『拝啓、愛しい人。どうしていますか』
「はは……いや、これは無いな」
モクマは握ったペンを置き、インクを走らせていた紙をくしゃりと握りつぶす。
偶然訪れた街で、偶然覗いた店で、偶然店員に勧められたインクが内蔵されているペンに視線を向ける。
ペン軸の紅が故郷の紅葉を思い起こさせ、モクマは勧められるままに思わず購入してしまった。安いものでは無かったが、高すぎなかった。
ホテルに戻ったモクマは持って帰ってきた袋を開けペンを取り出し、光に透かしたり、くるくると指の間に挟んで回してみたりと、様々に弄んだ。
そうしてようやく備え付けられたテーブルの前に座り、メモ帳をから紙を一枚破ると、何気ない様子でペン先を走らせた。
濡烏のインクと尖ったペン先は書き心地がよく、育った里の言語を書くのにも悪い感触では無かった。
ペンの感触に酔い、らしくないことを書いてしまった。
屑と化した紙をゴミ箱に放り投げ、少し考え込むようにメモ帳に視線を向けた後、おもむろにもう一枚メモ帳から紙を破り離し、モクマはペンを再び手に取る。
「拝啓」
さらりと、モクマはペン先を走らせ母国語を綴る。
「フウガ」
口にした名前の持ち主は、もうこの世には居ない。
自分が見送った。炎の海に沈む彼を。
「そっちは、どうだ」
彼の人がいる世界はどんなところなのか。恐らく、心安らげる場所には居ないだろう。それほどのことをしてきた。罪を重ねてきた。
「俺はまだ、そっちには行かない」
自分も恐らく、同じ場所に堕ちるだろう。しかしまだ、行けない。自分にはまだ、やることがある。
「いずれ、そっちに、行く」
きっと自分も、彼と同じ所に堕ちる。彼は待っているかもしれない。地獄の業火に焼かれながら。
「その時は」
モクマの穏やかで低い声と、走るペン先の音だけが響くホテルの一部屋。
「酒でも、呑もう」
きしり、と紙がペン先に引っかかり、インクが滲む。
ペンを机の上に置き、モクマはまだインクが乾いていない字が躍る紙を片手でくしゃりと握り込み。
「俺の、初恋」
紙を握った腕を振りかぶり、指を離し、放り出す。
屑と化した紙の塊は、同じような屑が詰め込まれた円筒の箱の中に吸い込まれていく。
カサカサと音を立て箱の中に投げ込まれた屑は、収まり処を得たのか、音を立てること無く静かに其処に止まった。
「……」
モクマはしばらく、その箱を見つめていた。身動き一つせず。只、屑と化した紙の行方に思いを馳せた。
「……っ?」
その時、肩の辺りに少し冷たい風が触れた。
窓は開いていない。開けていない。
しかし、薄手のレースカーテンの裾が、穏やかな風に煽られるようにほんの少し揺れた。
「フウガ」
モクマがその名を呼ぶと、カーテンの裾は元の位置に戻り、沈黙する。
風は無い。在るはずが無い。
「……」
息が詰まり、モクマは声を発することができなかった。
まさか、お前なのか?
迎えに来た、とか?
「……」
我ながら、奇妙なことを考えてしまった。
モクマは背もたれに身体を預け、シミだらけの天井を仰ぎ、深く息を吐き、笑った。
(何かを言いたかったけれど、)
(言葉がうまく出なかった。)