知っていても、知らなくても。 畳敷きの居間に無理やり突っ込んだ脚のないソファの隣に座る男は気怠そうに煙を吐き出す。時計の短針は天辺近くを指し示し、カーテンの向こうにはきっと闇が敷き詰められているような、そんな時間。今夜はもう一人の同居人が居らず、久々に男と二人きりのその家の中は静寂に包まれていた。何となく眠るには惜しい、そんな珍しい二人きりの空間で、学生時代の後輩でもあり、この家の家主でもある男はいつものお茶らけた笑みすらも無くし、感情を押し込むような表情で、タバコの先から立ち昇る煙を見つめている。
付き合いの長いこの男の考えている事位、分かる。大方、今夜居ない同居人の事でも考えているのだろう。俺はこの男の初恋が男が気づいていないだけで、その同居人である事を知っている。その位解る程度には、隣に居たのだから。
「浩介」
煙を吐き出すように、そうポツリと呟く隣の男に「何だ」と問えば、その続きを呟こうとしてその言葉を飲み込むように再び押し黙る。その沈黙の中、タバコだけがチリチリと燃えていく。今や落ちそうな位伸びたその灰は、俺がタバコの下に灰皿を構えた瞬間に落ちる。灰が落ちたことに気付いた男は、そのまま俺の持つ灰皿に用済みとなったタバコを押し付けるのだ。
「あのなぁ、どうせアイツが帰ってこなかったらどうしようなんて思ってるんだろ。2週間したら帰ってくるんだ」
「でも、何かあったら」
ウジウジとそう言いだす男に「大丈夫だ」と言い切ってやる。
「お前が死にでもしない限り、ヴィンはお前の所に帰ってくるよ」
そう言って笑ってやれば「何でそんな事解るんだよ」と言い捨てられる。
「お前らの事をずっと見てりゃ解るよ、そのくらい」
そう言ってやればそうか、とだけ呟きまた俯く。居間に再び沈黙が流れ、俺だってこの空気には流石に苛立つ。
「あぁもう、お前は一度潮風に当たれ。ちょっと深呼吸しに行くぞ」
そう言って男をソファから引っ張り上げてそのまま玄関を出る。上着すら着ずに家から出れば流石にまだ肌寒い季節。お互いに寝間着には着替えていなかったから肌寒くはあれど、まだ寝間着よりはマシだろうとは思う。家から少し歩けば着くその場所は海岸。俺たちは何かあれば何方ともなく足を海岸に向ける。二人で海岸に行くのはちょっとした儀式のようなもので。そういえば、最後に二人で来たのはこの男との爛れきった関係を清算しようとした時だったか。あれからもう何年経つのだろう。あの時とは反対に、俺が前を歩き、彼は俺の後ろをとぼとぼと歩く。俺たちの足音は波の音がかき消していて。
「俺は知ってるよ、お前がひとりになりたくない事も、隣にヴィンが居ないことに耐えられないことも。だけど、それはお前だけじゃない」
波の音に消されないように、声を張り、後ろに居るはずの彼に言い聞かせる。
「アイツも同じなんだよ、駿馬、お前が隣にいない事にアイツも同じくらい耐えられないんだ」
俺はそれを何度も見ているから知っている。彼が居なくなった先の世界がどう崩れていくのかを。だから、自信をもって言えるのだ。
「心配しなくても、アイツは帰ってくるよ。駿馬、お前の隣に」
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現パロとリフレイン・ワールド成分のあるササセナ(セナヴィン前提)
※深夜の真剣文字書き60分一本勝負 お題:「海へ行きませんか」
(2016-05-06)