみると、ぜってーヤダとかなり強い否定が返ってきた。
「いきなりそんなんされたら引く」
「確かに」
「公衆の面前でプロポーズとか御免だし、周りを巻き込むことで断りづらくなるのも腹立つ」
「……確かに」
動画の女性は泣いて喜んでいたけれど、もしも結婚を即決できない相手にこのプロポーズをされたら困るだろう。完全にイエスしか想定されてないあの空気の中で保留やノーと言うのはかなり勇気がいりそうだ。断るときは容赦なく切り捨てる千切がそう言うならこのフラッシュモブというのは相当なプレッシャーになるということ。
大変だね、と適当なコメントをしながら千切にスマホを返した。
「ねえレオ、フラッシュモブってどう仕込めばいいのかな」
凪の向かい側の席に座っている玲王はぱちぱちと瞬きをした。ふらっしゅもぶ、とおうむ返しにしてそれに凪が頷くと、今度は半眼になった。
「熱でもあるのか?」
「失礼な」
「だってフラッシュモブって……凪がやるのか?」
「分かんないけど、方法は知っておきたくて」
「……理由は」
不本意甚だしい反応ではあるけれど無理もない。凪は先日の千切との会話について説明した。
「──というわけ」
「待て、ますます分からん。それでなんでフラッシュモブについて知りたいってなるんだ?」
千切は嫌がってるんだろ、と言う玲王の指摘は尤もだ。しかし凪にとってはだからこそ意味がある。
「だって千切が断りにくいって言ってたから」
何人もの人間を巻き込んで、通りすがりの衆人環視の下のプロポーズ。期待に満ちた眼差しの恋人、祝福する準備万端の協力者たち、興味津々の赤の他人。その状況できっぱりノーと言えるのは相当の強心臓だ。
「俺、絶対断られたくないんだよね」
だから、と言う凪はいつもの眠たげな無表情だったがいたって真剣だ。それを正確に感じ取った玲王ははーっと大袈裟にため息を吐いた。
「あのな、千切の性格は凪もよーく分かってるだろ? 断りにくいっていうのは断れないってことじゃないし、下手したら怒って手ぇつけられなくなるぞ」
「……やっぱり?」
「賭けてもいい」
「だよねえ……」
そんなことは凪も分かっている。だから本気でやるつもりはないけれど、方法は知っておきたかったのだ。何のためといえば、いざというときのためだ。
「そもそも籍入れたいってのがちょっと意外だったわ」
「んー、それは俺も千切もどっちでもって感じではあるんだけど」
そういう話になったことはある。方法もある。けれど、こだわらないという結論に落ち着いた。もっと時間が経てば事情も意見も変わるかもしれないけど、少なくとも今すぐやる必要はないし、そのときが来れば改めて考えればいい。
今、『そのとき』が来たわけではない。だから籍を入れることについて、ましてやプロポーズについて考える必要なんてないのだけど。
「ケジメ的な?」
「……どうだろ」
そういうことを考えてもいいくらい、千切と共に過ごしてきた。でもそれは理由じゃない。
言葉少なな凪を、玲王はそれ以上深追いしようとはしなかった。ただフラッシュモブだけはやめとけよマジでと念押しはしておいた。長年見守ってきた宝物と友人の関係が破綻するのを見たくはない。
玲王は結局フラッシュモブについて何も教えてくれなかった。さすがの玲王も詳しい手順までは知らないだろうし、知っていても教えてはくれなかっただろう。いい個室のレストランなら紹介できるからという言葉を残して玲王は帰っていった。
だから凪は自力で調べた。やり方の解説や依頼を受けている会社のサイトや体験談エトセトラ。結論、やめておけ。分かっていたけれど、調べるほどにその確信度は強くなっていった。うんまあ分かってたしと思いつつ、ブラウザの履歴を削除した。凪が踊るという部分だけなら笑ってくれそうだが、それ以外は全部絶望的に受け入れてもらえる気がしない。
分かっていたのに未練がましく調べた理由を凪は自覚している。凪は目に見える形がほしかった。
入籍するかどうかという話になったとき、先にどっちでもいいと言ったのは千切の方で、凪も頷いた。そのときは本当にそう思っていたのだ。けれど今は必要ないという結論に至ったとき、なんとなく胸にもやもやしたものが残った。
入籍したって俺たち自身が変わるわけじゃない、という千切の言葉には全面的に同意する。社会的な立場や周囲からの認識には変化があるだろうが、凪と千切は何も変わらないだろう。だとすればわざわざ入籍するというのは、手間が増えるだけのひたすら面倒なものだ。
日本ではまだ同性婚は認められていないので必然的にこちらで籍を入れることになる。法的に認められているとはいえプロフットボーラー同士の同性婚となれば多少は騒がれるだろうし全ての人に好意的に受け止められるとも限らない。海を越えて日本でどう扱われるかは完全に未知数だし、家族に受け入れられるかも不明だ。他にも大小の壁が無数にあるだろう。それを考えれば、自分たち自身が何も変わらないのであれば、このままでいる方がよほどメリットがある。
そう分かっていても、胸のもやもやは晴れなかった。ひとりで考えた。考えた結果、どうやら自分は入籍という形を求めているらしいと理解した。
籍を入れたいわけじゃない、それは本当だ。でも凪は二人の関係を形にしたかった。誰かに証明するためじゃなくただ凪自身がそうしたかった。一番分かりやすい形が入籍で、そのためなら面倒臭いことに向き合ってもいいかなと思った。
入籍するならプロポーズをしないといけないだろう。プロポーズは絶対に断られたくない。だから千切自身が『断りづらい』と言ったフラッシュモブは有力候補だったのだけど、残念ながら今のところリスクしか見当たらなかった。
続けて『プロポーズ』と『方法』『場所』『言葉』などで検索してみる。思い出の場所、家、高級レストランあたりがメジャーなようだがどれもしっくりこない。指輪は用意すべきなんだろうか。
「うーーーん……」
考えることが多すぎる。凪は力尽きてベッドに倒れ込んだ。
これでも凪はプロの選手だ。面倒臭がりなのはもう変えようがないが、凪なりにサッカーというものに向き合い、職業選手としてやるべきことは自覚している。
なので、ここ数日頭を悩ませていることがあろうともひとたび試合が始まればきっちり頭を切り替えて集中してみせる。フィールドに持ってくるのはサッカーをする自分だけ。たとえ同じフィールド上にその悩みの原因がいようとも、だ。
凪と玲王と千切のコンビネーションはすっかりチームにとってなくてはならないものになっている。ブルーロックから共にプレーをしてきて多彩な連携はお手のものだし、一方で自身がゴールを狙うというエゴも健在。連携してもしなくても厄介だともっぱらの評判だ。
今日の相手は前回接戦の末に惜しくも負けてしまったチームで、双方士気が高かった。実力は互角、命運を分けるのは僅かな差。その差を埋め、圧倒するべく入念な準備をしてきた。しかし相手の守りも堅く試合は一進一退、同点のままアディショナルタイムに突入した。
残り三十秒、ボールを持った千切がフィールドを駆け上がるがDFに阻まれてしまった。どんなに千切が疾くとも正面から迫る三人のDFをかわすことは難しい。
考えるよりも先に凪は駆け出していた。千切が蹴ったボールが誰もいないスポットめがけて飛んでいく。死力を尽くした試合の終盤、凪より早く察知できた選手はいない。凪は余裕を持って落下点に走り込み、トラップで浮いたボールをゴールに叩き込んだ。ワッと湧き上がる観衆、ガッツポーズをするチームメイト、項垂れる相手チーム。悲喜交々のなか、凪は自然と千切の姿を探していた。
「凪!」
その気持ちが通じたのかどうか、千切の方からやって来てくれた。満面の笑みで、片手を上げて、やったな!と喜びを全身で表現しながら駆け寄ってくる。凪の名前を呼んでいる。その光景に、勝利した喜びもシュートを決めた満足感もどうでもよくなるくらい、千切への感情が膨らんだ。膨らんで、弾けた。
「──千切!」
「ん?」
「結婚して!」
「は?」
弾けた感情はそのまま言葉になった。駆け寄ってきた千切の両肩を掴んで、勢いのまま凪は言った。おそらくハイタッチしようとしていた宙に浮かんだままの右手と心底意味が分からないという表情。そんな顔も好きだなと思いつつ凪はもう一度結婚して、と言った。
「……は?」
ぽかんと目をまん丸にした千切もかわいいな、と場違いなことを考えつつ、今更沸き上がる焦りにどうしたものかと頭を悩ませる。こんなところで、こんなタイミングで、こんなプロポーズをする予定なんてどこにもなかった。
フラッシュモブなんて目じゃないくらいのオーディエンス。これはアリかナシか──自分たち以外には言葉が通じないという抜け道を掲げて勝訴を勝ち取りたい。試合直後で汗だくだしこっそり準備した指輪は自宅に置きっぱなしだしで丸腰もいいところだが、後戻りはできない。何の準備もないまま、凪自身すら想像していなかったタイミングでの大勝負。掴んでいた両肩を離して千切の両手を取る。皮膚を隔てるグローブが邪魔だった。
スタジアムを満たす観客と二人のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか少し離れたところで様子を伺っているチームメイトたち。彼らからすれば二人の様子は険悪にすら映るかもしれない。その向こうで唯一凪の言葉を聞き取って理解したであろう玲王が呆れたように笑っていた。