空閑汐♂デイリー【Memories】30「お嬢、他には何か見たいものあるか?」
柔らかな声がハンナ・シェルツに降り注ぐ。幼い頃に一度だけ出逢った初恋の人は、優しげな笑みを浮かべてシェルツを見つめていた。オジョウ、というシェルツからしてみれば異国の響きを持つ言葉でシェルツを呼ぶその人は、彼女の最短最速で始まり終わった初恋を知ってか知らずかこうして時折シェルツを連れ出し積極的に財布になろうとする。
「見たいものあるって言ったら、アマネさんまたすぐ買ってくれちゃうじゃないですか……!」
「まぁな。何か楽しくなってきて」
「その財布はヒロミさんに開けて下さいよ……」
「正直あっちはネタ切れだ。お互いあんまり物欲ないからなぁ」
地球に帰った時ツーリングする為にヒロミの分もバイク買ったら怒られてな。重ねられた汐見の言葉に思わずシェルツは頭を抱えていた。普段散財しない上に、危険手当だの飛行手当だのが加算されてそこそこの高給取りである汐見は堅実な貯蓄をしているらしい。らしいというのは、シェルツに対する財布の紐の緩さを見ていると信じられないので。
たまに経済を回したくなるんだ。と嘯き、シェルツと顔を合わせては何かを買って与える二十近く歳上の男は下手すれば同年代にも見える笑みを浮かべて「で、何か買おうと思ってたものとかあるか?」と重ねる。
「もう無いですよ、ヒロミさんに怒られますよ」
「いや、お嬢に何か買う時は全然平気。何ならあいつも財布出すだろ?」
「そうでしたね!」
シェルツと汐見達の出逢いは二十年近く前まで遡る。彼らがまだ学生だった頃、幼かったシェルツが両親に連れられ訪れた航宙士学院の学校解放日がその出逢いで。迷子になっていたシェルツを保護したのが汐見と空閑だったのだ。
そしてその日シェルツは汐見に初恋を奪われ、最短最速での初恋を終わらせた。
その後逢うことはないと思っていた彼らに出逢ったのが数ヶ月前。医師としてこの地に赴任したシェルツがならず者に絡まれている所を、多少過激な方法で救い出してくれたのが彼らだった。そしてその日からシェルツと彼らの交流は続いている。
シェルツの休みと彼らの休みが合う度に、遊びに行こうなんて誘いがかかり彼らはシェルツを連れ出していた。空閑だけの日や汐見だけの日もあれば、二人揃って現れる日もあって。
そうして彼女はかつて淡い恋心を抱いた相手とそのパートナーから、これでもかという程に訳の解らない可愛がられ方をしているのだ。
「よし分かった、それなら帰る前にカフェにでも行こう。パフェでもパンケーキでも好きなもの頼めよ」
「アマネさん、もしかして私の事まだ六歳の女の子とかだと思ってます……?」
セットが崩れないような柔らかな手つきで頭を撫でて来る外見こそ青年のような、しかしずっと大人である彼は妥協案というようにシェルツへの提案を口にして。そんな言葉にふと過ぎった疑問を口にすれば、彼は楽しげに笑みを深める。目尻に笑い皺が浮かび、最初に出逢った頃のあまり表情を動かさない笑い方とは違うその笑みに、何だか嬉しくなってしまう。
ちゃんと、笑える人なんだと。きっとそれは彼のパートナーが彼に与えた笑みなのだろうと。
「かもなぁ。最初に会った時の片腕に抱えられるような女の子のイメージが抜けてないんかね」
まぁ、今でも行けるとは思うが。なんてちょっと恐ろしい事を溢しながら笑う汐見に、シェルツも思わず笑っていた。幼い日の初恋は大切な宝物として胸に残して、今の彼とは歳の離れた友人のような兄妹のような気持ちを持って。