誰かに触れることがこんなに怖いなんてはじめてだ。
他人と肌を重ねるのは、はじめてじゃない。むしろ、どちらかといえば、この年齢にしては慣れている方だと思う。
手に入らない唯一以外は誰もが同じように見えたし、同じように快楽で鋳つぶしてきた。分け合う熱の心地良さを知っているつもりでいた。
女の子はすきだ。柔らかくて、すべすべしていて、甘い声が気持ちよくて、深く繋がる感覚で互いに溺れていく時間は楽しくて好きだった。ぐるぐると渦を巻くような激情とは違う、暖かく穏やかなふれあいは、ひどく安心した。
男を相手にしたこともある。相手は決まって鎖骨と腰骨がはっきりと浮き出ているような細身の男ばかりだ。骨張った身体は受け入れる時の滑らかさが足りず、後ろから突き上げる度にのけぞる背中を心の柔い部分を占める相手といつだって重ねていた。
互いに割り切った関係、といえば聞こえがいいが、名前すらろくに知らないような付き合いを重ねた中で、心が通ったことなんて一度もない。恋や愛を口にするような相手とのかかわりは、いつだって避けていた。それを許し許される相手とだけに限った交歓は、半ば傷のなめ合いに似た自慰の延長めいた交わりでしかない。
ほしい相手に触れることを赦されるなんて、あるわけないと思っていた。恋を自覚したときには、恋した相手の視線の先が俺には決して向かないと、識っていたから。
本当に、こんな形で触れていいのか。
心ごと打ちのめされた姿なんて、きっと見られたくはなかったはずだ。
一方的に愛抱夢が「卒業」を告げて去ったその後、まるで見計らったように静かな雨が降り出した。それでもあいつは立ち竦んだまま、走り去った車の残像を追い続けて、呆然としている。寄る辺ない子供のような姿は、常に自信と傲慢で満ちた表情を浮かべるソイツとは違いすぎて思わず息を飲んだ。
ゆるくまとめた髪が雨に濡れるのを見たくない。カーラと走る度、靡いて広がるそれをずっとうつくしいと思っていた。濡れて重く風を含むことがなくなり、ふわりと広がることがなくなった
ほとんど無理やり手を取った。何の抵抗もないまま連れ込んだ先で、小刻みに震えていた身体を抱き締めても拒否はない。ベッドに組み敷いても拒絶はなく、だからといってその目には色も情もない。あるのはただうつろで抜け殻みたいな容れ物だけで、それでもいいから手に入れたいと願う自分と、これじゃ意味がないと訴える自分が此処にいる。
「……もう、いいだろ。どけ」
「え、なんで」
「なんで?」
形の良い唇が、笑みの形に歪む。歪みに合わせて、室内灯に照らされたリップに絡みつく細いスパイラルバーベルが、鈍色に光った。
「それはこっちのセリフだ。その気になれないならさっさとどけ」
するりと抜け出すように上半身を起こした薫の腿に、俺の下腹部が当たる。慌てて引こうとしたが間に合わなかった。
「え……」
痛いほどに張り詰めたそれに気付いた薫の目元が朱に染まる。あからさまな狼狽を見せた姿に、ぞくりと身体の芯が震えた。さっきまで実感がないから、流されていただけなのかもしれない。
「……わかるだろ、俺はその気だ」
さあ、抵抗しろ。嫌がって、暴れて、拒んでみせろ。そうすれば引いてやれる。
相手が確かに薫だと実感したくて、目を閉じることはしないまま口付けた。一度目は、触れるだけで離れる。二度、三度、柔らかな唇をなぞるように食んで、深くまで探ってしまえば止まらない。
どれだけ口付けても、どこまで触れても、抵抗や嫌がるそぶりはないまま、やめろと叫ぶ自分自身の感情はあっさり欲に踏み躙られる。
この手の内に預けられた身体は、あきらめたはずの恋だ。
じくじくと身の裡を焦がす逃げ場のない熱が苦しい。
それなのに、どうしようもなく今この時の自分は幸せだった。