天使でも悪魔でも、願いを叶えてくれるなら これを口にしたら、絶対に呆れられるか、怒られるから言わないけれど、俺の勇利は天使なのではないだろうか。
いや、判っている。勇利はああ見えてもれっきとした成人男性で、天使と言うよりは、世界中にファンがいるトップスケーター、と言う方が相応しい。
でも、ほら、マッカチンと戯れているあの姿、無邪気でとても成人には見えない……ああ、本気で怒られる……し、その笑顔は、とても清らかで美しい。
いや、これも判っている。俺は相当どうかしているのだろう。でも、視力には自信がある上で、俺には清らかに見えるのだから、これはもう仕方がないのだと思う。
マッカチンがいたとはいえ、俺ひとりでは広すぎる孤独な家が、勇利のお陰で賑やかになり、愛があふれ、今や世界中に見せつけたいほどの幸せが満ちている。
そう、俺の人生を豊かにしてくれたのは、間違いなく勇利だ。だから……。
もういい。俺は開き直ったぞ。
勇利は天使だ。俺の天使であることに間違いない。
「何? また何か変なことを考えているんでしょう?」
結論を出した瞬間に、勇利がこちらを振り返った。この天使は俺の心が読めるのもしれない。
「は? 心外だな」
とはいえ、うまく誤魔化さなくては。でも、勇利は何故か納得しない。
「ヴィクトルがそんな顔をしているときは、大体変なことを考えてる」
「そんな顔って、どんな?」
「ニヤニヤした、ヤラシイ顔」
「こいつ!」
言葉で言いくるめるのはやめだ。だとしたら、誤魔化すにはこれが一番。
俺はマッカチンの首を抱え込んでいる勇利に覆いかぶさり、キスの嵐を見舞ってやった。マッカチンは俺の意図を正確に汲み取ったか、勇利の腕からすり抜け、逃げていく。その姿を横目で見送り、空気を読める愛犬に感謝する。
「ヴィクトル! 待って! ステイ!」
「俺は犬じゃないから、その命令は無効だ」
「もう!」
まだ文句を言う勇利を押さえつけ、遂にはキスでは留まらず、シャツの下に手を差し入れた。
と、抵抗が突然止んだ。
「……ここでする気?」
幼げな勇利の瞳が、不安に揺れる。いや、これは不安ではないか……。
「嫌なの?」
「するんだったら……」
やはり「不安」ではなかった。勇利がいきなり天使の顔を振り捨てた。
「ベッドがいいな」
妖しげに微笑む勇利は、既に天使などではなく、俺を誘惑する悪魔に変わっていた。
くるくると印象を変える恋人に惑わされつつも、俺は楽しくなって、勇利の体をすくい上げた。
「ヴィクトル!?」
「ベッドに行こう! たっぷり愛し合おう!」
俺の宣言に満足そうに微笑む勇利は、まさに悪魔。俺を色情に溺れる夜へと導く、婀娜めいた闇色の悪魔だった。
◇◇◇◇
翌朝目が覚めると、俺の天使で、かつ色慾の悪魔でもある勇利がいなかった。
昨夜は結局、彼が望んだベッドだけでなく、バスルームや、彼が嫌がったはずのリビングでも、散々愛し合った。我ながら調子に乗り過ぎだったと思う。今頃、勇利はぐったりしているのではないだろうか。俺は不安に駆られ、ベッドを飛び出した。
「勇利? どこ?」
彼の自室を覗き、不在を確認してから、リビングに足を向ける。
勇利がいた。差し込む朝の光を浴びながら、何を見ているのか、窓際から外を眺めていた。そちらからは見られないだろうか、下着しかつけていない状態で、無防備に立ち尽くすなんて、彼にしては珍しい。
勇利は俺が部屋に入ってきたのを知ると、無造作に掴んでいたシーツをふわりと広げた。昨夜はあれほど惜しげもなく俺の前に曝したのに、肌を隠そうとでも言うのか、白い布で自分の身を包み、その様が……。
「ヴィクトル、おはよう」
慌てて彼に駆け寄り、シーツごと腕の中に包む。
「どうかした?」
「いいや、いいや、何でも……」
言えるはずがない。
白いシーツが、天使の翼のように見えたことも。その広げた翼で、勇利がどこかに行ってしまいそうで、怖かったことも、勿論。
「おかしなヴィクトル」
俺の天使が笑う。
おかしくてもいい。天使でも悪魔でもいい。
俺のそばにいてくれたら。
「おはよう、勇利」
この言葉を、永遠に言い合える俺たちでいられたら、それで……。
俺は腕の中の恋人に、こっそり、でも、強く願った。