いのちの名前電池が切れたようにぐっすり眠る愛しい子。
肩甲骨の辺りにあるのは「人から見えなければイイ」という許可に甘え、大量につけたキスマーク。つける度に上がる嬌声と眼前の光景に興奮し、細腰を鷲掴み無我夢中で欲望の限り打ちつけてしまった。ヴェヌスの靨にその名残が赤く残ってしまっている。
全世界の軍隊を敵に回しても、核兵器を差し向けられても、悠然と構えていられる程の最強。しかしひとたび腕の中に収まれば、腰砕けになって全身で愛欲に溺れる俺だけの最弱。
「あくせら、れーた…」
スゥスゥと小さな寝息を立てて薄い痩躯が上下する。
人差し指の背で頬を撫でると、軽く身じろぐ。
慌てて少し身を引いたが、起きた様子はない。
反射によって有害物質を弾いている肌の表面は、確かに温度が宿っているのにさらりとして作り物めいている。しかし、差し込んだ朝陽に反射してキラキラ輝く細かい産毛が、一方通行を決して人形でなく人間たらしめる要素として機能していた。
「綺麗、だな」
薄く開いた口元からは、個々のサイズが小作りで真っ白な歯が規則正しく並んでいるのが見える。
カミサマが何時間も悩み抜いて作り上げたかのような造形は、何時間見続けても見飽きない。
それでも、こんなに申し分なく愛おしさを感じるこの子に、唯一感じる不満があった。
名前を、呼べないこと。
日頃呼びかける時も、熱を交わし合う時でさえ、俺は一方通行の名前を呼ぶことができない。
名前を知らない。一方通行のことを知る誰に訊いてもわからない。
自分が生活する世界では、一方通行に限らずとも能力名や役割で呼ばれる人間が少なくはない。
それでも「アクセラレータ」と呼びかける時、時折ふと違う世界にいるような寂しさを覚える。
まるで「一方通行(アクセラレータ)」という能力だけに干渉しているかのような。
一度、名前を訊いたことがあった。
「名字は二文字で名前は三文字。いかにも日本人らしい名前、だったと思う」
「思う?」
「どォだかな…オレにとって名前、なんてものは意味が無かった」
「意味って…そりゃ呼ぶ時…とか…」
「ククク、気にすることじゃねェ…オマエの言いたいことは分かる」
笑っている筈なのに、その瞳はどこか諦め切ったような、喪くしたものを悼むような色をしている。俺は自分の安直さを恥じた。
「能力は学園都市(ここ)に於ける俺の存在意義、今となっては自己同一性にも等しい。オレはそのことに今更怒りを覚える必要もない。能力のお陰で失ったものもあれば、得たものもある」
「だから、上条…オマエがそう思ってくれるだけで、過ぎた幸せなンだよ」
世界で一番美しくて、愛しい(かなしい)笑顔だった。
あれから、一方通行の本名を尋ねることはやめた。
好きな子がこんなに近くにいるのに、名前を呼ぶこともできない。
不幸だ、とは言わない。それは一方通行への不義理だから。
一方通行が自ら言い出してくれるか、情報にアクセスする術が生まれるか。
いつかその時が来ることを俺は心のどこかで待ち望んでいる。