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    KsmrLxh

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    KsmrLxh

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    診断お題で出たやつです。
    无风島を目指して舟を漕ぎ出したはずが、無島と風島を遠くから眺めたままで終わっており…つまりカプ未満です。まず二人が一緒に居るシーンが少ない。

    いろいろあって宿無しになった風とそれを見つけた無の妄想  「 え、外に出られないのか 」
     思わず飛び出た声が、非難めいて聞こえたのかもしれない。声をかけてきた男は困ったように片眉を上げた。
     「 出られないってわけじゃないけど……出ない方がいいよ。もう日も落ちるだろう 」
     この辺りは夜はすごく冷え込むんだ、あんたそんな軽装で……絶対に困るよ。
     胡乱気に全身を眺められて、風息はつられ自分の格好を眺め降ろした。
     麻の衣、紺の袍に袴。季節はそろそろ森の木々が葉を落とし始める頃だ。立ち尽くす風息の横を、厚い外套を荷物にくくりつけた旅人が通り過ぎていく。町の中には風息と似たような恰好をしているものもいるが、備えた装備で町の外へ行く人間たちの中にあって、散歩にでも出るようなごく軽い服装で荷物すらない者が出て行こうとすれば、確かに悪目立ちしたのかもしれない。
     
     さてどうしたものか、と顎に手を添える。



     風息は使いを頼まれ、森から出て平野を挟んだ向こうにある、古い主の住む深山を目指していたところだった。旅と言うほど大層なものでもないが、妖精の足でも往復に一夜は要する。普段森から出ない風息にはそれなりの遠出だった。
     靄にくすぐられながら森を抜け、朝露をはじきながら山を越え、陽が空の半ばにかかるころ、拓けた視界の先に白く光る川が見えた。目指す場所に行くには、しばらくその川に沿って進んだらいいと教えられている。道程は順調なようだ。
     「見送りはここまででいい。あまり遠くへ行くと、帰れなくなるぞ」
     肩に留まっていた小鳥に声をかける。風息が森の外へ向かうのが珍しかったのか、道中いろんな動物たちが、足にまつわり袖に擦りつき付いてきた。しばらく一緒に歩くもの、2、3歩辺りをめぐってすぐに戻っていくもの。長くついてきていたものも、自らの行動圏の境界まで来ると、歩みを止める。入れ代わり立ち代わり顔ぶれを変えながら、そうして最後まで付いてきていたのがこの小鳥だった。空と親しいものは、風息が思うよりずっと身軽で、旅を旅とは思わないのかもしれない。とはいえ、一日の長さは各々生き物によって違う。ずっと自分に付き合わせるわけにはいかないだろう。飛び去る翼を眺めながら、風息は地を踏みしめる。

     森が途切れ、平野に入った。目印の川を視線でたどると、ゆるやかな流れを慕うように、人間の町ができている箇所がある。目的の場所ではないけれど、興味を惹かれて寄ることにする。
     町はそれなりに栄えているようで、なかなかに楽しかった。故郷の森に寄り添う町とは色も匂いも違うし、立ち並ぶ家々の数も多い。森から離れているのに、自分たちで住処に必要な木を運んでくるのは大変そうだ。と思えば、川の流れに大きな筏を浮かべて、それで運んでくるらしい。おもしろいことを考える、とひとしきり感心して、風息は満足して町を出ようとした。そう、そこまでは順調だったのだ。

     「 こんな時間から町の外へ出るのかい!? 」
     町の出口の側にいた男に、大きな声で止められたのだった。
     なにか急ぐ事情があるのかとも聞かれ、特にそういうわけでもないと風息は素直に返す。完全にこちらを若輩と見ているようだが、侮っているわけでもなく、単に心配性で気のいい男なのだろう。この場を適当にあしらって、後で出て行ったって構わないのだが、男に答えた通り、急ぐ道でもないなと思いなおす。
     森のみんなに、なにか土産話ができるかも。
     そう思えば、楽しみも増した。
     「 わかった。それもそうだな。今晩はこの町で過ごして、明日出発することにする 」
     風息が告げれば男はそれがいいと大きく頷き、泊まるんならあそこがいい手ごろだし食事のうまい店も近くにあると、町にある宿屋の場所まで丁寧に教えてくれた。男に手を振り町の中心へととって返す。

     昼間は、森では見られない町の造りに気を取られていたが、今度はそこに生きる人間たちを見る回ることにする。暗くなり始める前はいっそう賑やかだった、あちこちから飛び交う商いの声、喧騒を縫うように走り回る子どもの笑い声、人の暮らしは場所が変われどそう違いはないようだった。忙しなくて力強く、温度があって、心を浮き立たせていつまでも見飽きない。日が遠い山の向こうに姿を隠せば火を焚いて昼を引き延ばし、通りを行き過ぎる賑わいは長く続いていた。ひとしきり見て回り、風息がそろそろ教えてもらった宿に行こうとしたところで、新たな問題に気づいた。
     「 ……宿の作法がわからないな 」
     作法と言うか。泊めてくれと声をかけ、相手からなにがしかの条件の提示があり、それに従って行動する。それだけだ。それはわかっている。提示される条件は、主に金銭だろう。そう金銭。
     風息は、貨幣制度にいまいち馴染みがなかった。扱ったことはもちろんあるが、あの小さな金属に込められた意味がどうにも実感できない。物々交換の方がすっきりするのに、と思う。宿の入り口で中を窺ってみたところ、ちょうど旅人が部屋を頼んでいるところだった。観察していたが、細々した動きはよく見えない。これが故郷の森の町であれば、宿を乞うことには何の抵抗もない。森の恵みが届く範囲であれば、そこに暮らす人々のことは良く知っていたし、実際に何度も寝床を貸してもらっては、お礼に労働力を提供したりというのは常だった。だが知らない土地の人間たちに向かって、奔放にふるまってもいいものか、迷いがある。
     夜通し歩き回ったっていいのだが、人目につくと面倒だろう。ため息をついて踵を返し、宿の裏手に回ってみた。きっと長くここにいるのだろう、背は低いが立派な葉を茂らせた木が夜風に揺れていた。背後にある宿の壁の向こうからは、一日をねぎらう人間たちの笑い声がするがずいぶん遠い。さざめく葉がどこからか届いた灯りをちらちら弾く、風息は木に近寄って、幹にそっと手を添えた。
     「 おまえの樹冠を宿に借りてもいいか? 」
     返事をするように枝を揺らす木にありがとうと微笑みかけて、幹のくぼんだ箇所に身体を預ける。昼間に町の男が言っていた通り、吹き抜ける夜風はぐんと温度を下げていた。風息は、寒いよりは暖かい方が好きだが、この程度なら身に応えるものでもない。遠出の興奮と疲れを感じて、風息はゆっくり息を吐く。


     
    「 おまえは妖精だな 」

     目を閉じたときだった。じゃり、と石を踏む音がして、唐突にそう声がかかる。反射的に身を起こし、幹を背に視線を走らせる。通りを背にして、いつの間にか少し離れた場所に男が立っていた。
     はじめに目についたのは、その立ち姿だった。人間にしては少し背が高い。春のにおいをかぐ若い雄鹿のように優美にスッと伸びた姿勢。それなのに、冬に生きる年を経た狼のような静かで重厚で油断ない気配。いつからいたのかわからないその男が、手を後ろに組み、町の明かりの境界に立って、夜陰に身を隠したはずの風息に向かって声をかけている。
     男は風息の返答を待っていたようだが、風息が無言のままでいることに、ゆるりと首を傾げた。遅れてさらりと動く影で、男がまっすぐな髪を顔の横に垂らしているとわかる。
     「 ああ……驚かせたか。すまない。他意はないんだが 」
     風息は目を凝らすが、男の顔は暗く塗りつぶされ、判然としない。夜目は利くが、今は男の背後、通りから射す光に邪魔されてうまく視点を合わせられない。それよりも、男は自分を妖精だと言い当てた。相手は同属ではない、確実に人間の気配がする。人間のうちには妖精の存在を知らぬ者もいて、徒に出自を明かすことは混乱のもとだとは風息も心得ていた。だから普段から心が通った人間にしか自らの正体を伝えない。変化術にも自信があり、一目で看破されたことなどなかったのに、なぜこの人間は。
     「 ……あんたは何だ。なぜ俺が妖精だと? 」
     低く威嚇のように投げかけた言葉に、男は傾けていた首を戻した。
     「 仕事柄、妖精と接することが多いんだ。それに、こんな冷え込む町中で、薄着で平然と……気持ちよさそうに野宿できるのは、妖精くらいのものだ。だからわかった 」
     「 ……仕方ないだろう、それにそちらの道理に合わせる義理も俺にはない 」
     得体のしれない男に、自らの知見の甘さを指摘されたようで、むっとする。話しながら相手を探るが、逆光のまま顔が判然としないうえ、男の気配もまた妙だった。人間の気配ではあるけれど、精霊の息吹が色濃く混じる。なにもかもが不明な輪郭の淡い黒い影、それでいて柔らかで温度の低い声が、大きな声でもないのにはっきり届くから、余計に存在感を増して混乱する。
     それに気を取られ、男がこちらに話しかけた言葉に、一瞬反応が遅れる。
     「 なんだって? 」
     「 だから 」
     そこで初めて、男は一歩こちらに踏み出した。光の加減が変わり、薄闇に浮かぶ白い面と涼やかな目元が見えた。瞳が町の灯を弾いて一瞬きらめく。顔の横に流された黒髪がさらりとなびいて、それを追いかけるように、背後でひとつに束ねた長い髪が揺れる。
     「 私の部屋に来るか? 」



     思わずついてきてしまった。
     通された宿の一室で、風息は居心地悪くあたりを見回す。
     狭い部屋に、簡素な寝台。木でできた小さな椅子と机。内装は風息にも馴染みのある造りだが、知っているものよりもずっと、誰かが暮らしている匂いがなかった。これが宿なんだな。思考が一瞬逸れたことに気が付き、慌ててこぶしを握りなおす。閉められた窓をちらりと見やった。
     男はこちらを気にするそぶりも見せず、羽織っていた上着を椅子に掛けている。

     妙な男に気圧されたというか、流されたというかで、ここまでついてきてしまったが、さすがに不用心に過ぎたかもしれない。男は風息を連れてきたわりに、自ら名乗ることもこちらの名を聞くこともしなかったので、風息もあえてそのままにしていた。部屋の入口に所在なく立ちすくみ、さっそく自らの行動を後悔し始める。
     「 宿の者に一応話は通したから、泊まるのに遠慮はいらない 」
     男は風息の態度を気にした風もなく、平然とそんなことをしゃべる。
     ここに来る前、一応初めは断った。宿の外に立つ長くこの土地を見てきた木、この木に宿を借りると了承を得たからと。
     だが男はその木の立つ位置を指摘した。
     「 ここは宿の裏手で、今は無人だが従業員がよく近道に使うそうだ。こんな寒空の下、もし寝ている姿を人間に見つかってみろ。死体が出たかと要らない騒ぎになる 」
     そんなへまはしない。とっさに言い返しそうになったが、結局反論できなかった。現にこの男にあっさりと見つかっている。
     そんなやり取りの末に気が付けば部屋までついてきてしまい、男の落ち着き払った口調になにか返すこともできず、風息は気まずげに視線をさまよわせた。頼もしかったあの木は、今は壁の向こうでここからは姿も見えない。そうして室内を検めたところで、ひとつ指摘しなければならないことに気が付いた。じっとそこに視線を注いでいると、気づいた男が風息の視線を追って、ああと声を上げた。
     「 急だったから……折り悪く、新しい部屋の用意ができなかったそうだ。だから一人用 」
     小さな部屋に窮屈に収まった、寝台がひとつ。
     「 一緒に寝るか? 」
     「 誰が!!! 」
     飛んできた男の提案に反射的に叫び返し、それで勢いがついて風息はずんずん室内に踏み入ると、寝台の足元の位置に立った。やぶれかぶれに手をかざし、裾から呼び起こした蔓を床に向かってするすると伸ばす。蔓は床に着くとゆるく丸まりながら上へ向かって折り重なっていき、そうして大きな椀のようなかたちの、即席の蔓の寝台を作り上げた。場所もあまりないので、風息が丸まって収まれるだけの一人用。人前で術を使うつもりはなかったが、目の前の男がこちらが妖精だともうわかっているのなら、隠し立てする必要もない。
     風息がどさりと勢いよく腰を下ろすまでを見守って、男は「便利だな」と呟き、自分は衣をかけた椅子を引いてそこに腰かけた。

     「 一緒にって、あんたはそれでいいのか?知らない相手と同衾なんて 」
     風息も誰かと寄り添って眠ることはある。でもそれは兄弟たちだったり仲間たちだったり、とにかく親しい相手とだけだ。人間だってそうだと思っていた。
     「 さっきも言ったけれど、他意はないよ。退役はしたが、私は元は武人で。狭い場所に複数人で雑魚寝するのは、日常茶飯事だったから、気にならない 」
     男の返事に、風息は眉を顰める。武人という人間の職があることは知っていた。けれど話に聞いたのは、昔語りの中だ。故郷の森の町では、年老いた人間だけがその話を聞かせてくれた。男は気配は妙だけれど、どう見たってたいした年齢ではない。
     「 こんな時代に、まだ戦をやっている場所があるのか? 」
     好奇心の勝った風息の質問に、男はいや、そういうわけではないと声を上げた。
     「 遠く離れたところではわからないが、この辺りは平和だ。……さっきはおまえの正体を無遠慮に明かしてしまったから。私のことも少し話そうと思って 」
     「 ふうん? 」
     いまいち要領を得ない返答に、鼻を鳴らした。なんだかんだで、すっかり毒気を抜かれてしまった。警戒するのもばかばかしくなって、蔓の寝床に背を預けながら、風息は意地悪く笑って見せる。
     「 俺も大概だとは思うけど、あんたこそ警戒がなさすぎるんじゃないか?どんなつもりで俺に声かけたか知らないが、逆に寝首を掻かれて、荷物の一切を奪われでもしたらどうするんだよ 」
     風息の挑発に、男はぱちりと瞬きをした。これまでの古木のような硬く乾いて静かな雰囲気がふいにほどかれて、風息も思わずつられて瞬きをする。男はそんな風息に楽し気な光を瞳にひらめかせ、初めてふっと不敵に笑った。

     「 やってみるといい 」



     話し相手をしてもらおうと思ったんだ。緊張感のないやり取りの末、奇妙に緩んだ空気の中で、男はそう言った。仕事で長く一人旅をしていて、しばらく特定の誰かに会う予定もない。そんな折町中で無防備に過ごす妖精を見つけて、仕事柄声をかけた。話すうち、比較的友好そうなその様子に、話を聞けたらいいと考えた。らしい。
     「 ……友好的だったか? 」
     「 まあ、比較的 」
     風息は眉を顰めるが、男は意に介した風もない。もし先ほどの風息が友好的というのなら、普段一体どんな相手と接しているんだ。
     試しに男の仕事のことを聞くと、御用聞きというか……と濁された。ただその仕事相手に妖精も人間も含まれるそうだった。だから風息に気づいたし、予想できる騒ぎをそのままにできなかったと。
     嫌味に聞こえることをあまりにさらりと言うので、風息は乗る気にもなれずに肩をすくめて話題を流す。

     風息が自前の寝床に収まったことで、宿の寝台は今男が使っていた。簡素な寝台に胡坐をかいて座り込み、足元側にいる風息と顔を合わせている。同じ部屋の中、お互いに完全に気を許したわけではない距離感で、けれど妙に寛いだ空気が流れていた。寝台の枕元に据えられた机の上で、灯された火がちらちらと灯りを投げかけている。最初に火皿に少しだけ油を足し、この灯が消えるまで話をしよう、と男は提案した。男の闇に溶けるような黒髪が、丹色の光に濡れたように照らされている。
     「 俺の話といったって、大した情報は出せないぞ。今は偶然この辺りに来ているだけで、普段は住処の森から出ないんだから 」
     「 情報というほど確かなものじゃなくていい。おまえの住んでいる森のこと、仲間のこと、人間のこと。起こった出来事、その場所の風景、暮らしの様子 」
     つまり、世間話だ。男は言った。
     てっきり、何か道行に役立つような地形の詳細だの人口の規模だの各地の動向だの、そういった実用的な情報が欲しいのかと思ったが、そうではないらしい。戸惑いつつ、試しに仲間のうちでいちばん小さな弟が、はじめて術を起こしたときのことを口にしてみれば、ゆったりと首を傾けて聞く姿勢を取ってくる。
     話し相手をと言った割に、男は風息の話にほとんど口を挟まなかった。ただじっと耳を傾け、眠ったのかと思うほど密やかに、時折あの深い声でぽつぽつと相槌を打ちながら、風息の話を聞いていた。風息は普段から饒舌な方ではないから、言葉に迷うこともあったが、男は急かすこともなく話が滑り出すのを待ち、話題が途切れたときだけ、次の芽吹きを促すように自分の旅の話をする。

     風息ははじめ、あまりに静かな男の態度に、森の奥の巨岩にでも話しかけるようなつもりでいようと思っていた。けれどひとの言葉で返答があり、視線で、仕草で作られる空気があり、不思議とだんだんよく知らない男とのこの奇妙な時間が、肌になじんでいくのを感じる。仲間たちとの火を囲んでの酒宴、兄弟たちとの寝物語、決して同等には成り得ないけれど、どこかそれらに通づるような、胸になにかが満ちるような心地。どの話にも男は落ち着いた態度を崩さなかったが、森の実りが豊かになりそうだと話した時は、急に真顔になったので話しながらおやと思った。心持ち姿勢も前のめりだった。腹が空いているのかもしれない、と思って、ことさら丁寧に、それらがどれだけ霊に溢れてうまいかを説明してやった。この可笑しな夜への仕返しの意味もあったのだが、男がお前の森はいいところのようだと柔らかく言葉を添えてきたので、いじわるも忘れて素直に頷く。
     灯りがちりちりと音を立てている。火皿の油の底が近いようで、部屋の壁に引き延ばされて映る二人の影が、交わらないまま笑っているように大きく揺れていた。蔓の寝床の柔らかさを風息は背中に感じる。油断なく強張っていた体は、いつの間にかほどかれていた。





     翌朝無限が身を起こしたとき、部屋には他に誰の姿もなかった。
     薄闇に浸ったままの室内は、しんと静まり返っている。

     彼が起きだす気配には気づいていた。
     昨夜は約束した通り、灯りが落ちるまで他愛ない話を続け、それからお互い眠りについた。数刻のち、夜明けの気配も覚束ない頃に彼が起き上がったことで、無限の意識も浮上する。彼はそのまましばらく、音を立てないようひっそりと部屋を歩き回っていた。
     出ていこうとしているな、と悟り、声をかけようとして、結局は寝たふりを続ける。
     そうして、まだ明けきらぬ外へ、小さな窓を押し開いて彼が出て行く音を寝床で聞いていた。ぎ、と乾いた音を立てて窓が閉まり、彼の気配が完全に遠ざかるまでそのままで。

     やはり声をかければよかっただろうか。自身の熱の移った寝床において、どこか寒風が吹きさすような心地を覚えながら髪をかき上げる。
     名残惜しいと。立ち去る彼に、物足りないと、そう感じたのは無限の都合だ。
     だがこちらの感興のままに、くつろいだ獣をいたずらに驚かすような、流れる小川を無理やりせき止めるような真似は、無粋に感じた。

     昨夜、明らかに人間の町に慣れていない妖精を見つけたのは偶然だ。無限は次の任務に向けての待機指令が出て、この町に滞在していた。ぽかりと空いた時間を埋めるため、食事がてら宿の外に出たところだった。町中でも時折見かけるまるい半透明の精霊が、何かに引かれるように漂っていくのを目で追った先に、彼がいたのだった。妖精とこうした出会い方をするのは珍しいことではない。だからはじめは確かに、職務責任のつもりで声をかけた。危なっかしい彼に説明をして、寝場所さえもっと人目に付かないところへ変えてくれれば、執行人としてはそれで十分なはずだった。けれど結局無限は自分でもよくわからないまま理由をつけて、彼を宿に連れ込んだ。ほんとうになんとなく。けれど少しだけ切実な思いで。

     彼が寝床にしていた場所を見やると、そこはもうからっぽで、枝葉のひとつも残っていない。
     ただ。ふわりと鼻先に、この季節のものではない、爽やかな緑の香りが届いた。慎ましい花のような、伸びやかな新緑のような。
     目を閉じてその香りを吸い込み、そっと息を吐く。猫のようにくるくると感情を映す丸い瞳が、印象的な妖精だった。彼とはずっと火の灯りのもとで話をしていたから、その瞳の片方を覆っていた髪が本当はどんな色をしていたのかもわからない。奔放な曲線を描いていて、操っていた属性そっくりの豊かな木陰のようだった。それから、夜になじむような低くて少しだけ甘い声。

     いい加減に起きようと、体の向きを変えたところで、無限は自分の荷物の異変に気が付く。
     机の端に寄せておいた、最低限にまとめた旅荷物。その上に手のひらほどの小さな包みが乗せられている。昨夜はなかったそれは、明らかに彼が残したものに違いなかった。
     妙に浮き立つような心地で、それを手に取り窓辺に立った。窓は中から斜めに押し上げてつっかえ棒で支える形だ。夜明け前の少しだけ明度を上げた闇が、今は閉まっているその窓を薄く縁取っている。先ほど彼がくぐった窓を無限も押し開いた。途端にひんやりと流れ込む空気を気にも留めずに、明るさを増した窓辺で、手のひらのそれを確かめる。包みは笹のような平たく広くぴんと張った葉を丁寧に折り込んで、細い蔓でくくってあった。そっと包みを開く。
     中には、木の実や干した果物が詰まっていた。
     思ってもいなかった中身に目を瞬かせ、それから昨夜の彼の話のひとつを思い出す。彼の故郷の森では滋味深い恵みがたくさん実ると。それまでの話に出てきたどの妖精にも、人間にも、彼がひとつひとつ愛情を込めて接しているのは話しぶりから伝わってきたが、その話のときは特に熱を込めて話していて、確かに無限も興味を持ったのだった。多少空腹でもあったし。
     大小も彩りも様々なそれらを眺めているうち、包みの大きさに対して、少しだけ嵩が減っていることに気づく。そういえば彼ははじめての遠出をしている最中なのだと言っていた。もしかしたらこれらは彼の好物で、旅先で楽しむために持ち歩いていたのかもしれない。無限と会う前にもこの包みを開いて、休憩がてらに食べたのだろう。それを、挨拶のつもりか故郷の自慢かはわからないが、置いて行ってくれたのか。

     開いた窓の向こうには、眠たげに沈む町がある。
     曙光はまだ見えないが、空の端の闇が解け、濃い藍と深い紫色とが交ざり合っていた。その色を何とはなしに眺めながら、無限は包みのうちから果物をひとつとって口に含む。素朴で、甘酸っぱい味がいっぱいに広がって、それが胃の腑をあたたかくして、思わず口元がほころんだ。故郷を話してくれた妖精の柔らかな表情を思い出す。名前を聞かなかったことを、少しだけ惜しくも思う。



     彼も私も、同じ時間を生きる者だ。
     縁があれば、この先また会えるだろう。


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    KsmrLxh

    MOURNING映画後IFの無と風の話。をずっと書きたかったのですが年単位で滞っていて完成の目途が立たずにいるので、せめて一部を公開し供養とします。他者を通して「風息」を知る無限を書きたかった。
    前半:ミン先生と無限
    後半:虚淮と無限(会話なし)

    唐突に始まり唐突に終わる。
    【ミン先生と無限。事件後先生の家を訪れる無限】


     風息が【強奪】を使った相手には、ミン先生も含まれていた。
     けれど、館にミン先生から連絡があったという記録はないようだった。
     意図はどうあれ、事実がある以上は話を聞かなければならないということで、事件直後の急務をなんとか終えた後、彼を訪ねるという執行人に私も同行したことがある。
     龍遊で起こった事件の後始末は、龍遊の館でつける。本部の意向はおおむねそれであるが、稀にみる大規模な事態となったために、収拾の助けにナタが派遣されていた。けれど私は、少し立場が違う。私の任務はあくまでも風息一派の捕獲であり、それが結果として意を失った以上、任務はそこで終了していた。私自身が、何より弟子として迎え入れた小黒が事件に深く関わったことで、顛末を知る必要があるとは考えていたし、実際に潘靖にそう話し事件後もなにかと関わり続けていたが、実のところ、こういった枝葉の情報収集は本分ではなかった。それなのに多少強引に理由を付けて同行したのは、ミン先生の語る「風息」に幾分かの興味があったからだ。
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